管長の修行問答

2021.10.01

集中力

心の中の諸々のマイナス意識を除けば集中力が戻ってくる

心がないとはどういうことか、気になっています。自分がやっていることに集中できず、たとえば神棚に手を合わせていても何かしら思っている。仏壇に手を合わせていても他のことを思っている。一つのことをやっていてもいつも他のことを考えるというか、思い出しているという感じです。人の話も聞いたふりをしてるけど何か思っていて、チャンと聞いてない、ということに気付きました。心がないとは、こういうことでしょうか。 よく解りません。 心があるとはどういうことなのか、どうすればあるようになれるのか、お教え頂けますようよろしくお願いいたします。(神奈川・K)※本問答は2021年10月・424号のものです。


あなたは実に立派である。自分の姿に気付ける人はそう滅多にいるものではない。実に素晴らしい。人間は自分の欠点や弱点に気付くことからしか進歩することは出来ないからである。その克服こそがあなたを優れた人格とそして霊格へと向かわせることになるのだ。

仏壇に手を合わせていても他のことを思っている、ということであるが、それ故「心がない」と自己分析されているが、果たしてそうだろうか。心がない人が仏壇を購入し親や先祖を供養するだろうか。何より手を合わせるだろうか。あなたには「心」は有るのだ。ちゃんと心が有るから毎日ご先祖に手を合わせるのである。だから「無い」のは心ではなく集中力ということになる。

学校において理解できる子とできない子の差は頭の良し悪しではなく集中力であるのだ。家庭が不和であったり、虐いじめられていたり、何か悩みがあったり、別なことに興味があったりする子は勉強に集中できず、成績は上がらない。頭が悪いと思われる。それと同じである。あなたは何か別なことに心が引かれ集中できないだけであるのだ。だから「心が無い」と思う必要はない。むしろ、他の事に心を向けてしまう何らかの執着、マイナスの意識について分析してみることである。そうすると、仕事や家族のこととか、何か気になっていることが有ることに気付くだろう。それがあなたをして「心が無い」と言わしめている原因である。

人は誰しも安らかでいたいと願っているものだ。しかし現実は諸々の苦悩が付いて回ってくる。その結果、その悩みに振り回され、物事に集中できなくなるのである。心が疲れる、という現象はしばしば頑張っている人を襲うものだ。そういう時には太陽の下で上を向いて前を向いて歩くことから始めるといい。そうすれば心が解放され、あなたに集中力が戻ってくるだろう。両親のことや兄妹のことを一時間ずっと思うことが出来るようになるものだ。