管長の修行問答

2008.08.17

慈愛

衆生への慈しみと衆生の悲しみを共にす

「慈悲」の意味を辞書で調べると「いつくしみあわれむこと」とあり、「慈しむ」とは「かわいそうに思う、あわれだ」、「哀れむ」は「かわいそうに思う、不憫だ」とありました。この意味でよろしいのでしょうか。また「慈愛」との意味の相違をお教え下さい。

不充分である。辞書で調べるなら、仏教辞典を用いるべきである。
特殊な用語というものは、そのようにしないと、正確な意味を解することが出来ない。

さて「慈悲」だが、読んで字の如し。慈しみと悲しみである。
仏なりが、有情(一切万物)に対して、愛情豊かに慈しむと同時に、有情の苦悩、惨劇を前に自分のことのように、否それ以上に悲しまれる―ということである。

原義は梵語のマイトレーヤ(友)カルナー(呻き)。
すべての人の苦しみに対する友情と、すべての人の苦しみに対する思いやりの意味から来ている。
それが、中国を経る中で、更に深い意味付けへと変わってきたものである。

慈愛は、慈悲の慈の部分が強調されたものである。
しかし勿論、悲の意味合いがないということではない。
愛には、悲しみが内在するものである。
その意味では同義と解することも出来る。

が、やはり、慈悲をもって、仏の世界は語る方が似つかわしい。