管長の修行問答

2024.02.25

幼少期の体験

脳の錯覚は空仮中の心理を把握するための機能の一部

宇宙原理の御講話で「物質は全て量子レベルで見ると揺らぎの中にあり、物質を実在の固体と感じるのは錯覚」というご主旨を伺って、ふと幼少時の体験を思い出しました。それは不意に訪れる感覚で、特殊な磁場の別次元に居る様な、重力や空気圧が何百倍にもなり自分を締め付けてくる様な感覚でした。体の周囲に凄く強い磁場のような力が遍満していて、それを強烈に感じているようでした。大体、その感覚は突然現れて数分続くのがパターンでした。追いかけると消えてしまい、不自由だけど嫌でなく、心地よく浸っていました。ああまた来たか、と感じながら、日常の感覚や世界は絶対的なものでなく自分がそう認識しているに過ぎないのかなと、自分なりに感じていました。その体験は幼少時は頻繁で、中学くらいからすっかり減りましたが、二十代に御指導を頂くようになった後、瞑想時や入眠時に時折復活した時期がありました。御講義を聞いた時にふとその体験を思い出しました。人間のこの世での錯覚感について御教えいただければ幸いです。(千葉・N) ※本問答は2019年10月・400号のものです。

その年齢には大なり小なり多くの人が不可思議な体験をしているものである。大脳生理学的には十歳にして脳が完成することに伴う感覚の試行が為されているということになるのだろうが、霊的には、霊界へと通じる次元を体験させられているのだと私は考えている。私も同様にこの時期に於いて時間が無制限に速く進む恐怖というか不安の体験を毎月していたのであるが、広くは同種の体験と思われる。たぶん大人になってこの様に求道に生きる者たちというのは多かれ少なかれ、この種の体験をさせられているようである。言い換えれば豊かな感性を持っていることを意味する。悟りへの道程は感受性を抜きに語ることが出来ないからである。

遂にはその感受性を脱ぎ捨てねばならぬのだが、そこまではこの感受性こそが事象を見誤ることなく正しい道へと導いていくからである。その正常な能力を身に付ける道程の中でその様な体験をすることになるのである。その意味で鈍感な者に正しい道を求める力はなく求めようとしても正しい道が顕われることはないのである。

脳は常に錯覚の中にあるということが出来るのだが、その錯覚は決して意味のないものではない。空なる世界を仮の世として形有る世界として認識するのは脳である。それは錯覚であると同時に仮としての真実(所謂現実)であるのだ。その空と仮を統合し中として把握するのも脳の働きである。その働きを裏で支配しているのが霊であるのだ。実に感性こそが実は真実への第一歩なのである。