神道とは何か
神 ながらの道
神道の特徴は大きく三つあります。
第一には、「絶対神をもたない宗教」であるということです。
神話に初めて登場する「
また、天照大御神は、
天照大御神が、他の神に捧げる稲を作るための「
日本最古の神社の神社の一つ宗像大社の沖津宮を祀る沖ノ島
第二には、時間的に現世を重んじる宗教であると言えます。
自分が直接参加できる現在を、最も価値のあるものとする意味の「
第三には、統一した教義を持たない宗教です。『万葉集』に「葦原の水穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(柿本人麿、三二五三番歌)と詠われているように、古代人は、神様について、神の道について論じることなくまさに、「
神道とは何か
「神道とは何か」と問うと、説明するのは案外難しいものです。
現代人は、神道を、仏教やキリスト教と同じように、宗教の一つと考えるかもしれませんが、神道には、教祖も、教義も、教典もありません。
明治以降、ことに、大日本帝国憲法のもとで、神道は道徳として扱われてきました。明治維新よりあと、外国の影響で信教の自由が重んじられるようになる中で、神道は、仏教やキリスト教などとは別として、国民の守るべき道徳とされました。
宗教には、創唱宗教と自然宗教とに二大区別されるという考え方があります。
創唱宗教とは、仏教、キリスト教、イスラム教など、教祖により創唱され、教義を持つ宗教です。また、自然宗教とは、自然発生的に、すなわち一民族の共同生活の中で発生して、民族の生活を支える共同の信仰といったものです。
世界では、長年の歴史や闘争の中で、本来持っていた民族宗教をなくし、仏教、キリスト教、イスラム教など、前述の創唱宗教だけが残った国も多いのです。
日本のはるか祖先の人々の、太陽や月や海、そして、山や川、大木など人智を超えた自然に対して抱いた畏敬の念や感謝の気持ちが、民族宗教として継承されてきたのが、神道と言えます。
現在、約八万の神社がありますが、天地生成や国造りを成した神々、日本神話に登場する神々と共に、歴史上特に偉業を成した人物も“神”として祀られている場合もあります。
三、四世紀頃、大和朝廷による国の統一が進み、大陸や半島諸国との交流も盛んになると、陰陽道、道教、儒教が伝来してきましたが、それぞれをそのまま受容したのではなく、神道に、言い換えれば日本民族に適するように取り入れてきたのです。
特に、仏教の伝来で、神と仏は本来同一であるという「
外来文化を受け入れつつも、独自の日本文化を形成してきた根柢にあるもの、日本人に共通してみられるものの考え方、民族性を育ててきた根本が神道とも言えます。
伊勢 皇大神宮(内宮)の大鳥居
日本史そのものの神道史
古代から徐々に形づけられてきた祭祀は、日本が朝廷により律令国家となる際に、律令(法律)で明文化され明確に定められました。
長年の神仏習合から明治政府による神仏分離、GHQによる神道解体など神道の歴史は常に日本史そのものです。
現在の神社と寺院が分かれている形態は、日本の長い歴史の中では、ほんの一時なのです。
教義のない神道、文字という形にすることは難しいのですが、残った資料を元に神道の歴史を紐解いてみましょう。
神代~飛鳥時代
奈良時代~平安時代
◇「仏教伝来により変化する神道・神仏習合の展開」
鎌倉時代~室町時代
◇「武士に実権が移る中で」
戦国時代~江戸時代
◇「神道の復活、儒家神道や復古神道」
明治時代
◇「明治政府による廃仏毀釈令、神社と寺院の分離」
◇「教祖のいる神道・教派神道十三派」
日露戦争~大東亜戦争
◇「激動の時代の神道」
敗戦
◇「GHQによる神道指令」
皇大神宮(内宮) 御正殿
伊勢の神宮
神宮は三種の神器の一つ、御鏡を御祀りされています。
神宮は別格のため、正式には「神宮」とのみ呼称します。
◇ 式年遷宮
◇ 日本の核としての神宮
出雲大社 神楽殿
さまざまな信仰の形
神社や御祭神を通して、神道に触れることができます。
◇ 世の始まり「天之御中主神」
◇ 伊勢の神宮「天照大御神」
◇ 出雲大社「大国主大神」
◇ 八幡大神
◇ 宗像大社・大神神社
◇ 香取神宮・鹿島神宮
◇ 高千穂神社
◇ 明治神宮
◇ 富士山麓神社の御祭神
◇ 御嶽信仰と富士講
皇居正門前の二重橋
宮中祭祀
神道における最高位の祭主は天皇陛下です。
宮中祭祀には古来からの形式が残っています。
◇ 三大神勅
◇ 歴代の天皇陛下から直伝
◇ 大嘗祭
二見興玉神社の海岸にある夫婦岩
禊・祓い
お正月、日本中が祓い清められ、新たな年が実り多いことを祈ります。
日本人の「清浄」への意識はどこからきているのでしょう。
◇ 禊・祓いの原典
◇ 国の厄を祓う―朱雀門にて大祓い
◇ 夏越の祓い
◇ 神道の禊行事
◇ 二見輿玉神社―神宮参拝の前に禊を行なう
◇ 神社の手水・毎日の入浴