古代の宗教儀礼

日本には古代から継承されている、あるいは縁起を持つ宗教儀礼がたくさんあります。弥生時代(前四世紀―三世紀頃)や古墳時代(三世紀後半―七世紀)にはすでに行なわれていたものの中で、占いについて見ていきましょう。

占いに現われる神の心

占いの「うらなふ」は「うらに合ふ」という語が短縮されたものといわれ、「裏」とは表に現われない神の心のことです。うかがい知ることができない神意を人々は何とか知りたいと、 鹿卜 ろくぼく 亀卜 きぼく 石占 いしうら 琴占 ことうら など、さまざまな占いを行なってきました。

縄文末期か弥生初期の頃にはすでに、鹿などの動物の骨の裏側にくぼみを堀り、そこを火であぶり表面に現われたひび割れをもとに占う 鹿卜 ろくぼく が行なわれていたということです。

鹿卜は、古事記や日本書紀では、 太占 ふとまに と呼ばれており、今日でも神事として 貫前 ぬきさき 神社(群馬県)や 武蔵 むさし 御嶽 みたけ 神社(東京都)で行なわれています。亀卜では動物の骨の代わりに、亀の甲を用いて占います。

誓約で神意をうかがう

吉凶、当否など神意をうかがう行為を古事記で「 宇気比 うけひ 」、日本書紀で「 誓約 うけひ 」といいます。

古代中国では「うけひ(い)」にあたる行為が存在していなかったため、日本書紀では誓約と漢語が代用されましたが、古事記では日本語の音を一字一音で残しました。

日本書紀にある天照大御神と弟の 素戔男尊 すさのおのみこと との間での誓約が有名です。粗暴な振る舞いの弟の真意を いぶか しんだ天照大御神に対し、素戔嗚尊が男子を生めば清き心がある、女子を生めば汚き心があると定め、五男神を生んで悪しき心がないことを証明しました。

なお、古事記では、 須佐之男命 すさのおのみこと は三柱の女神を生んで潔白を証明しています。記紀の違いには、各々執筆された時代背景の投影が見られます。

盟神探湯から湯立神事へ

誓約に近いものとして、 盟神探湯 くかたち があります。人の是非や正邪を判断するための古代の裁判の一種です。
疑いのある者に神に誓わせた後、熱湯に手を入れて さぐ らせ、罪のある者は大火傷を負うが、正しい者は火傷をしないとされました。なかなか厳しいおうかがいです。

論語(李氏第十六)の中に「善を見ては及ばざるが ごと くし、不善を見ては湯を さぐ る如くす」(一心に善を追求し、不善を見たらあたかも熱い湯の中に手をさし入れて慌てて手を引くように遠ざかると良い)とあり、「探湯」という語が見られます。
この盟神探湯が後に「湯立」神事になっていったといわれています。

湯立とは、神前にすえた大釜に湯をたぎらせ、巫女などが笹の葉を熱湯にひたして自分の体や周囲の人々にふりかけ、 託宣 たくせん (神のお告げ)を述べるというものです。

さらに湯立と神楽が結びついた湯立神楽が全国で見られます。宮中の神楽歌にも湯立の歌があります。

象意を直感する

古事記や日本書紀、万葉集などの古典には、歩数を数えて占う 足占 あうら 、鳥の鳴き声や飛ぶ方向で占う 鳥占 とりうら 、通りすがりの人の言葉をもとに占う 夕占 ゆうけ 、橋占、辻占などが書き留められています。ほかにも、琴の音色で占う琴占、百人一首より歌を選ばせてその歌の意味から吉凶を占う歌占などへ広がっていきました。

身近な何かから神意を つか み取ろうとするこれらの占いには、物事が偶然ではなく必然であるという思想が垣間見えます。
仏教が伝来したといわれる五三八年以前に、すでに日本人に仏教が根付くような精神的な土壌がみられることは大変興味深いところです。