2008.07.22
祈りとは「愛」なのだと言えるだろう。
只、只、愛の確認のために、我々は生かされているのである。
人生の苦難はこの愛を知るために与えられているのだ。
愛とは、自他の別を失なうことに他ならない。
愛するとは、愛さないことである。
愛するという意識が存在しない世界であるのだ。
自分が他を愛していると意識する限りにおいて、真の愛は成就し得ないのである。
その意味において、この世に云う愛すらも、錯覚ということになる。
しかし、人がこの世に生きる限りにおいてこの錯覚は必要なものだ。
この錯覚なくして、向上もあり得ない。
生活の節目節目、人生の節目節目にこの愛が作用して、人を改善させ、向上させていくのである。
それは、真理から見た時には錯覚かもしれない。
それこそが真に必要なことであるのだ。
真理とは、愛とは、所詮方便にすぎない。
人間が、存在そのものの根本原理に到るための方便であるのだ。
人それぞれに違う生き様がある。
しかし、そのどれもに愛が存在し、生かされている自分がそこに在る。
その錯覚が遂には、正覚へと変わる時が来るのである。