管長の修行問答

2024年02月

2024.02.25

幼少期の体験

脳の錯覚は空仮中の心理を把握するための機能の一部

宇宙原理の御講話で「物質は全て量子レベルで見ると揺らぎの中にあり、物質を実在の固体と感じるのは錯覚」というご主旨を伺って、ふと幼少時の体験を思い出しました。それは不意に訪れる感覚で、特殊な磁場の別次元に居る様な、重力や空気圧が何百倍にもなり自分を締め付けてくる様な感覚でした。体の周囲に凄く強い磁場のような力が遍満していて、それを強烈に感じているようでした。大体、その感覚は突然現れて数分続くのがパターンでした。追いかけると消えてしまい、不自由だけど嫌でなく、心地よく浸っていました。ああまた来たか、と感じながら、日常の感覚や世界は絶対的なものでなく自分がそう認識しているに過ぎないのかなと、自分なりに感じていました。その体験は幼少時は頻繁で、中学くらいからすっかり減りましたが、二十代に御指導を頂くようになった後、瞑想時や入眠時に時折復活した時期がありました。御講義を聞いた時にふとその体験を思い出しました。人間のこの世での錯覚感について御教えいただければ幸いです。  (千葉・N) ※本問答は2019年10月・400号のものです。

2024.02.21

毎日の修法と無心

時時感謝し謙虚の憶いであるが儘(まま)に生くるを無心という

①説法会で、日常そのものが修法であるとの御話を賜りこれまで漫然と過ごしていた日常が一本芯の通ったものに変わりつつある、変えようと思っています。以前より、仕事ではルーティーンが最も大切であること、その日やるべきことをその日に終わらせること、ルーティンを手抜きする者はいずれ痛い目に遭う事になるのが天の定めであるという御言葉を頂いたこともありました。現状では、面倒くさいなと思っても、やるべきことをやると気持ちが良く、心が澄むような感覚があります。なぜやるべきことをやることが大切なのかと考えると、それは宇宙の運行そのものが規則正しく営まれていることに通じるからかなと思いました。素直にやるべきことをやっていくことで、真にやるべきことが眼前に明らかとなり、その先に解脱もあるのかもしれない、と感じましたが如何でしょうか。(神奈川・N) ②朝起きて無心で淡々と生活してみようとして、無心が結局分からない事に気がつきました。考えない事なのかと思いましたが頭の中では雑念が湧きっぱなしです。集中して今やっている事だけ考えるのか、今の目の前の事を感じるのか、数字を数えてみるのか、そんなのとはそもそも違うのか、さらなるご教示お願い致します。(神奈川・S) ※本問答は2022年2月・428号のものです。

2024.02.21

地鎮祭

土地神様を鎮める為の子孫に伝承すべき大切な儀式である

最近建物が建つ前に地鎮祭を行なっている様子を見ないような気がします。私は地鎮祭は必要なのではないかと思っているのですが、そもそもの考え方を教えていただければと思います。(東京・S)※本問答は2013年8月・326号のものです。