管長の修行問答

2008年07月

2008.07.28

人生の苦難

挫折も壁を乗り越える為のステップであることに気付くべし

「乗り越えられない苦難はない、自分のレベルに合っただけの苦難しかやってこない」と管長は仰いますが、現実には私は自分の能力を超えた壁に何度もぶつかっては挫折してきました。力を尽くしたと思っているのは自分の慢心かと何度も自問しましたが、どう考えても、その時の自分の力では解決できなかったと思われる壁が、いくつもありました。広い意味では時が解決してくれたと思えなくもないのですが、どうしても納得できないものがあります。私の解釈が間違っているのでしょうか?

2008.07.27

自由

森羅万象への感動と受容が要

肉体(遺伝子)に支配されない真の自由とは、放漫にあるのではなく、向上への努力のみにあるのでしょうか。御教示下さい。

2008.07.26

習気

悪しきは自観し善は更なれ

自分の習気から逃れるにはどうしたらよいのでしょうか。

2008.07.25

巡礼

只管に歩む只々歩む

退職を機に心の休養と今後の人生設計の為、四国八十八ヶ所を巡ります。その際の作法、心の在り方等を詳しくご指導下さい。

2008.07.24

品性

努力によって培われるもの

美術的なことが好きで日常生活の中でも少し関わりを持っていますが、美術、芸術、音楽等々、いろいろと人の手によって作られた作品(もの)には、品性が大切だなと痛感するのですが、この品性というものは生まれ持ったものなのでしょうか。
日々の努力により培われるものなのでしょうか。
品ということについてお教え頂きたくお願い致します。

2008.07.23

霊光

光、大自然の全てが神を表現

夢窓疎石の「夢中問答」に「古人云はく、人々各霊光を具す。円学経に大光明蔵三昧と説けるも、一切衆生本具の霊光なり」とあります。
この「霊光」を「大いなる光」と同一のものと捉えてよいですか。
また「大いなる光」について仏典ではどのような言葉で表わしているのですか。

2008.07.22

祈り

只愛す愛す愛すこれ極意なり

お祈りの時神様の愛を感じますが、愛は神様に心を向け、神様に導く為に存在しているように思います。
でも全てが神様の愛だと思った時、愛も錯覚で本当はないように思いますが、別の言い方をすれば神様は愛だとも思います。
愛という感覚があるだけだと思いますが、愛について教えて下さい。
人が愛一杯になれた時に、神様と一つになれるように感じます。

2008.07.21

真解

只管に不解事を瞑想せよ

先生の御言葉が私なりに理解したり気付くのに数年かかります。
もっと早く気付きたいのですが、それにはなるべく考えたり頭に置いて瞑想すればよいのですか。

2008.07.20

慈愛

渇愛こそが一切の根本苦なり

「十二因縁」の中に「愛」があります。
瞑想録では「愛着、愛欲、盲執」と説明してあります。
意味は違うと思いますが、キリスト教で説く「愛」と同じ字であるのが、納得しかねます。