管長の修行問答

2008.08.23

死の準備

力を抜いて自然の一部として死を迎えると良い

現在45才の健康な男性です。しかし、明日生きている保証もなく、それに対して死ぬための準備がまるでできていないことを反省し、身辺整理など準備を進めています。死ぬ準備ができてこそ、より積極的に生きることができると考えるからです。その中でお伺いしたいことです。家族には葬式や墓は不要、骨は迷惑にならない所に捨てるようにと頼んでありますが、よろしいでしょうか。

さて、あなたの文面からは、何とも言えない力みが伝わってくる。
力みがあるということは「何か」が間違っているということである。
その「何か」とは何か、あなたは考えないといけない。
ここから伝わるあなたは、とても高飛車である。
こういう事を言う私にも食ってかかりそうな勢いがある。
それは、あなたを優秀な才能へと導いてきたかもしれない。
独自の世界で、満足出来ているかもしれない。

しかし、私には「何か」が違う気がする。
一度、力を抜いた方が良い。
あなたの力みは、明らかに、偏ったものである。
とても攻撃的で、十代の尖った少年と対している感がある。
それ程に純粋な部分があるという表現も出来るだろう。
しかし、それでも、もう力を抜く年齢であることに気付かねばならない。

さて、質問にお答えする。
あなたが墓や葬式を不要と思うならば、何ら問題ない。
しかし、あなたの家族も果たしてそうなのだろうか。
家族も同様ならそれで良いが、そうでないなら、家族の希望に従う必要がある。
何故なら、彼らの方が、あなたの死後一切の世話をしなければならないからである。
先ずは家族のご意向を確認することである。

この世に生まれるという事は、我が儘を改善するということである。
求道とは、只、前へ前へと歩むことである。決して力むことではない。
他者との調和なくして悟りもない。
皆が納得する形でこの生を終わらせることである。
少なくともその様に努力しなければならない。

荼毘については、骨が残らぬよう完全に灰にしてもらうよう、事前に頼んでもらうのが良い。
そうすれば、散灰も問題がない。
敢えて言えば、あなたは山よりも海への散灰の方が支障が出ない。
両親の骨壷に入れることも灰なら可能だ。