十二因縁
釈尊は、悟りを開かれ 成道 された後、人生の苦しみが何によって生じるのか、その縁起の 理 について 思惟 されました。
「生」があるから、「老死」の苦しみが生じます。ではなぜ「生」があるのか、その根本原因は「 無明 」すなわち無知にあると観じられました。
無明によって、 行 =潜在的形成力が生じ、行によって、 識 =識別作用が生じ、識によって、 名色 =心と肉体が生じ、名色によって、 六処 =五官の感覚とその認識が生じ、六処によって、 触 =対象との接触が生じ、触によって、 受 =苦楽などの感情が生じ、受によって、 愛 =ものごとに対する愛着・渇愛が生じ、愛によって、 取 =執着が生じ、取によって、 有 =自己中心の心がもたらす差別・区別する心が生じ、有によって、 生 =誕生が生じ、生によって、 老死 があり、憂い、悲しみ、悩みなどもろもろの苦しみが生じます。
そのため、無明が滅べば、行がなくなり、行が滅べば、識がなくなり、識が滅べば、名色がなくなり、名色が滅べば六処がなくなり、六処が滅べば、触がなくなり、触が滅べば、受がなくなり、受が滅べば、愛がなくなり、愛が滅べば、取がなくなり、取が滅べば、有がなくなり、有が滅べば、生がなくなり、生が滅べば、 老死 がなくなり、憂い、悲しみ、悩みなどもろもろの苦しみがなくなると説かれました。
三法印
三法印とは、仏教の基本的な教えを示すもので、「 諸行無常 」「 諸法無我 」「 涅槃寂静 」をいいます。
釈尊はすべては無常であり、一切が苦であると観じ、修行の道に入り、悟を得られました。
釈尊は「あらゆるものが常に生滅・変化し、永久不変なものではないこと(諸行無常)」を説かれました。私たちが求めている喜びも楽も、避けたいと思っている苦しみも苦も、永続するものではないことを意味します。諸行無常を明らかな智慧をもって観るとき、ひとは苦しみから遠ざかり離れる、これこそ人が清らかになる道である、そう説かれています。
釈尊は「すべてのものは因縁によって生じたものであって、我(不変の実体)ではないこと(諸法無我)」を説かれました。喜びは苦しみの因となり、楽は苦の因となり、苦しみが喜びの因ともなり、苦は楽の因ともなります。私たちが求めているものは因縁によって生じ、転変するものに過ぎません。諸法無我を明らかな智慧をもって観るとき、ひとは苦しみから遠ざかり離れる、これこそ人が清らかになる道である、そう説かれています。
釈尊は、 諸行無常 ・ 諸法無我 を観じ、煩悩の炎が吹き消されて滅尽した状態(涅槃・ニルヴァーナ)こそが、安らぎの境地( 寂静 )であることを説かれました。本会は日常の生活を通して、この境地を目指して日々修行していこうとするものです。
三毒
特段に人を陥れる三つの巨大煩悩のこと。 貪 瞋 癡 を三毒と呼びます。
- 貪欲 貪 り 卑しいこと。財・物や異性や食べ物、また権力や名誉など自分の欲する物に執着し、度を超すこと。
- 瞋恚 自分の意に背くことがあればすぐ怒り、また自分の嫌いな事に腹を立てること。イライラしていること。
- 愚癡 無智なこと。物事の本質・理に暗く、道理を 弁 えない自己中心的なこと。偏見に陥り他を受け入れない。
六根本煩悩
貪 瞋 癡 の三毒に 慢 、 疑 、 悪見 を加えて根本の六根本煩悩と呼びます。
- 慢 我が身をたのみて人や物や真理を侮ったり、傲り高ぶること。見下すこと。
- 疑 疑う心。何事に対しても心が定まらず、人や物事に対し、とかく疑い深い。素直でない。
- 悪見 誤った見解。間違いを強く信じて従わず、我を張る。
六波羅蜜
大乗菩薩の六種の実践修行を六波羅蜜と呼びます。
- 布施 財施(財物を施すこと)、法施(仏法を人に説くこと)、無畏施(命を懸け、体をはって、人々を仏道へ導くこと)。
- 持戒 身を慎むために定められた戒律を守り通すこと。
- 忍辱 どんな苦しみをも忍び、どんなに辱められてもそれに耐えること。
- 精進 正しい修行を絶える事なく継続努力すること。
- 禅定 妄想や雑念から起こる心の動揺を去って、心を一所に定め集中すること。
- 智慧 仏様の悟りの智慧。最も奥深い処。
四無量心
四つの広大な心、はかり知れないほどの利他の心を四無量心と呼びます。
- 慈無量心 衆生の幸福を願い、楽を与えることが無量(限りがない)であること。
- 悲無量心 衆生の苦しみを己が苦しみとなし、苦から救済することが無量(限りがない)であること。
- 喜無量心 衆生の喜びを己が喜びとなし、他を 妬 まず、己がこととして喜ぶことが無量(限りがない)であること。
- 捨無量心 他に対する愛着や怨みなどの差別を捨て、平等に他を利することが無量(限りがない)であること。
八正道
原始仏教で重視された 涅槃 に至るための実践徳目を八正道と呼びます。
釈尊が悟りを開かれてから2500年もの時が過ぎました。釈尊が御教えを説かれていた当時と比べ、現代人の心は素朴さを失い、荒んでいます。だからこそ、時代を越えて伝えられた釈尊の御教えは輝きを増しています。この苦しみに満ちた俗世に生きざるを得ないからこそ、釈尊の御教えは一層尊いのです。
釈尊の御教えから発展した大乗仏教では、世俗にあって仏道を体現する維摩尊者の姿が説かれます。これは世俗に生きる我々にとっての理想です。維摩尊者に遠く及ばずとも、我々も世俗の中にあって少しでも仏道を学び、少しでも高い生き方を求めていくならば、その分だけ人生は価値あるものとなるはずです。
- 正見 あるがままを正しく見る。
- 正思惟 本質に基づき正しく判断する。
- 正語 悪口や邪な言葉を言わず正しい言葉を発する。
- 正業 殺生・盗み・邪淫などから離れる正しい身体的行為。
- 正命 規則正しい生活(睡眠・食事・仕事・運動・勉強)を送る。
- 正精進 善を増し不善を断つため努力する。勇気をもって邪悪を滅す。
- 正念 明瞭な心で正しく精神を集中する。四六時中自己を律し油断をしない。
- 正定 正しい禅定により智慧を得、深い道理を悟る。