管長の修行問答

2021.04.01

太霊の作用

有為と無為との世界の中で正しく感応することは難しい

最近「何かが頭に〝思い浮かぶ〟って、いったい何なのだろう」とよく思います。「なぜ、こんなことが思い浮かんだんだろう」「思い浮かぶ、というそれ自体凄いことではないか」と思うことも多いです。後から振り返って、自分を飛躍させてくれた地道な行ないを「これやらなきゃ」とあの時、何故思い浮かんだのか。それはどこからやってきたのか。自分の疑問をずっと考えていて、何故、ふと色々な出来事がつながり、ある見解が頭に思い浮かんだのか。こういったことは、自分の記憶からでない、自分の思考からでない、他者の出現、本体の出現ということもいえるのでしょうか。霊の関与なのかもしれません。以前管長より「自分で考えていると思っているかもしれないが、考えさせられている」と伺ったようにも記憶しています。そう思うと、日頃直接影響を受ける、部屋などの環境を整えることや、出入りする場所、触れるものは清浄であるよう気を付けないといけないと思います。御教示頂けますと幸いです。(東京・U)※本問答は2021年4月・418号のものです。

大変よい思考である。知識に溺れた思考ではなく本質に根付いた思考が出来ることは、あなたが優秀なことを意味している。大いに結構である。

何か思い浮かぶ、と言っても人によっては妄想が次々と浮かんでくる人もいれば、本で読んだ知識が次々と浮かんでくる人もいる。本の知識はまだしも妄想に陥る人は、その霊性を傷付けていくので注意しなくてはならない。

妄想は欲から生まれるもの、不安から生まれるもの、猜疑心から生まれるもの、器質的脳の損傷から生まれるものに大別できる。そのどれもがあなたにとっては何の役にも立たないどころか害毒となるものだ。そういう妄想に生きている人のなんと多いことか。見るからに不安そうな人の妄想は容易にイメージ出来るが、意外にもやり手の人物の中に過度の欲望や傲慢から自分と関わる人に猜疑心を抱く人が多い。歴史的には権力の座に就いた者には全員にこの性格が出現している。正しくは権力を願望する者には必ずこの猜疑心がセットになっていることを意味する。

この様に「頭に何かが思い浮かぶ」は霊性が優れていない場合には、誤った方向へと向かうので注意を要するのである。幸いあなたは優れているので大丈夫だ。

では、何故あなたの様な霊格の高い者にその様なことが生じるのかを述べよう。それを理解するためには二つの原理が作用していることを知らなければならない。

一つは太霊の作用である。

一つは脳(身体)の作用である。

この両者が連繋してこその体験であることを理解する必要がある。片方だけでは感受することは出来ない。

 一切のものは太霊に支配されている。それは二種に別せられる。一つは有為(この世的なるもの)であり他は無為(涅槃的なるもの)である。有為の世界にあって太霊は神が如くに感じられ一切の生命に受け入れられるのである。しかし、無為の世界では太霊は恰(あたか)も存在しないかの様に存在する。我々にとって原子や分子が存在しているという実感を伴わないと同じ様にである。だが太霊の力は常に霊に作用し続けているのだ。

一方、我々生命は肉体を持つ。生命は太霊のエネルギーにより生かされていると同時に、身体の機能として「心」に太霊からのエネルギーが感受されるように作られている。あなたはこのシステムにより〝思い浮かぶ〟現象が続いているのだ。誰も彼もがこの機能を有効にしているわけではない。その意味であなたは優れている。

ところが似た様なことを体験する人たちがいる。精神世界主義者たちだ。彼らは思考することなく感性優位に立ち「何か」を感受するのであるが、それも太霊の残滓(ざんし)ではあるが、気持ちいいだけで深くなることがない。その点、あなたは正しく思考し正しく実践し正しく修行の何たるかを理解している。太霊との感応がなされていることを意味する。肉体がある限りこの感性とこの思考は重要である。更に先には一切を超越した仏陀の世界がある。