管長の修行問答

2023.08.01

あなたという〈私〉

現象の一切がアーラヤ識から放出され同時に帰一し続ける

嫌な感じを受ける人に会って、この人は自分と同じタイプで悪い面が出ているのではと感じることがあります。これは自分への戒めとしてそのような方に出会わされているのでしょうか。もしくはその人に対して(上から目線のものでなく、自分も陥りやすい弱点として助言するなりして)成長の機会をつくる役割を求められているのでしょうか。(東京・M)※本問答は2023年8月・446号のものです。

人生とは人との出会いであることは周知の事である。だが、その一切がアーラヤ識の種子(しゅうじ)から出てきたものであることを知る者は稀である。我々が目にする一切のものでアーラヤ識から出ていないものはない。あなたという〈私〉は〈私の人生〉を歩んでいるつもりであるのだが、そこに現われてくる人々は〈別なあなた〉即ち〈別な私〉であることに気付かなければならない。赤の他人と思っている人々もすべては〈私〉に集約されることこそがアーラヤ識縁起(えんぎ)の成(な)せる業(わざ)であり、すべてがアーラヤであることを意味するのである。

あなたの目前に出現してくる人も物も事柄も時間経過も空間の移動も事件も衝動も六根の躍動もすべてがアーラヤ識に帰一するのである。そしてその力は常に軌道の修正を迫ってくる。即ち執着という穢(けが)れを取り除かせようとする働き(作用)である。それは不可思議な力を用いて〈私〉を修正しようとするのである。

それは過去と現在の鬩(せめ)ぎ合いということも出来る。即ち過去のカルマと現在の果を如何に受容し昇華するかということでもある。つまり、目の前の一切が常時〈私〉に語りかけているということである。あらゆる事をあなたという〈私〉に投げかけているのだ。それをどう受け止めるかがそれぞれの〈私〉の違いということになる。

あなたが嫌と感じる相手は、あなたのタイプそのものであるかも知れないし、対極のタイプかも知れない。何であれ、その相手からあなたはコミットされたのであり、またあなたがコミットしたのである。そこには過去世のカルマが作用し縁という力が作用して現象を出現させたのである。それに触れるのも無視するのもあなたの自由だ。

あなたが捨受として苦でも楽でもない心で受け止め流すことが出来るならば、あなたは次へと向上する。どう関わるかのすべてがあなたの自由意思によって決定されるのである。あなたは自由だ。常に自由の選択権が与えられている。そして今もあなたは何かを思い選択し決断実行する。それがあなたという〈私〉である。そしてあなたの眼に映る彼らもあなたの〈私〉に他ならないのである。