管長の修行問答

2008.07.21

真解

只管に不解事を瞑想せよ

先生の御言葉が私なりに理解したり気付くのに数年かかります。
もっと早く気付きたいのですが、それにはなるべく考えたり頭に置いて瞑想すればよいのですか。

数年で理解できるというのは、大したものである。
大方の者は、すぐに理解したと思いこむか、一生理解しないかのどちらかであるものだ。
その点、あなたは、何が分からないかをきちんと把握し、その結果として、数年後に、その解答を得ているのだから立派である。
それは、素晴しいことだ。

すぐに分かった気になる人というのは意外と多いものである。
しかし、本人が分かったと言っているにも拘わらず、その言動を見ていると、全く分かっていないと思わされることが大半である。
およそ、真に分かっている人というのは残念ながら極めて少ない。
ましてや、それが深い神の御経綸に関わる内容に至っては、理解できる者など、稀の稀である。
にも拘わらず、理解できたと思いたがる者がいることも事実である。
こういう者を見分けるのは、その礼儀作法を見ると良い。
肝心なところで、必ずボロを出すものである。
即ち、上位者に対して対等であろうとしたがる者である。増上慢である。
これらは、すぐに判別できるものだ。

さて、質問に答えよう。それでよろしい。
その疑問、不明事を、ただ頭に浮かべ、それをジーッと自観瞑想していれば良いのである。
要は、一切、何も考えてはならぬということである。
ただジッと、その疑問点を、頭に浮かべているだけだ。
それについて、あれこれと考えを巡らせてはならない。
単に、その問題を頭に浮かべているだけだ。
そして、その疑問事を瞑想し続けるのである。
あとは、時間(実修)が答えを出してくれることになる。