管長の修行問答

2014.01.01

新年の節目

何事も切り換えられる事で運を新たにする事が出来る

節目や切り替わりの時を正しく迎えることの大切さを御教え頂いています。新たな年を迎えるに当たって、日本人としての心構えを改めて御教示下さい。 (神奈川・R)※本問答は2014年1月・331号のものです。

その通りである。一年には正月という大きな節目がある。春夏秋冬という節目もある。盆暮という節目もある。二十四節気は天が定めた節目である。

その節目節目に於いて、人は何らかの思いを抱き、その時々の事情に従って事を成していくのである。最近、新学期を四月から九月へと替えようという動きがある。しかし、春、桜と共に新学期を迎えてきた日本人には、九月という時にはなじめないものがある。しかし、これとて文化として定着したならば、それも日本人の心象風景の一つとなり得るのである。その様にして、節目は作られてきた。

中でも、暮から正月に向けての一連の行事は、日本人の心に大きな豊かさと希望を与えてきたのである。師走の名の通り十二月は皆大忙しである。後半になればなるほど、その足どりは早くなるばかりだ。

さてあなたは暮に於て、一年の埃(ちり)を払い、心の垢(あか)を落とすことが出来ただろうか。更に餅を搗き、お鏡を供え、お屠蘇(とそ)の準備をし、門松、注連(しめ)飾りと準備が出来たならば佳き正月が迎えられる。その時には国旗を早朝より掲げることを忘れてはいけない。そして新年になれば元旦に身を浄めて朝の外気を取り入れて神棚に柏手を打ち新年を喜び家族と屠蘇を飲み、お節(せち)を食べるのである。そして神社参詣となる。この一連の行事を恙なく終えることが出来た家族にはその年の福がやってくることになる。

つまり、節目とは、決まった事を決まった通りに行為することであるのだ。個人にあっては、それは夫々に微妙な違いが生じていき、それがまた各家の風習として受け継がれていくのである。この伝統こそが、各民族を民族たらしめているのであって、この伝統なくして民族は民族になり得ないのだということを知っておかなくてはならない。

それ故、戦後伝統を喪失した我々は、その一つ一つを取り戻さなくてはならないのである。新年を迎える心構えとは正にこの一点にあるのだ。つまりは伝統の継承である。

毎年、機械が如くに繰り返される暮と正月の仕来りこそが、心構えそのものであるのだ。己の思惑を離れて、ただ決まった通りに、先祖より受け継いだものをそっくりそのままに後世に伝えていく、それが新年の心構えである。その上で、心新たに「必ずいい年になる!」「未来が再びと開かれていく!」と信じて、正月を迎え過ごすのである。