管長の修行問答

2015.04.01

嗜好と無意識

その大半は母親と周辺環境によって決定されていく

自分が好きなものに関して、なぜこれが好きなのか?と考えていく内に、原因が分かるものと分からないものが出て来ました。好みの分野(嗜好性)に近いものは説明がつかない事が多い様に思えるのですが、(例えば、紅葉よりも新緑が好き、リンゴよりもみかんが好きなど)もっと自観を深めていけば原因が分かるものなのでしょうか。(神奈川・S)※本問答は2015年4月・346号のものです。

この種の物は、その大半が幼児体験に起因する。食べ物については、母親と同じものを好む様に生物は造られている。親が食べてみせたものを子も口にし、その味を覚え、それを基準として、その後の食生活が決定していくのである。

では、紅葉と新緑の好みの差はと言えば、生まれた季節との関係もあると言われている。しかし、これも最大の影響は幼児体験であり母親の影響が大きい。母親が紅葉と新緑のどちらをより多く讃美したかに起因する。つまり、子はそうやって親の洗脳にあっていくということである。そう思い込まされるのである。

更には、子ども時代に、そのどちらと多く関わったかで決定されていく。紅葉は目の前に常に存在する訳ではない。それに比べて新緑は春になれば辺り一面に見ることが出来、綺麗だという体験を重ねていくことになる。

また、子どもや若者にとっては勢いがある春や夏の方が生理的に受け入れ易く、淋しい感じがする秋や冬よりも好むという作用がある。こういうと、私は秋が小さい頃から好きという人もいる。それは、親の影響とその子が元気という点に於いて所謂(いわゆる)活発な子の類ではないことが多い。

それ以外にも、祖父母の関わりやお祭りが絡んでいたり何かの喜び事がその季節や風景と関わることで、人はより強く一方を好む様にもなる。

それまでの好みが一変するのは、恋愛体験による何らかの記憶がそうさせることは多い。また、愛する者の死や、自己の大きなトラウマ的事件が、それまでの好みを否定することもある。

この種のものは、深く考える必要はほとんどなく、そのほとんど全てが母親と周辺の人物と自然環境と人生という体験から決定付けられているものである。西洋人は西洋的なものを好み、アフリカの人はアフリカ的なものを好み、アラブ人はアラブ的なものを好む様に、それは明らかな生活環境の差でしかない。勿論、胎児の時も既に影響を受けているのである。前世の好みも影響がない訳ではない。