管長の修行問答

2014.09.01

夢の世界

強い意識で自己を改善しない限り夢も同様にしか見れない

人の夢の話を聞くと、映画のように波瀾万丈でストーリーがあったり、夢の中で色々思考したり、これは夢だとはっきり認識したりと、非常に鮮明なようで驚きます。私の夢は、もっとぼやっとして感覚的で、はっきりした印象が残っていません。夢を想い出そうという努力をあまりしていないせいかもしれませんが、ぼやっとした夢というのが、日常の自分の意識傾向と共通するようで、これは拙いのではないか、と最近気になっています。意識して改善すべきでしょうか。またこうした意識は、死後に悪い影響があるでしょうか。(東京・R)※本問答は2014年9月・339号のものです。

夢というのは実に面白いものである。因みに日本語も英語も夢という一単語に、眠って見る夢と、人生の夢との両方の意味を持たせているのは興味深い。世界中の単語を調べてみたいものである。それがもし人生の夢が儚いという意味だったとしたならば、何とも悲しい話である。

さて、夢の見方は人によってまちまちである。滅多に見たことがないという熟睡型から、いつも見ているという不眠症型まで色々ある。熟睡型も不眠型も見ている夢の時間はさして変わらないのであるが、熟睡型は見ても思い出せない為に記憶にないということになり、見ていないという誤認に到るのである。

生理学的には、夢を見ることで、起きている時に見たり聞いたり勉強したことを整理し記録させたり、或いは何らかの悩みや迷いなどに対し、解決させようとするものだったり、ストレスから生じる恐怖だったりするようだ。眠っている時に尿意を催し夢の中でするというのは正に短絡的な思考と夢の関係を示している。

更に夢には霊夢と言われるものがある。それには未来予測や病気の知らせなどがある。それは特別な雰囲気でいつもの夢とは明らかに切迫感が違っているのが特徴だ。

さて、あなたはボヤッとした夢を見るということだが、それは正にあなたが自己分析している通りである。意識して改善すべきである。改善するのは夢ではなく日常の自分の思考の有り方についてである。漫然と一日を過ごすのではなく、何らかの目的意識を明瞭に持つことにより、やるべき事も明瞭になるので、それに従って仕事をする様に心掛けるならば、改善されるだろう。

しかし問題は、現実的にそこまで自己を改善しようとする強い意志力が自分の中に在るのかということである。こういう事は、本気で改善行動を規定し実行しない限り無理であることも警告しておきたい。無論、死後にも影響する