管長の修行問答

2021.01.01

情報過多の時代

何事にも真逆の意味が有され自身で思考する習慣が必要

機会がありましたら、お聞きしたいと思っておりました質問をさせていただきます。世の中の動きが気になるため毎日様々な情報に触れますが、真偽の定かでないものが多くあると感じております。学生と接する機会があるため、偏りのない指導ができるよう、自分自身はできるだけ真実に近い情報に触れたいと感じております。真実を見極めるために必要な目と耳を養うためにはどのような努力が必要でしょうか。(兵庫・F)※本問答は2021年1月・415号のものです。

あなたには二つの方法を伝えよう。

①一つの情報について他国の意見を聞くことである。絶対に一カ所からの情報で判断してはいけない。幸いパソコンがあり言語の変換ソフトも優秀なのが出ている。それらを駆使すれば、あらゆる情報が手に入る時代になった。それ故に皆情報過多となり処理できなくなって混乱しているのも実態ではある。

しかし、先ずは世界中の意見に耳を傾けることだ。特に政治的文化的に対立しているところの意見を必ず視聴することである。そうすれば必然的に全く逆の見解があることに気付かされる。少なくともこの二つの見方を学生に紹介することで学生に偏った意見だけを紹介しないで済むことになる。

次にやることは、そのどちらの考えが正しいかを自分で考えることになる。その時に注意しないといけないのは、自分が生まれ育った所の教育的知識価値観を白紙にしておくことである。これが出来ていないと、判断は必ず間違うことになる。つまり、この人物に正誤の能力はないということになる。世の中の人は知識人になればなるほど洗脳度が高くこの傾向が強い。全員が愚者ということになる。

②今度は、何らかの議題命題に対して、一切の情報を入れ込まないというものである。必要な最低限の情報だけにして自分の頭だけで考える習慣をつけることである。例えば「地球温暖化」というワードからあなたはどれだけの思考が出来るか―ということだ。と言ってもこれは既に多くの情報をあなたは得ているのでもう役に立たない。では「今日」とは何か―と考えてみるといい。いままで生きてきただけの情報から「今日」について正確な答えを導き出す訓練である。「庭の草」でもいい。他者の意見情報が一切ない事柄について常に正しい答えを出す訓練をするのである。この時初めて、真に頭がいいか悪いか、物事を正しく見られているかいないかが分かる。この訓練を仕続けながら①のことをやれば、あなたも少しは賢くなるに違いない。人真似の意見は何の価値もない。自分で考えることだ!