管長の修行問答

2008.09.02

十界互具

地獄にも救いがあることを開示

仏教では、地獄から仏までの十段階の世界(十界)があり、それぞれの世界の中にまた十界があると説きます。 全ての存在に仏性があるとすれば、仏以下の世界に仏界があるのは当然と思えるのですが、仏の世界に地獄や畜生といった境地が存在するというのは、何を意味するのでしょうか。

十界を先ず述べよう。
下から
1)地獄界・・・苦悩煩悶激痛だけに心を支配される世界
2)餓鬼界・・・金や物や各種の欲に激しく支配された貪欲の世界
3)畜生界・・・本能的欲求(自然的欲求)だけに働き動かされ支配された世界
4)修羅界・・・自我が強く心が曲がっていて素直でなく、闘争本能に支配された世界
5)人(間)界・・・普通の人間心理の世界
6)天(上)界・・・歓喜に満ちた世界
7)声聞界・・・四聖諦の理を聞いて煩悩を断滅し得る世界
8)縁覚界・・・十二因縁の理を把握し悟り得る世界
9)菩薩界・・・利他即ち一切衆生を救済せんとする慈悲の境地に達した世界
10)仏界・・・霊性完全なる境地。万法に通達し諸法実相なるを体得した最高無上妙智慧、慈光遍満せし世界。

1)から3)を特に三悪道、三悪趣、三途といい、6)までを六道と呼び、輪廻をくり返す迷いの世界である。
7)と8)を二乗といい、10)まで入れて四聖と呼ぶ。
この十界の各々が互いに更なる十界を具有している状態を十界互具という。

教学としては、中国の天台智顗が法華教の方便品等に拠って十界互具、理の一念三千の法門を確立したことに始まる。
大師は「己心を観じ十法界を観る」として、観念観法による一心三観を明らかとした。
そして、その著「摩訶止観巻五上」で、十法界は各定まった色心、意識、国土を有する、と説いている。
つまり、天台大師においては、十界は実在するものとして教えられているのだが、教化の際は、後の日蓮宗が説くような、自己の心の内に存する世界としてそれらが捉えられるようになったようだ。

つまりあなたの心は刻々常に転変しており、地獄の心に支配されたかと思うと、次には仏の境地を味わうこともあると説いたのである。
そして、心の中に十界三千世界が全て入っている、としたところから、一念は大千三千世界に満つるものとの教えを説いたのである。
また一心三観とは、衆生が発する一念の心の中に空・仮・中道の三諦(理)が円融相即して具わっていることを観ずるの意である。
つまり、迷いの中に在っても、悟が開かれることを示したのである。
宗派によって、その解釈は微妙に変わってくるものであるが、私が十界互具を説く時には、精神的面を強調している。
つまり、それぞれの心の中に、その様な世界が展開するという意味である。

しかしそうなると、あなたの疑問が出てくる。
それは、仏界における地獄を地獄界そのものと考え違いするからである。
仏にとっての地獄とは、凡夫にとっての天国だと思われたら分かりやすい。
また、仏・菩薩にあられては、常に衆生を思い母の如く父の如くに心を痛めておられるのである。
その状態こそが地獄であるのだ。
例えば、この世の中には大金持ちから乞食まで存在する。
ところが、乞食の世界にあっても金持ちと貧乏人がおり、大金持ちの世界にあっても貧富の差が存在する如きものである。
この十界互具の思想は、仏に地獄があるということよりも、地獄に仏があるという救いを示した大方便であるのだ。