管長の修行問答

修行

2024.03.03

苦悩と現実

自然の中で豊かな感受性に目覚めることが出来ると改善する

日々現実に向き合い生活している中で、否が応でも悩み苦しむことは生じます。苦果を得て苦しめば、その因は果たされ終わるものと思いますが、と同時にまた何らかの悪因を積んでしまうのが私たち凡夫であり、果てしない苦のサイクルからなかなか抜けだせません。その悩み苦しむ際に、その苦しみ方にも、より向上に向かう苦しみ方があるのでしょうか。単に自分のことだけに終始したことを思い煩う苦しみと、他のためを考えるがゆえの苦しみとでもまた意味合いが違ってくるものでもあると思いますし、その時に自分がどのような念を持つかということも大きく作用すると思います。できるだけより向上へと向かうためには、悩み苦しむ際に、どのような点を心がける必要があるのか御教示いただきたくお願い申し上げます。 (東京・K) ※本問答は2019年10月・400号のものです。

2024.02.25

幼少期の体験

脳の錯覚は空仮中の心理を把握するための機能の一部

宇宙原理の御講話で「物質は全て量子レベルで見ると揺らぎの中にあり、物質を実在の固体と感じるのは錯覚」というご主旨を伺って、ふと幼少時の体験を思い出しました。それは不意に訪れる感覚で、特殊な磁場の別次元に居る様な、重力や空気圧が何百倍にもなり自分を締め付けてくる様な感覚でした。体の周囲に凄く強い磁場のような力が遍満していて、それを強烈に感じているようでした。大体、その感覚は突然現れて数分続くのがパターンでした。追いかけると消えてしまい、不自由だけど嫌でなく、心地よく浸っていました。ああまた来たか、と感じながら、日常の感覚や世界は絶対的なものでなく自分がそう認識しているに過ぎないのかなと、自分なりに感じていました。その体験は幼少時は頻繁で、中学くらいからすっかり減りましたが、二十代に御指導を頂くようになった後、瞑想時や入眠時に時折復活した時期がありました。御講義を聞いた時にふとその体験を思い出しました。人間のこの世での錯覚感について御教えいただければ幸いです。  (千葉・N) ※本問答は2019年10月・400号のものです。

2024.02.21

毎日の修法と無心

時時感謝し謙虚の憶いであるが儘(まま)に生くるを無心という

①説法会で、日常そのものが修法であるとの御話を賜りこれまで漫然と過ごしていた日常が一本芯の通ったものに変わりつつある、変えようと思っています。以前より、仕事ではルーティーンが最も大切であること、その日やるべきことをその日に終わらせること、ルーティンを手抜きする者はいずれ痛い目に遭う事になるのが天の定めであるという御言葉を頂いたこともありました。現状では、面倒くさいなと思っても、やるべきことをやると気持ちが良く、心が澄むような感覚があります。なぜやるべきことをやることが大切なのかと考えると、それは宇宙の運行そのものが規則正しく営まれていることに通じるからかなと思いました。素直にやるべきことをやっていくことで、真にやるべきことが眼前に明らかとなり、その先に解脱もあるのかもしれない、と感じましたが如何でしょうか。(神奈川・N) ②朝起きて無心で淡々と生活してみようとして、無心が結局分からない事に気がつきました。考えない事なのかと思いましたが頭の中では雑念が湧きっぱなしです。集中して今やっている事だけ考えるのか、今の目の前の事を感じるのか、数字を数えてみるのか、そんなのとはそもそも違うのか、さらなるご教示お願い致します。(神奈川・S) ※本問答は2022年2月・428号のものです。

2023.08.01

あなたという〈私〉

現象の一切がアーラヤ識から放出され同時に帰一し続ける

嫌な感じを受ける人に会って、この人は自分と同じタイプで悪い面が出ているのではと感じることがあります。これは自分への戒めとしてそのような方に出会わされているのでしょうか。もしくはその人に対して(上から目線のものでなく、自分も陥りやすい弱点として助言するなりして)成長の機会をつくる役割を求められているのでしょうか。(東京・M)※本問答は2023年8月・446号のものです。

2023.03.01

やりたくない事

自分がやらねばならない事とやりたい事の両立を成せ

自分がやりたくない事や苦手な事は、クリアしなくてはいけない課題でしょうか。いろんなソフトウェアや市販のもの、人から教えてもらい、その場を乗り切っていますが、それでも苦手意識は消えません。自分の力だけでやっていない事の罪悪感はありますが、それも淡々と感謝してやっていていいのでしょうか。今、他の人との距離感が、いい感じで過ごせるようになりました。相手の思いが、良い感じで聞けるようになりました。会のおかげです。ありがとうございます。(福岡・M)※本問答は2023年3月・441号のものです。

2023.03.01

日々の修行

自分の仕事と真摯に向き合い無心で働く者は正しい者である

私は今、仕事の事で頭がいっぱいで、なかなか修行とは程遠くなって居ます。もちろん自分の益だけを追及はしていません。お役に絶対に立てる様にと考えて行動をしています。最近は難しい仏教の質問が多い中、恥ずかしいですがまだまだこの様な事で迷って居ます。御回答頂けると嬉しいです。(東京・S)※本問答は2023年3月・441号のものです。

2023.02.01

修行の手順

何事も実践できて初めて有意義となり得るのである

在家修行者が自観法を実践する意味につきまして、
①霊性向上のためには三毒(貪り・怒り・慢心)を弱めることが先決である。
②しかし、言葉で無理に抑えようとすると、かえって抑圧された意識が潜在してしまい逆効果の場合がある。
③そのため、自分の心身の状態に冷静に気付ける高度な言外知の習得が必要である。この様な考え方でよろしいでしょうか。(東京・K)※本問答は2023年2月・440号のものです。

2022.08.01

前兆

物事には必ず何らかの前兆があるので気付く習慣をつけよ

これまでの人生で経験した大きな問題やトラブルを思い出したとき、それらが生じる前に、今のは少しおかしいとか間違っているのではないか?と瞬間的に感じていたにも拘わらず、それを訂正したり、正しく対応することができず、問題を生じてしまったことが何度かあることに気づきました。その原因として、頭が固くなっていて周りが見えていなかったことや経験が不足していたことなどを考えていますが、如何でしょうか? また、問題を生じさせないために、そのように感じたときは立ち止まってもう一度全体を眺めて正しいかを判断することと、できれば他人に相談することも必要ではないかと感じています。対応につきまして御指導よろしくお願い申し上げます。(福井・W)※本問答は2022年8月・434号のものです。

2022.07.01

日常的修行法

特別なことを考えず日々を優しく楽しく過ごすとよい

わたしは、身体の調子が悪くて会の修行についていけません。情けないと思い、皆様の修行ぶりに感心しています。 会を辞める事は、したくありません。 こんな私でも日の目を見ることは、あるんでしょうか。(宮崎・S)※本問答は2022年7月・433号のものです。

2022.07.01

阿頼耶識(ア ーラヤしき)と真我(しんが)

アーラヤ識は霊として作用し輪廻の主体となって転生す

以前、阿頼耶識を真我と御説明頂いたと思いますが、そうであると、真我というものも霊そのものではなく、いずれは消え去っていくものということになるのでしょうか? 唯識を学ぶことで真我というものの理解も変わってきているように思います。(山梨・M)※本問答は2022年7月・433号のものです。

2022.07.01

論理的思考

理よりも感情を中心に想像展開させる訓練から入るとよい

論理的に考えるというのは、どのように考えることでしょうか。自分は考えるのが苦手です。又、論理的に考えるために普段、どのように心がけて生活するべきでしょうか。(三重・K)※本問答は2022年7月・433号のものです。

2021.10.01

パラリンピック

身障者たちの生き様は健常者たちに多くの事を教えている

ハンディある人たちが頑張っている姿に、障がい者スポーツを観る機会がなかった私は、ただただすごいなーと尊敬あるのみですが、「それぞれの人生」ということを改めて考えさせられたパラリンピックでした。最初は、腕のない、足のない、目の見えないアップに、辛い気持ちがあったけど、多様なハンディを感じさせない健闘をしている選手たちを観ているうちに、いつのまにか、可哀想という気持ちではなく、普通に競技者として応援していることに気が付きました。選手たちを通じて人間の可能性を見せつけられ、自分はあのように生きることに一所懸命だっただろうか、と内省しております。パラリンピックについて御言葉を頂けたら有難く存じます。(神奈川・T)※本問答は2021年10月・424号のものです。

2021.04.01

太霊の作用

有為と無為との世界の中で正しく感応することは難しい

最近「何かが頭に〝思い浮かぶ〟って、いったい何なのだろう」とよく思います。「なぜ、こんなことが思い浮かんだんだろう」「思い浮かぶ、というそれ自体凄いことではないか」と思うことも多いです。後から振り返って、自分を飛躍させてくれた地道な行ないを「これやらなきゃ」とあの時、何故思い浮かんだのか。それはどこからやってきたのか。自分の疑問をずっと考えていて、何故、ふと色々な出来事がつながり、ある見解が頭に思い浮かんだのか。こういったことは、自分の記憶からでない、自分の思考からでない、他者の出現、本体の出現ということもいえるのでしょうか。霊の関与なのかもしれません。以前管長より「自分で考えていると思っているかもしれないが、考えさせられている」と伺ったようにも記憶しています。そう思うと、日頃直接影響を受ける、部屋などの環境を整えることや、出入りする場所、触れるものは清浄であるよう気を付けないといけないと思います。御教示頂けますと幸いです。(東京・U)※本問答は2021年4月・418号のものです。

2021.03.01

生命の神秘

禅と思惟と捨身こそが真実の超越せし世界を出現させる

春めいてきて、植物の芽吹きを見る度に感動します。これは一体何の力なのだろうか、と考えたのですが、物質のレベルでいえば、遺伝子の情報どおりに物質の様相が変わり、変化していることです。でも、その変化は何のエネルギーによって行なわれているのか…きっと道に違いない!と思いました。そして感動を与えてくれる。生命に感動するのは道のありようだからでしょうか。(東京・U)※本問答は2021年3月・417号のものです。

2021.01.01

情報過多の時代

何事にも真逆の意味が有され自身で思考する習慣が必要

機会がありましたら、お聞きしたいと思っておりました質問をさせていただきます。世の中の動きが気になるため毎日様々な情報に触れますが、真偽の定かでないものが多くあると感じております。学生と接する機会があるため、偏りのない指導ができるよう、自分自身はできるだけ真実に近い情報に触れたいと感じております。真実を見極めるために必要な目と耳を養うためにはどのような努力が必要でしょうか。(兵庫・F)※本問答は2021年1月・415号のものです。

2015.03.01

内面の葛藤

人は葛藤により成長し遂に葛藤を消失させて仏陀となる

内面に葛藤のない人は何も起こらないでしょうか?※本問答は2015年3月・345号のものです。

2015.01.01

智慧なる器

知恵は知識から生まれ智慧は深理への理解から生まれる

十徳目の智慧の徳目に関してお伺いすることを御許し下さい。智慧(ちえ)について御説きになっている九つ目の徳目に「智慧とは研ぎ澄まされた器である」とございます。我々は自分の「器」をいつもいつも、自分でいっぱいにしてしまっていて、「こうでないと私はだめだ」「これがないと死んでしまう」「こんなはずはない」等、握りしめた想いで満たしてしまっているのではないかと思います。その握りしめた想いを、「器」から一気に流し出してしまえたら、そこには只、そのものがあるのではないかと思います。器を研ぎ澄ますとは、こだわりの想いを捨て続けて、一時的ではなく、本当に捨てきった姿のことではないかと思いましたが、その様な考え方で宜しいでしょうか。(神奈川・S)※本問答は2015年1月・343号のものです。

2014.11.01

礼と真心

礼とは裏表のない謙虚で素直な真心と高次の意識である

先日の講習会にて御教示頂きました「礼」というものが、いわゆる「礼儀」の礼というだけではなく、何か計り知れない程深いものに感じ、とても自分には「礼」の実行は無理ではないかと思いました。そこで、せめて物事に当たる時に「真心」を込めるようにしたら良いのではないかと思いましたが、その「真心」もよく分かってない様に思います。「真心」を込めるとは、真剣に一生懸命にやるということで宜しいでしょうか?「真心」とは一体どのようなものか御教示頂けましたら幸いです。何卒宜しく御願い申し上げます。(埼玉・M)※本問答は2014年11月・341号のものです。

2014.11.01

道・徳・仁・義・礼

より高次の意識は下位の意識を純粋な完成形で内包している

「老子様の言葉で、道を失いて後、徳あり、徳を失いて後、仁あり…と伺いました。仁の御説明の中で慈悲という言葉があったと思いますが、仁とは慈悲なのでしょうか。又、徳というものが復活すれば慈悲はなくなるのでしょうか。(埼玉・S)※本問答は2014年11月・341号のものです。

2014.09.01

終活と死後

最後の最後まで前向きに明るく霊の世界へ心向けて生きる事

死の備え「終活」がメディアでよく取り上げられ、エンディングノートを書く人が増えています。良い死を迎えるために備えておくべきことを、霊の観点、人間社会に於ける観点に分けて御教示頂けないでしょうか。(東京・U)※本問答は2014年9月・339号のものです。

2014.09.01

夢の世界

強い意識で自己を改善しない限り夢も同様にしか見れない

人の夢の話を聞くと、映画のように波瀾万丈でストーリーがあったり、夢の中で色々思考したり、これは夢だとはっきり認識したりと、非常に鮮明なようで驚きます。私の夢は、もっとぼやっとして感覚的で、はっきりした印象が残っていません。夢を想い出そうという努力をあまりしていないせいかもしれませんが、ぼやっとした夢というのが、日常の自分の意識傾向と共通するようで、これは拙いのではないか、と最近気になっています。意識して改善すべきでしょうか。またこうした意識は、死後に悪い影響があるでしょうか。(東京・R)※本問答は2014年9月・339号のものです。

2014.07.01

過去への祈り

過去の事実は変わらずも付随する因子群を変えることは可能

過去への祈りは通じるとも通じないともいえるのでしょうか。あの時、苦しまないでいられましたように、と他の人への祈りをすることがあります。(京都・S)※本問答は2014年7月・337号のものです。

2014.06.01

四法印の悟り

無我と無常の悟りが一切苦を取り除き涅槃へと至らす

①「諸行無常」と「諸法無我」はどのような関係にあるのでしょうか。(京都・M) 
②「一切皆苦」の時代に終わりを告げる時は来るでしょうか?(栃木・T)※本問答は2014年6月・336号のものです。

2014.04.01

超える意識

この世に支配された意識はそれ以上の世界に不安を覚える

自分はこの世を超えた安心というものを求めて生きていると思いますが、この世を超えたもの気配を感じるとかえって寂しさや辛さを感じることがあるように思います。今の(この世の)この場所に、暖かいところから、切り離されて来てしまったというような気持ちがあると思います(この世的に満たされていれば、こういうことを感じないのかもしれませんが)これは私の認識が浅い段階だからでしょうか。求めていけば寂しさや辛さの向こうに光があるのでしょうか。(京都・S)※本問答は2014年4月・334号のものです。

2014.01.01

自分とは何か

人は六根に支配され真の己に辿り着ける者は皆無である

自分の事を分からないというのは言葉ではとても不思議だと思うのですが、なぜそういうことがあるのでしょうか。※本問答は2014年1月・331号のものです。

2013.11.01

多重的宇宙(霊界)

何もかもが常に変化し続け自己の世界だけが見え続ける

①いくつもの次元が存在し、人の心(魂)のありようで自分が今感じている世界(宇宙)が変わるということ…その真実を心の糧として生きています。重なり合った宇宙の共通部分も人の霊界によって違うのでしょうか…と思います。人類の(民族の)共通項は重なり合った宇宙(霊界)に存在するのでしょうか。(東京・S)

②嫌味な同僚を受け入れようと努力を続けていたところ、向こうから話しかけてきたり、温かく明るい笑顔を見せてくれるようになりました。私たちは人間として形が固定されていますが、魂が混ざるような因縁が混ざるような感覚と、湧き上がるような大きな歓びを感じました。何かが果てて、何か新しいものへと繋がっていくと考えてよいでしょうか?(東京・U)※本問答は2013年11月・329号のものです。

2013.09.01

神なる絶対的喜び

諸法は実相にして一切の苦は忽ちにして悦びと転ずる

神は「絶対的悦び」の存在である限り、この世の一切皆苦の本質は悦びなのだと思います。日常では様々な事に心を煩わされ、つまらないことに一喜一憂してしまうのですが、全てが因果の精緻な法則に因って起きていることであり、成長の為に起きていることであると気付けると、感動と共に、一瞬に、「苦」は「悦び」に変わります。また、修行を積めば、先ず「苦」と思う意識もなくなり、全てを「悦び」として受け入れられるのでしょうか。(東京・N)※本問答は2013年9月・327号のものです。

2013.07.01

我執

自らの愚かさに気付くことから全ては改善へと向かう

自分の強い、相手を軽蔑する気持ちに閉口します。日常で「敬意を払う」ことを意識において、自分の気持ちを自観する(気付く)ようにしていけば改善していくでしょうか。(滋賀・S)※本問答は2013年7月・325号のものです。

2013.06.01

無常感と苦悩

神によって愛されていることを心の底から信じよ!

①『空・無の体験』の御話の中で、無常感があるからこそ他者を思いはかるということを教えて頂きました。無常感がどう作用してその様な気持ちになるのでしょうか。(神奈川・O)

②虚無感、無常感に時折さいなまれ大変苦しいです。非常に重要な作用だとは思いますが、自分の存在が無意味に感じられる事があります。単に自分自身が弱く、人生がうまく行っていないだけで、それらが改善されれば、この感覚は消せるのでしょうか。(茨城・W)※本問答は2013年6月・324号のものです。

2013.04.01

怠惰という欲

自由性を求める深理が不安や嫌悪の心理と合し怠惰を齎(もたら)す

怠惰は物欲の一つと以前仰られたと記憶しております。何故物欲なのでしょうか。そもそも物欲とはどのようなものと考えたら宜しいのでしょうか。ご教示賜りますよう御願い申し上げます。(神奈川・O)※本問答は2013年4月・322号のものです。

2009.09.28

人生の深み

自分を深く見つめる為の基準は

自分を深く見つめる、考えることにおいて、基準があれば教えて頂きたいです。例えば、まずこういうことを前提とすることが大事などありますでしょうか。(学生 20代)

2009.09.13

魂と生育

育て方によって魂は変わりますか

生まれた時の魂というのは、どういう感じなのでしょうか? もし地獄霊の魂でも、赤ちゃんの時から周りのものがしっかり愛し、その子の価値を認めてあげれば、やさしい子になったりしますか? つまり、育て方によって、どんな魂も変わるのでしょうか。(飲食業 40代)

2009.09.11

転生

強い念こそが全てを現実化する

私は、来世生まれ変わっても先生の御指導が受けられるようになりたいと思っているのですが、どのような心構えでいれば実現できるでしょうか。

2009.07.31

死後の迎え

自己の宗教に応じた迎えがあるのか

『チベット死者の書』で、死後、チベット(インド)的な仏神の来迎が描かれていますが、自己の宗教に応じた迎えがあるということでしょうか。(ネット関係 30代))

2009.07.30

神と人間

霊的レベルの低い存在に神を感じるのは

木や石のような霊的にレベルの低い存在に神を感じ、人間のように霊的レベルの高い存在から神を感じにくいと思うのは何故でしょうか。(医師 30代)

2009.07.18

苦悩の享受

日常の不幸を楽々と受け止めるには

日常の不幸を楽々と受け止めるコツがあれば、御教示下さい。(主婦 30代)

2009.07.10

香りと臭い

四季の香りや様々なにおいの意味は

四季の香りを感ずるとうれしくなります。感じる香りは神様のプレゼントのように思いますが、何を伝えて下さろうとなさっていらっしゃるのでしょうか。お香、お花、お料理、トイレ等の「におい」が有るのですが、どうしてでしょうか。(事務職 20代)

2009.06.28

夢の世界

夢についてお話し頂ければ幸いです

現世の夢、霊界での夢、共に夢を現実と思っている訳ですが、地獄界も夢、現世での悪夢と考えてしまいますが、夢についてお話し頂ければ幸いです。(美術関係 28歳)

2009.06.25

神と逃避

「私には神様がいる」と逃げてしまいます

辛い時、寂しい時、孤独を感じる時などには、「私には神様がいる」と逃げてしまいます。それでよろしいのでしょうか。(主婦 46歳)

2008.09.25

昏沈

自観に徹し、影が光となるを得べし

原因がわからないのに、気持ちがとても落ち込む時があります。その時、その気持ちにひたり切った方がいいのか、無理にでも明るい方向に持っていった方がいいのかわかりません。(学生 22歳)

2008.09.20

武士道修行

遂には相手の呼吸と和し気によりて深き瞑想を成すなり

武士道に参加させて頂き1年になります。いよいよ力の衝突から技の段階に入り、更なる興味を惹かれておりますが、修行としての意義をおきかせ下さい。私なりに組手という他との対峙から集中力や、早い動きの中での瞑想をも要求されているような心持ちです。暴力の中に高い感性や知性が隠れているのでしょうか。また、戦いぶりに個々の想いも感じられます。(派遣社員 50歳)

2008.09.03

人間の器

丹田と嫌な人物の修行とバカと成れれば大いに大器なり

管長の御話に器ということが出てきましたが、「器」とは、つくることができるものでしょうか。

2008.09.02

十界互具

地獄にも救いがあることを開示

仏教では、地獄から仏までの十段階の世界(十界)があり、それぞれの世界の中にまた十界があると説きます。 全ての存在に仏性があるとすれば、仏以下の世界に仏界があるのは当然と思えるのですが、仏の世界に地獄や畜生といった境地が存在するというのは、何を意味するのでしょうか。

2008.09.01

諦め

体を動かす人は着心も去っていく

「諦める」ということについての質問です。自分で諦めたと考えていても後で何らかのきっかけによって諦めきれていなかったことが度々あります。すっきりと諦めていくことができるにはどうしたらよいでしょうか。

2008.08.30

自観と救霊

自我への執着からの解放こそが自観の真骨頂である

以前、質疑応答集で、自観は最高の救霊とありましたが、自観することで意識次元が上がり、除霊できるということでしょうか。

2008.08.29

宇宙

そこは漆黒の闇なる神秘の空間なり

宇宙から帰還した宇宙飛行士の人達が、「月や宇宙で神を感じた」ということを言いますが、あれは真に神を感じているのでしょうか。もしそれが真実としたら、私が今宇宙空間へ行ったら同じように感じることができるのでしょうか。

2008.08.28

因果

より大きいものほど来世へ尾を引く

ある人のことを悪く思っていたら、次の瞬間つまずいてころんでしまいました。恐らく、指導霊様からおしかりを受けたのだと思いますが、これによって(ころんだことによって)この件の果は尽きたのでしょうか。それとも、別にまた果が生じるのでしょうか。

2008.08.26

死の覚悟

中年を過ぎる者は達観を覚え他者を受け入れる事を心せよ

自観をもって「いつ死んでも構わない」という心境にまで達するでしょうか。

2008.08.22

習気

自らのあらゆる欲求こそが習気である

自分自身の習気(じっけ)を本当に見極めるのはどうしたら良いのでしょうか。自分の行為の善悪が因果となるのではなく、習気こそが因縁の主体のような気がします。

2008.08.21

陽光

あらゆる大自然の営みを通し神と出会う

雨上がりの陽光はとても清々しく神々しささえ感じます。これは気の移り変わり以外に、どのような作用によるものでしょうか。

2008.08.20

気付き

気付きは匹夫の理解から聖人の悟りに至る

気付きの正誤の判断の仕方をお願い致します。

2008.08.18

祈り

打算なく欲心なく只素直に神を讃えよ

「神様の御心に適う事なのだから」と思うのですが、よいでしょうか。お祈りをする時の注意点をお聞かせ下さい。

2008.08.17

慈愛

衆生への慈しみと衆生の悲しみを共にす

「慈悲」の意味を辞書で調べると「いつくしみあわれむこと」とあり、「慈しむ」とは「かわいそうに思う、あわれだ」、「哀れむ」は「かわいそうに思う、不憫だ」とありました。この意味でよろしいのでしょうか。また「慈愛」との意味の相違をお教え下さい。

2008.08.15

瞑想

複数を対象にするより一事に集中すると良い

瞑想中、一度に沢山の疑問の思考をしないで一つずつ行った方がよいのですか。

2008.08.07

自観法

嫌な体験は記憶力を低下させる

自観法をする時に、過去の嫌な感情や出来事そのものさえあまり思い出せません。これはどうしてなのでしょうか。

2008.08.05

大自然の恵み

正しい感謝の念はあなたを救うことになる

どんなに愚かな身でも、大自然の恵みを感じ、ほんの少しでも感謝する心を持っていれば救われるでしょうか。

2008.08.04

輪廻

神は自然の理を通して霊魂の転生輪廻を示して下さってある

今日一日の命を頂き明日が来るという事は、その日一日を大切にし、少しでも前向きに(神様に感謝し)生きるように神様が導いて下さっているということなのでしょうか。

2008.08.03

四季

転生輪廻を示せし事象なり

冬の厳しい寒さは、私達日本人の意識とどういう関係があるのでしょうか。また、神様は何を教えて下さっているのでしょうか。

2008.08.01

ボランティア

他人の評価を期待するも善なり

人の役に立ちたいとボランティア活動がしたいと思った時、その気持ちを素直に信じて行動に移してよいのでしょうか。それとも十分に自観して(例えば他からよく思われたい気持ちが潜んでいるのか等)行動に移すべきでしょうか。

2008.07.28

人生の苦難

挫折も壁を乗り越える為のステップであることに気付くべし

「乗り越えられない苦難はない、自分のレベルに合っただけの苦難しかやってこない」と管長は仰いますが、現実には私は自分の能力を超えた壁に何度もぶつかっては挫折してきました。力を尽くしたと思っているのは自分の慢心かと何度も自問しましたが、どう考えても、その時の自分の力では解決できなかったと思われる壁が、いくつもありました。広い意味では時が解決してくれたと思えなくもないのですが、どうしても納得できないものがあります。私の解釈が間違っているのでしょうか?

2008.07.27

自由

森羅万象への感動と受容が要

肉体(遺伝子)に支配されない真の自由とは、放漫にあるのではなく、向上への努力のみにあるのでしょうか。御教示下さい。

2008.07.26

習気

悪しきは自観し善は更なれ

自分の習気から逃れるにはどうしたらよいのでしょうか。

2008.07.25

巡礼

只管に歩む只々歩む

退職を機に心の休養と今後の人生設計の為、四国八十八ヶ所を巡ります。その際の作法、心の在り方等を詳しくご指導下さい。

2008.07.24

品性

努力によって培われるもの

美術的なことが好きで日常生活の中でも少し関わりを持っていますが、美術、芸術、音楽等々、いろいろと人の手によって作られた作品(もの)には、品性が大切だなと痛感するのですが、この品性というものは生まれ持ったものなのでしょうか。
日々の努力により培われるものなのでしょうか。
品ということについてお教え頂きたくお願い致します。

2008.07.23

霊光

光、大自然の全てが神を表現

夢窓疎石の「夢中問答」に「古人云はく、人々各霊光を具す。円学経に大光明蔵三昧と説けるも、一切衆生本具の霊光なり」とあります。
この「霊光」を「大いなる光」と同一のものと捉えてよいですか。
また「大いなる光」について仏典ではどのような言葉で表わしているのですか。

2008.07.22

祈り

只愛す愛す愛すこれ極意なり

お祈りの時神様の愛を感じますが、愛は神様に心を向け、神様に導く為に存在しているように思います。
でも全てが神様の愛だと思った時、愛も錯覚で本当はないように思いますが、別の言い方をすれば神様は愛だとも思います。
愛という感覚があるだけだと思いますが、愛について教えて下さい。
人が愛一杯になれた時に、神様と一つになれるように感じます。

2008.07.21

真解

只管に不解事を瞑想せよ

先生の御言葉が私なりに理解したり気付くのに数年かかります。
もっと早く気付きたいのですが、それにはなるべく考えたり頭に置いて瞑想すればよいのですか。

2008.07.20

慈愛

渇愛こそが一切の根本苦なり

「十二因縁」の中に「愛」があります。
瞑想録では「愛着、愛欲、盲執」と説明してあります。
意味は違うと思いますが、キリスト教で説く「愛」と同じ字であるのが、納得しかねます。