管長の修行問答

2014.01.01

自分とは何か

人は六根に支配され真の己に辿り着ける者は皆無である

自分の事を分からないというのは言葉ではとても不思議だと思うのですが、なぜそういうことがあるのでしょうか。※本問答は2014年1月・331号のものです。

そう思えるのはあなたが優秀だからである。誰一人として自分のことが分かっている人はいないのである。にも拘らず分かった様な顔をしているのは、深く自分を考えることがないからである。人の生とは常に自分を意識することから始まっている。その意識とは、実に表面的なものでしかない。眼耳鼻舌身意の六根に支配されし我々の意識は、肉体の束縛から逃れることが出来ず、意識もまたその肉体からの感覚と欲望と苦痛とに支配され、そこを離れて真実の自己を見出すことはないのである。

だから、自分の事が分かっている人というのは、単にこの世的に出世し、安定した生活の中で、単に冷静でいられるというレベルに過ぎないのである。物事を冷静に対処することが出来る人たちは皆、自分のことを能く理解出来ているものと錯覚しているのである。しかしそれは日常的に感情的な人間か理性的な人間かの違いに過ぎず、神性的な人間というのとは異なるのである。この神性的な人間だけが自分の事を正しく理解出来るのであって、俗に言う理性などという人間の価値概念が入り込んだ意識などではないことを理解しておく必要がある。但し神性と言っても信仰心とは異なるものである。