管長の修行問答

2013.11.01

多重的宇宙(霊界)

何もかもが常に変化し続け自己の世界だけが見え続ける

①いくつもの次元が存在し、人の心(魂)のありようで自分が今感じている世界(宇宙)が変わるということ…その真実を心の糧として生きています。重なり合った宇宙の共通部分も人の霊界によって違うのでしょうか…と思います。人類の(民族の)共通項は重なり合った宇宙(霊界)に存在するのでしょうか。(東京・S)
②嫌味な同僚を受け入れようと努力を続けていたところ、向こうから話しかけてきたり、温かく明るい笑顔を見せてくれるようになりました。私たちは人間として形が固定されていますが、魂が混ざるような因縁が混ざるような感覚と、湧き上がるような大きな歓びを感じました。何かが果てて、何か新しいものへと繋がっていくと考えてよいでしょうか?(東京・U)※本問答は2013年11月・329号のものです。

①そういうことを思考することは、大変に良いことである。仮令それが未熟であっても、考えるということは素晴らしいことだ。況してや、凡そ誰も考えることのない宇宙について、思考を巡らせることは優れたことである。そこであなたは、多次元宇宙に於ける共通項を問うているが、それは難しい。多分基本は同じと思われるが、微妙にズレが生じていく分、何もかもが、微妙な異質性を持っているのではないかという気がする。

そういう意味では、宇宙とは違い、霊の世界については、もっと明瞭である。共通項は「神」である。或いは「善」である。或いは「力」である。極めて単純明快である。

しかし、それらは共通するが、それら以外は果たしてどこまで共通するかは不確かである。霊相も容姿も全く異なるものであり、所謂衣食住なる概念も全く異なっている。それは、地球人と宇宙人なる心象などというレベルを超えた違いである。その意味では、多次元宇宙が同一の価値基準の中に在るかと問われれば、否といった方がより正解に近いのかもしれない。


②それは一つの進歩である。ステージが一つ上がる程であったなら幸いである。「魂が混ざる」「因縁が混ざる」とはいい表現である。そうやって人は成長していくのである。その事に気付けた君はとても素晴らしい人間と言えるだろう。その自他の融合こそが、神の御経綸であるからである。我々はただその事を理解する為に、この世に降り、修行させられているのだ。決して金を儲けることや出世することやエリートになる為ではない。

何らかの因が果て、次の因へと繋がっていくのだ。善なる因のもとでより深く自己の魂が旅をし、深い境地へと辿り着けるならこの世も満更捨てたものではない。