管長の修行問答

2021.10.01

パラリンピック

身障者たちの生き様は健常者たちに多くの事を教えている

ハンディある人たちが頑張っている姿に、障がい者スポーツを観る機会がなかった私は、ただただすごいなーと尊敬あるのみですが、「それぞれの人生」ということを改めて考えさせられたパラリンピックでした。最初は、腕のない、足のない、目の見えないアップに、辛い気持ちがあったけど、多様なハンディを感じさせない健闘をしている選手たちを観ているうちに、いつのまにか、可哀想という気持ちではなく、普通に競技者として応援していることに気が付きました。選手たちを通じて人間の可能性を見せつけられ、自分はあのように生きることに一所懸命だっただろうか、と内省しております。パラリンピックについて御言葉を頂けたら有難く存じます。(神奈川・T)※本問答は2021年10月・424号のものです。

全くもってその通りである。障害をものともせず健常者以上に頑張っている彼らを見ていると実に立派としか言いようがない。素晴らしい光景であった。健常者は多くの事を彼らから学んだはずである。また身障者の皆さんは多くの勇気をもらったに違いない。

それにしても思うのは、わが国の身障者に対するインフラの遅れである。ほとんど何もないに近い状態がいまだに続いている。公共トイレが車椅子で入れるようになったのがせめてもの救いではあるが、肝心の道路が全く整備されておらず、外に出たくても実に不自由であることに同情するばかりだ。その意味で健常者は身障者の手足となり彼らと出遇った時には即座に手助けをする心構えでなくてはならない。それを為さない者には神仏の助けもない。

慈悲心に欠けた因縁論者は身障者は自分の〈悪い〉因縁でそうなったのだから自業自得だ、と言うがそれは誤りである。身障者が健常者より霊的に劣ることはない。身障の因縁を持っていることより健常者が悪の心の障害を持っていることの方こそが、真に悪因縁である。身障は病気の一つであり、あなたが前世でなっていた姿であり来世でなる姿でもあるのだ。また今回のパラリンピックを見て学んだように、彼らの精神は健常者以上だ。彼らは弱い精神の健常者の導き手として存在していることを知る必要がある。健常者は身障者を通して多くの勇気と努力と困難の克服という強さを学ぶことが定められているのである。

あのヘレン・ケラーの素晴らしい精神を知らない者はいない。健常者こそ心の障害を克服しなくてはならないのだ。

身障者がいつも自由に外に出かけることが出来、自在に列車や飛行機や車に乗れる時代にしなくてはいけない。それは健常者が心の自由を獲得する時でもあるのだ。