維摩會の理念

在家で仏道修行をしたい人のために

「維摩會」は、在家にありながら釈尊の教えを体現された維摩尊者の立場を学び、世俗の中での生きた中道の体現を目指しています。

世俗の生活の中で仏法を学ぶ

仏教の修行といえば、一般のお寺では僧侶だけのものですが、本会は一般の在家者がいつでも修行できることを目的に有志により開基されました。世俗における仏教の理想を説いたとされる維摩尊者に なら い、家庭の生活を捨てずに、世俗の職業に就きながら、仏法を学んでいく立場をとっています。

運営には、仏教の僧侶、神道の神職の協力もいただいています。

古来からの日本人の信仰ー神道

日本は海に囲まれ緑豊かです。
しかし、時に狂おしいほどの自然の脅威に見舞われます。古来より日本人は、自然の中に大いなる存在を感じ、敬愛し畏怖してきました。

飛鳥時代直前の五三八年に、仏教が伝来しました。それ以来、神道と仏教とは両輪の輪のように日本人の精神性を形作ってきました。


「神道」と「仏教」の融合ー神仏習合の再興

本会は、神仏習合を特徴としています。明治以降分離されていた神仏を再び融合し、明治以前の神仏習合の姿を再現することを目指しています。すなわち、日本人の精神性を成してきた「神道」と解脱を説く「仏教」の教えが融合されたものです。それはまさに日本人の精神性そのものでありました。その復活と流布を目的としています。

それを通して神道的には「豊かな心を持った人間性の回復」を目指し、仏教的には宇宙を貫く真理の空を説く「中観」や人間存在を分析した「唯識」の哲学を通して、「無自性」「物の本質」を説き、究極の態であるニルヴァーナの理解と把握を目指してゆきます。

儒教「五常八徳」の教え

かつて臨済禅においては、『論語』『大学』といった儒教の教えも教義の一つとして教えられてきました。また、江戸時代には藩校や寺子屋で『四書五経』が学ばれ、明治以前の日本人の道徳教育の礎を築いてきました。

そこで本会は神仏習合のもと、儒教の五常八徳からの学びも加味し、時代に合わせて最新の宇宙論なども駆使しながら、仏陀が説かれた究極の真理、さらには究極の真実の愛の姿である「慈悲」を学ぶとともに、人々の人間性の向上、深みのある人間性の獲得を目指しています。

現世にて清浄に生きる

本会は、不条理な社会を受け入れられない人たちの集まりです。現世もまた美しくなければならない、静寂に満ち、清浄でなければならない、心正しき者が、正しく生きられる世界でなければならないという信念を持っています。

大乗仏教においては、すべては縁起によって成り立つ「空」を説きます。その空なる世界は、現実世界から離れて存在するわけではありません。

本会は、現実の生活を肯定し、世俗の中で理想の境涯を目指しています。その時「空の実践」は、現実での「自我からの解放」や「慈悲行」となって現れます。人や社会に貢献しながら、心を磨き、清浄に生きる道を学んでいきましょう。

維摩會 ゆいまかい 」宗祖 維摩尊者 ゆいまそんじゃ

在家 ざいけ 覚者 かくしゃ 維摩尊者 ゆいまそんじゃ

維摩尊者は、聖徳太子によって日本で初めて解説された仏典の一つ「維摩経」に登場する在家修行者です。古代インドの富豪で、お釈迦様の在家の弟子となったといわれています。サンスクリット語では「ヴィマラキールティ」という名で、ヴィマラとは「清らかな」「清浄」という意味、キールティは「ほまれ」という意味です。そこで、 浄名 じょうみょう 無垢称 むくしょう などとも呼ばれます。

「維摩経」は、1~2世紀頃に成立したとされています。当時のインドでは部派仏教と呼ばれる教団が栄え、出家者を中心に厳しい修行や哲学的思索が熱心に行なわれていました。自らの修行にのみ専念することから、仏教は庶民の生活からしだいに離れていきました。その反動のように起こったのが「大乗仏教」という新しい宗教運動でした。「人々の救済をもって、自己の完成となす」という考えが貫かれ、世俗の中で仏教を打ち立てるという動きが出てきました。

「維摩経」に登場する維摩尊者は、中でも「 塵芥 じんかい の中で清浄に生きる在家修行者」の姿を象徴的に描いた存在といえます。

 維摩尊者

維摩経とは

維摩経では、善悪や悟りと迷いといった二元的な分別を超え、全てをそのままに受け入れる平等の境地である「無分別智」が説かれています。この智慧に基づく菩薩は、悟りの境地に達していても、あえて苦しみの世界に留まり、衆生を救うことに尽力します。菩薩は、衆生を我が子のように慈しみ、どんな苦しみも共に背負い、すべては空であり無自性であり無相であることを説いて迷いから脱却させ、巧みな方便で悟りへ導こうとします。維摩経は、無限の慈悲で差別なく衆生を救済し続ける菩薩道、その大悲の道を説いています。

こだわりや 執着 しゅうじゃく を手放した 維摩尊者 ゆいまそんじゃ の生き方―『 維摩経 ゆいまぎょう 』より

ある時、 維摩居士 ゆいまこじ が病気になりました。

そこでお 釈迦様 しゃかさま 弟子 でし たちにお見舞いに行くよう命じました。しかし、誰一人、行きたがりません。 智慧第一 ちえだいいち の弟子・ 舎利弗 しゃりほつ にお釈迦様が頼まれると舎利弗はこう言いました。「私はかつて、木陰で瞑想していました。すると維摩居士に“あなたの瞑想は、本当の意味で座禅ではありませんよ”と言われました。“あなたは心を清めることが瞑想だと思っているでしょう? そうではありません。瞑想とは人として普通に暮らしながら、煩悩を持ちつつ、それでもなお、悟りを目指し、究極の境地に入ることなのです”。そういわれて、私は黙ってしまいました。ですから、私は維摩居士のところにお見舞いにはいけません」

同じように十大弟子の全員が、かつて維摩居士にやりこめられた経験から、見舞いに行くことを尻込みしていました。ただ一人、お見舞いを引き受けたのは、 文殊菩薩様 もんじゅぼさつさま でした。文殊菩薩様が、維摩尊者のもとを訪れると、前代未聞の議論が始まります。「縁起」「空」「利他」といった大乗仏教の基本の思想が、維摩居士によって、単なる言葉遊びではなく、生活の中での生きた「実践」として示されていきました。

維摩尊者は「社会と関わり、人と関わり、地域に貢献してゆく。物事に捉われず、現実世界を肯定して生きていく。それが 菩薩道 ぼさつどう であり、 くう 実践 じっせん である」と説き、それを体現している覚者といえます。本会会員はこの維摩尊者の生き方に なら い、在家にありながら仏道を極めんとする人たちの集まりです。

十徳目