管長の修行問答

2008.07.20

慈愛

渇愛こそが一切の根本苦なり

「十二因縁」の中に「愛」があります。
瞑想録では「愛着、愛欲、盲執」と説明してあります。
意味は違うと思いますが、キリスト教で説く「愛」と同じ字であるのが、納得しかねます。

「愛」と書くと恋愛の愛といった感じであるが、この原義は、自然な自己愛(ピア)→他者への友愛(ペマ)→恋愛(ラティ)→性愛(カーマ)→病的渇愛(タンハー)という人間に現われる五段階の愛を指している。

その根本は砂漠で水を失なった者が、その水を求めるが如き欲求執着を意味する「渇愛(タンハー)」である。
それ故、キリスト教の愛は、仏教では説かれない。

仏陀曰く「愛より愛は生じ愛より憎しみは生ずる。憎しみより愛は生じ、憎しみより憎しみは生ずる」
愛は執着に他ならないのである。

しかしこの愛こそが、自身の生命エネルギーとしての原動力となっていることも事実である。