管長の修行問答
2014.04.01
超える意識
この世に支配された意識はそれ以上の世界に不安を覚える
- 自分はこの世を超えた安心というものを求めて生きていると思いますが、この世を超えたもの気配を感じるとかえって寂しさや辛さを感じることがあるように思います。今の(この世の)この場所に、暖かいところから、切り離されて来てしまったというような気持ちがあると思います(この世的に満たされていれば、こういうことを感じないのかもしれませんが)これは私の認識が浅い段階だからでしょうか。求めていけば寂しさや辛さの向こうに光があるのでしょうか。(京都・S)※本問答は2014年4月・334号のものです。
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光は在る! 問題はその自覚がいつ生じるかにある。いつか、それは既に生じている。あなたは、その光を既に感じているが故に、この質問もして来ているのである。決して、叶わぬ夢ではない。既に叶い始めている筈であることを自覚すべきである。
本来、この世を超えたものを感じれば、心は穏やかとなり満たされ、幸福感を味わうものである。にも拘わらず、あなたは「寂しさや辛さを感じる」と述べている。
もし、その感じ方が通常のものであるならば、その多くは、家族との永遠の別れへの切なさに起因する。しかしそうでないならば、あなたが言う「この世を超えたもの」という認識に、問題があるということになる。
あなたが言う所の「この世を超えたもの」とは「この世より厳しい所」という認識があるのかもしれない。或いは幽霊が棲む世界というイメージがそうさせることもある。
もしそうだとしたら、そのイメージは払拭されなければならない。明らかな偏見であるからである。それ以上にこの世に対する依存心理が強いということなのかもしれない。依存心理は常に目の前のものに向けられるもので、一部の逃避型を除いては遠い物や観念的なものには向けにくい傾向にある。恋愛が遠距離のものは破綻し易く身近な人物への思いに移り易いことなどはその典型である。
つまり、あなたは現実主義的であるのだろうと思われる。この世を超えたものをイメージした途端に、現実の自分が惨めに思えてくるのではないかと思われる。そういうタイプの人はこの世的にある程度成功を収めないと、なかなか先に進めないものである。
ただ、あなたは既に、この世を超えたものに心が向いていることは確かで、この意識を持ち続けることが出来たならば、いずれ、心は平安に満たされる時が来るだろう。何故なら、現実主義の意識との折り合いがつけられる様になるからである。大安心はいずれ訪れるので楽しみに!