管長の修行問答
真理・神理
2024.02.21
毎日の修法と無心
時時感謝し謙虚の憶いであるが儘(まま)に生くるを無心という
①説法会で、日常そのものが修法であるとの御話を賜りこれまで漫然と過ごしていた日常が一本芯の通ったものに変わりつつある、変えようと思っています。以前より、仕事ではルーティーンが最も大切であること、その日やるべきことをその日に終わらせること、ルーティンを手抜きする者はいずれ痛い目に遭う事になるのが天の定めであるという御言葉を頂いたこともありました。現状では、面倒くさいなと思っても、やるべきことをやると気持ちが良く、心が澄むような感覚があります。なぜやるべきことをやることが大切なのかと考えると、それは宇宙の運行そのものが規則正しく営まれていることに通じるからかなと思いました。素直にやるべきことをやっていくことで、真にやるべきことが眼前に明らかとなり、その先に解脱もあるのかもしれない、と感じましたが如何でしょうか。(神奈川・N) ②朝起きて無心で淡々と生活してみようとして、無心が結局分からない事に気がつきました。考えない事なのかと思いましたが頭の中では雑念が湧きっぱなしです。集中して今やっている事だけ考えるのか、今の目の前の事を感じるのか、数字を数えてみるのか、そんなのとはそもそも違うのか、さらなるご教示お願い致します。(神奈川・S) ※本問答は2022年2月・428号のものです。
2023.03.01
やりたくない事
自分がやらねばならない事とやりたい事の両立を成せ
自分がやりたくない事や苦手な事は、クリアしなくてはいけない課題でしょうか。いろんなソフトウェアや市販のもの、人から教えてもらい、その場を乗り切っていますが、それでも苦手意識は消えません。自分の力だけでやっていない事の罪悪感はありますが、それも淡々と感謝してやっていていいのでしょうか。今、他の人との距離感が、いい感じで過ごせるようになりました。相手の思いが、良い感じで聞けるようになりました。会のおかげです。ありがとうございます。(福岡・M)※本問答は2023年3月・441号のものです。
2023.03.01
日々の修行
自分の仕事と真摯に向き合い無心で働く者は正しい者である
私は今、仕事の事で頭がいっぱいで、なかなか修行とは程遠くなって居ます。もちろん自分の益だけを追及はしていません。お役に絶対に立てる様にと考えて行動をしています。最近は難しい仏教の質問が多い中、恥ずかしいですがまだまだこの様な事で迷って居ます。御回答頂けると嬉しいです。(東京・S)※本問答は2023年3月・441号のものです。
2022.07.01
日常的修行法
特別なことを考えず日々を優しく楽しく過ごすとよい
わたしは、身体の調子が悪くて会の修行についていけません。情けないと思い、皆様の修行ぶりに感心しています。 会を辞める事は、したくありません。 こんな私でも日の目を見ることは、あるんでしょうか。(宮崎・S)※本問答は2022年7月・433号のものです。
2022.07.01
阿頼耶識(ア ーラヤしき)と真我(しんが)
アーラヤ識は霊として作用し輪廻の主体となって転生す
以前、阿頼耶識を真我と御説明頂いたと思いますが、そうであると、真我というものも霊そのものではなく、いずれは消え去っていくものということになるのでしょうか? 唯識を学ぶことで真我というものの理解も変わってきているように思います。(山梨・M)※本問答は2022年7月・433号のものです。
2015.01.01
智慧なる器
知恵は知識から生まれ智慧は深理への理解から生まれる
十徳目の智慧の徳目に関してお伺いすることを御許し下さい。智慧(ちえ)について御説きになっている九つ目の徳目に「智慧とは研ぎ澄まされた器である」とございます。我々は自分の「器」をいつもいつも、自分でいっぱいにしてしまっていて、「こうでないと私はだめだ」「これがないと死んでしまう」「こんなはずはない」等、握りしめた想いで満たしてしまっているのではないかと思います。その握りしめた想いを、「器」から一気に流し出してしまえたら、そこには只、そのものがあるのではないかと思います。器を研ぎ澄ますとは、こだわりの想いを捨て続けて、一時的ではなく、本当に捨てきった姿のことではないかと思いましたが、その様な考え方で宜しいでしょうか。(神奈川・S)※本問答は2015年1月・343号のものです。
2014.07.01
過去への祈り
過去の事実は変わらずも付随する因子群を変えることは可能
過去への祈りは通じるとも通じないともいえるのでしょうか。あの時、苦しまないでいられましたように、と他の人への祈りをすることがあります。(京都・S)※本問答は2014年7月・337号のものです。
2014.04.01
超える意識
この世に支配された意識はそれ以上の世界に不安を覚える
2013.09.01
神なる絶対的喜び
諸法は実相にして一切の苦は忽ちにして悦びと転ずる
神は「絶対的悦び」の存在である限り、この世の一切皆苦の本質は悦びなのだと思います。日常では様々な事に心を煩わされ、つまらないことに一喜一憂してしまうのですが、全てが因果の精緻な法則に因って起きていることであり、成長の為に起きていることであると気付けると、感動と共に、一瞬に、「苦」は「悦び」に変わります。また、修行を積めば、先ず「苦」と思う意識もなくなり、全てを「悦び」として受け入れられるのでしょうか。(東京・N)※本問答は2013年9月・327号のものです。
2009.07.31
死後の迎え
自己の宗教に応じた迎えがあるのか
『チベット死者の書』で、死後、チベット(インド)的な仏神の来迎が描かれていますが、自己の宗教に応じた迎えがあるということでしょうか。(ネット関係 30代))
2009.07.30
神と人間
霊的レベルの低い存在に神を感じるのは
木や石のような霊的にレベルの低い存在に神を感じ、人間のように霊的レベルの高い存在から神を感じにくいと思うのは何故でしょうか。(医師 30代)
2009.07.10
香りと臭い
四季の香りや様々なにおいの意味は
四季の香りを感ずるとうれしくなります。感じる香りは神様のプレゼントのように思いますが、何を伝えて下さろうとなさっていらっしゃるのでしょうか。お香、お花、お料理、トイレ等の「におい」が有るのですが、どうしてでしょうか。(事務職 20代)
2009.06.28
夢の世界
夢についてお話し頂ければ幸いです
現世の夢、霊界での夢、共に夢を現実と思っている訳ですが、地獄界も夢、現世での悪夢と考えてしまいますが、夢についてお話し頂ければ幸いです。(美術関係 28歳)
2008.09.02
十界互具
地獄にも救いがあることを開示
仏教では、地獄から仏までの十段階の世界(十界)があり、それぞれの世界の中にまた十界があると説きます。 全ての存在に仏性があるとすれば、仏以下の世界に仏界があるのは当然と思えるのですが、仏の世界に地獄や畜生といった境地が存在するというのは、何を意味するのでしょうか。
2008.09.01
諦め
体を動かす人は着心も去っていく
「諦める」ということについての質問です。自分で諦めたと考えていても後で何らかのきっかけによって諦めきれていなかったことが度々あります。すっきりと諦めていくことができるにはどうしたらよいでしょうか。
2008.08.17
慈愛
衆生への慈しみと衆生の悲しみを共にす
「慈悲」の意味を辞書で調べると「いつくしみあわれむこと」とあり、「慈しむ」とは「かわいそうに思う、あわれだ」、「哀れむ」は「かわいそうに思う、不憫だ」とありました。この意味でよろしいのでしょうか。また「慈愛」との意味の相違をお教え下さい。
2008.08.05
大自然の恵み
正しい感謝の念はあなたを救うことになる
どんなに愚かな身でも、大自然の恵みを感じ、ほんの少しでも感謝する心を持っていれば救われるでしょうか。
2008.08.04
輪廻
神は自然の理を通して霊魂の転生輪廻を示して下さってある
今日一日の命を頂き明日が来るという事は、その日一日を大切にし、少しでも前向きに(神様に感謝し)生きるように神様が導いて下さっているということなのでしょうか。
2008.07.20
慈愛
渇愛こそが一切の根本苦なり
「十二因縁」の中に「愛」があります。
瞑想録では「愛着、愛欲、盲執」と説明してあります。
意味は違うと思いますが、キリスト教で説く「愛」と同じ字であるのが、納得しかねます。