管長の修行問答
気付き・智慧
2024.03.03
苦悩と現実
自然の中で豊かな感受性に目覚めることが出来ると改善する
日々現実に向き合い生活している中で、否が応でも悩み苦しむことは生じます。苦果を得て苦しめば、その因は果たされ終わるものと思いますが、と同時にまた何らかの悪因を積んでしまうのが私たち凡夫であり、果てしない苦のサイクルからなかなか抜けだせません。その悩み苦しむ際に、その苦しみ方にも、より向上に向かう苦しみ方があるのでしょうか。単に自分のことだけに終始したことを思い煩う苦しみと、他のためを考えるがゆえの苦しみとでもまた意味合いが違ってくるものでもあると思いますし、その時に自分がどのような念を持つかということも大きく作用すると思います。できるだけより向上へと向かうためには、悩み苦しむ際に、どのような点を心がける必要があるのか御教示いただきたくお願い申し上げます。 (東京・K) ※本問答は2019年10月・400号のものです。
2024.02.25
幼少期の体験
脳の錯覚は空仮中の心理を把握するための機能の一部
宇宙原理の御講話で「物質は全て量子レベルで見ると揺らぎの中にあり、物質を実在の固体と感じるのは錯覚」というご主旨を伺って、ふと幼少時の体験を思い出しました。それは不意に訪れる感覚で、特殊な磁場の別次元に居る様な、重力や空気圧が何百倍にもなり自分を締め付けてくる様な感覚でした。体の周囲に凄く強い磁場のような力が遍満していて、それを強烈に感じているようでした。大体、その感覚は突然現れて数分続くのがパターンでした。追いかけると消えてしまい、不自由だけど嫌でなく、心地よく浸っていました。ああまた来たか、と感じながら、日常の感覚や世界は絶対的なものでなく自分がそう認識しているに過ぎないのかなと、自分なりに感じていました。その体験は幼少時は頻繁で、中学くらいからすっかり減りましたが、二十代に御指導を頂くようになった後、瞑想時や入眠時に時折復活した時期がありました。御講義を聞いた時にふとその体験を思い出しました。人間のこの世での錯覚感について御教えいただければ幸いです。 (千葉・N) ※本問答は2019年10月・400号のものです。
2023.08.01
あなたという〈私〉
現象の一切がアーラヤ識から放出され同時に帰一し続ける
嫌な感じを受ける人に会って、この人は自分と同じタイプで悪い面が出ているのではと感じることがあります。これは自分への戒めとしてそのような方に出会わされているのでしょうか。もしくはその人に対して(上から目線のものでなく、自分も陥りやすい弱点として助言するなりして)成長の機会をつくる役割を求められているのでしょうか。(東京・M)※本問答は2023年8月・446号のものです。
2022.08.01
前兆
物事には必ず何らかの前兆があるので気付く習慣をつけよ
これまでの人生で経験した大きな問題やトラブルを思い出したとき、それらが生じる前に、今のは少しおかしいとか間違っているのではないか?と瞬間的に感じていたにも拘わらず、それを訂正したり、正しく対応することができず、問題を生じてしまったことが何度かあることに気づきました。その原因として、頭が固くなっていて周りが見えていなかったことや経験が不足していたことなどを考えていますが、如何でしょうか? また、問題を生じさせないために、そのように感じたときは立ち止まってもう一度全体を眺めて正しいかを判断することと、できれば他人に相談することも必要ではないかと感じています。対応につきまして御指導よろしくお願い申し上げます。(福井・W)※本問答は2022年8月・434号のものです。
2022.07.01
論理的思考
理よりも感情を中心に想像展開させる訓練から入るとよい
論理的に考えるというのは、どのように考えることでしょうか。自分は考えるのが苦手です。又、論理的に考えるために普段、どのように心がけて生活するべきでしょうか。(三重・K)※本問答は2022年7月・433号のものです。
2021.10.01
パラリンピック
身障者たちの生き様は健常者たちに多くの事を教えている
ハンディある人たちが頑張っている姿に、障がい者スポーツを観る機会がなかった私は、ただただすごいなーと尊敬あるのみですが、「それぞれの人生」ということを改めて考えさせられたパラリンピックでした。最初は、腕のない、足のない、目の見えないアップに、辛い気持ちがあったけど、多様なハンディを感じさせない健闘をしている選手たちを観ているうちに、いつのまにか、可哀想という気持ちではなく、普通に競技者として応援していることに気が付きました。選手たちを通じて人間の可能性を見せつけられ、自分はあのように生きることに一所懸命だっただろうか、と内省しております。パラリンピックについて御言葉を頂けたら有難く存じます。(神奈川・T)※本問答は2021年10月・424号のものです。
2021.04.01
太霊の作用
有為と無為との世界の中で正しく感応することは難しい
最近「何かが頭に〝思い浮かぶ〟って、いったい何なのだろう」とよく思います。「なぜ、こんなことが思い浮かんだんだろう」「思い浮かぶ、というそれ自体凄いことではないか」と思うことも多いです。後から振り返って、自分を飛躍させてくれた地道な行ないを「これやらなきゃ」とあの時、何故思い浮かんだのか。それはどこからやってきたのか。自分の疑問をずっと考えていて、何故、ふと色々な出来事がつながり、ある見解が頭に思い浮かんだのか。こういったことは、自分の記憶からでない、自分の思考からでない、他者の出現、本体の出現ということもいえるのでしょうか。霊の関与なのかもしれません。以前管長より「自分で考えていると思っているかもしれないが、考えさせられている」と伺ったようにも記憶しています。そう思うと、日頃直接影響を受ける、部屋などの環境を整えることや、出入りする場所、触れるものは清浄であるよう気を付けないといけないと思います。御教示頂けますと幸いです。(東京・U)※本問答は2021年4月・418号のものです。
2021.03.01
生命の神秘
禅と思惟と捨身こそが真実の超越せし世界を出現させる
春めいてきて、植物の芽吹きを見る度に感動します。これは一体何の力なのだろうか、と考えたのですが、物質のレベルでいえば、遺伝子の情報どおりに物質の様相が変わり、変化していることです。でも、その変化は何のエネルギーによって行なわれているのか…きっと道に違いない!と思いました。そして感動を与えてくれる。生命に感動するのは道のありようだからでしょうか。(東京・U)※本問答は2021年3月・417号のものです。
2021.01.01
情報過多の時代
何事にも真逆の意味が有され自身で思考する習慣が必要
機会がありましたら、お聞きしたいと思っておりました質問をさせていただきます。世の中の動きが気になるため毎日様々な情報に触れますが、真偽の定かでないものが多くあると感じております。学生と接する機会があるため、偏りのない指導ができるよう、自分自身はできるだけ真実に近い情報に触れたいと感じております。真実を見極めるために必要な目と耳を養うためにはどのような努力が必要でしょうか。(兵庫・F)※本問答は2021年1月・415号のものです。
2008.07.23
霊光
光、大自然の全てが神を表現
夢窓疎石の「夢中問答」に「古人云はく、人々各霊光を具す。円学経に大光明蔵三昧と説けるも、一切衆生本具の霊光なり」とあります。
この「霊光」を「大いなる光」と同一のものと捉えてよいですか。
また「大いなる光」について仏典ではどのような言葉で表わしているのですか。