管長の修行問答

2021.02.01

凡夫の第一歩

「やれるだけやる」は中途で投げ出す者のセリフに多い

私は、困難に出会ったとき、無理かなと思いながらも、「よし!やれるだけやってみよう。それでダメだったらしょうがない」と、腹をくくってしまうところがあります。その都度、単にあきらめているのではないか?とか、怠惰や逃げで「しょうがない」と腹をくくっていないか?と考えますが、正しく「腹をくくる」についてアドバイスをいただけたら大変有難く存じます。(神奈川・T)※本問答は2021年2月・416号のものです。

あなたの場合は常に「好き嫌い」が強く作用しているので注意しないといけない。好悪の感情思考は常に誤った答えしか導かないからである。さて、あなたが言うところの「やれるだけ」とは何を意味するか、である。同じく「腹をくくる」とは何か意識する必要がある。

「やれるだけやる」ということは、ほとんどどんなことも出来ることを意味している。しかし、あなたが言うところの「やれるだけ」というのは、やる気がある間、という意味でしかない。自分はやる気満々だったけど邪魔が入ったから出来なくなった、とか、本当にやる気のある人が百やるところを、自分はやれるところまでで十で諦めた、というのは、やれるだけやったことを意味しない。「腹をくくる」ということも、いざとなったら命を捨てるとか、借金を抱えたら何千万だろうが朝も昼も夜も働いて全額返済するとか、そういった覚悟のことを「腹をくくる」というのだ。

自分なりに一所懸命頑張って、でも途中で投げ出したことを「やれるだけやった」とは言えないし、「腹をくくって」事に当たったとも言えない。

つまり、一旦こうと決めたら、それを実現させるまでは絶対に途中で投げ出さないことを「やれるだけやる」というのである。失敗しても失敗しても失敗しても諦めずにやり続けることだけが「やれるだけやる!」なのである。大借金して首をくくることになったときはその時だ!と「腹をくくる」のである。

この事からも分かるように「やれるだけやる」「腹をくくる」とはその最終の結果として何らかの成果が見出されるということである。だから成果へと繋がっていないことを指して「やれるだけやった」というのは慢心でしかない。

勿論、真に困難なときがある。誰にもクリア出来ない状況になることはある。しかしそれは極めて稀なことで、その大半は当人の努力不足、行動不足、思慮不足でしかない。
世間でいう「やれるだけ」は本気でやる気がないことを意味し「腹をくくる」も嘘を吐くや他者を騙す程度にしか用いられない。要するに皆自分には甘い時代になったことだ。しかし凡夫の努力の第一歩はここから始まるのである。