管長の修行問答

2008.09.21

目標と希望

中年以降はゆったりとした時を確保することが大切

仕事、家庭、気功と頑張っていますが、すかっとするような希望がありません。それぞれの生活目標を達するだけで、ひいひい言っているような状態ですが、自分の具体的な日常の目標をクリアしていくことに努力し、時々、長期的視野でボーッと自分のやりたいことを考えていくということでよろしいでしょうか。(サラリーマン 38歳)

戦後の教育は日本人に希望を与えなくなった。
その代わり、目前にテストを配置し、それを以て人生の目的と勘違いさせてきてしまったのである。
自分で考えることが出来ない小学生に始まり、いつの間にか、大学受験が人生の最終目標が如くに錯覚させられてきた。

その結果、肝心の成人の時に、自分の人生の完成設計図が存在しないことに気付かされるのである。
おまけに、現代は昔と違って、職業選択の自由が与えられている為に、欲が出てしまい、なかなか決めかねてしまうのである。

何より、この平和な時代にあると、今日の食事の心配がないことで、職業に対する必死の思いが欠落し、その分、余裕を持った心が、贅沢な自分探しを始めたのだ。
しかもその自分は、いよいよ現実逃避へと向かう傾向を示す。

さて、あなたは如何だろうか。
本来、男とは仕事に希望を見出すものであるのだが、その仕事に見出せないとなると転職するしかない。
しかし、あなたの様にいい年になるとそうもいかないものだ。

果たして、あなたが望んでいる希望とは何なのだろうか。
もう一度、真剣に考える必要がある。
往々にして、我が儘であることが多い。
高い志を有する場合もある。

若い時は諸々の情熱によって衝き動かされていくが、年と共に、それらの欲求が減退すると同時に、意欲までが失なわれていき、それまで、どこかで感じていた希望が見出せなくなってしまうものである。
それは、表面の意識(理性)が、自分の後半生への不安、自信のなさを感じ始めたことによるのだ。

たぶん、あなたは無理をして頑張ってきたのだろう。
きっと心から楽しんでこなかったに違いない。
もし楽しんできた場合には、いまに到っての急激なホルモン分泌の減少を意味してくる。
いまのあなたは、鬱になりかけている可能性があるから注意すること。

いまあなたに必要なのは、ゆったりとした時間である。
それは頑張らない時である。
何もかもから解放される時であるのだ。

その上で、改めて、将来への希望を再びと抱けばよい。
大それた希望など必要ない。
『ゆったりと心落ち着く時』の獲得を一つの目標としてみるとよい。