管長の修行問答

2014.09.01

終活と死後

最後の最後まで前向きに明るく霊の世界へ心向けて生きる事

死の備え「終活」がメディアでよく取り上げられ、エンディングノートを書く人が増えています。良い死を迎えるために備えておくべきことを、霊の観点、人間社会に於ける観点に分けて御教示頂けないでしょうか。(東京・U)※本問答は2014年9月・339号のものです。

終活は良いことである。しかし同時にこれは一つの社会現象を示している。つまり、人々が孤立して死ぬ様になったということである。昔なら、大家族制の中で人は多くの家族や親族知人に囲まれて死んでいったものだった。その様な環境にいる者は、日頃、自分の考えや経験を子や孫たちに伝えることが出来、思い残すことがない様にできていたのである。

突然の死に襲われることは寧ろ喜びであり、安心出来ることでもあった。ところが、いまや核家族を通り越し、孤独死が当たり前の時代に入っている。こうなった時に、多くの人は自己の精神的遺伝子を少しでも血の繋がらない子孫たちへ僅かでも伝えたいという無意識が、日記を付けたり、物の整理をすることで、自己の人生の整理へと繋げていき、それを通して、自分という存在を自分という一人の世界の中で明然とさせておこうとするのである。しかしその意識の背後には、出来得るならば、他者からの受け入れを無意識的に望んでいるのである。

しかし、それらが叶えられる可能性は極めて低く、人はその中で自分自身への結着として「終活」へと進んでいくのだ。それは、現代人の一つのけじめであり、自己への讃歌でもあるのであろう。

もしあなたもその一人なら、家の中の私物を極力少なくすることである。人が貰ってくれるものは上げ、そうでないものは、必要ないものから順番に処分していくことである。また、専門の業者に前金を払い、死後の処理についてきちんと依頼をしておかなくてはならない。毎日の生死の確認電話の契約もする必要がある。

だからといって、何もかもを処分すればそれはそれで淋し過ぎるので、きちんと整頓した状態で保存しておくといい。大切なものは、お棺の中に一緒に入れてもらい、荼毘に付してもらうと良い。

そこまで準備が出来たならば、あとは明るく仲間作りに励むことだ。お宮掃除のグループに入ったり、水泳教室に通ったり、お散歩仲間を作ったり、ネットや携帯で楽しむ術を覚えることである。そして本会のメンバーなら、毎日瞑想をすることだ。真理に心を向け、私の講話に目を通しながら死を迎えられる人は幸いである。