世界でも比類ない雅楽
日本の雅楽は、十世紀(平安時代)に大成した日本の最も古い古典音楽です。①古来からの日本固有の歌舞、②五世紀頃より古代のアジア大陸から伝来した楽器と楽舞(音楽と舞)とが日本化したもの、③その影響を受けて平安時代に新しくできた歌、の総体です。
皇室の 庇護 があって、古代からほとんど形を変えずに 連綿 と続いてきているのです。古くは千五百年も前の音楽もあり、数多くの楽曲が千年あまり変わることなく今日も演奏できるのは、世界でも日本の雅楽しかないと言ってよく、しばしば舞も付いており振付も伝承されているのですから、素晴らしいことです。
元来は「雅楽」という名称は、 儒教 において、「俗楽」に対して「正統の音楽」を意味した言葉です。中国や朝鮮では、儒教の 祭祀楽 を主とする音楽を雅楽と呼び、日本の雅楽とは違います。
外来音楽の伝来
日本に伝来した最初のものは、朝鮮半島( 百済 、 新羅 、 高句麗 ) 由来 の舞と楽曲「 三韓楽 」です。
『日本書紀』に、四五三年に第十九代の 允恭 天皇が 崩御 された時、 新羅 王が 楽人 八十人を送って 哀悼 の意を表わしたという記述が見られます。
第二十九代の 欽明 天皇十五年(五五四年)二月には、 百済 から楽人四人が渡来した、第四十代の 天武 天皇十二年(六八三年)正月には、 三韓楽 の音楽が飛鳥の地で演奏されたとの記録があります。
又、天武天皇は天武四年(六七五年)に、「楽人は子弟に歌唱や楽器の技芸や舞の振付を伝えるように」と 詔 を発せられました。この時期から音楽とそれに伴う舞踏を代々専門とする家々が現われてきたと考えられます。
一方、中国大陸の音楽である 唐楽 は、七世紀前半から約二百年にわたって行なわれた遣唐使の派遣によって伝えられました。
第三十四代の舒明(きんめい)天皇二年(六三〇年)からです。唐の都・長安が国際都市であったことを反映し、ペルシアやインド起源の楽舞、 林邑楽( (ベトナムの音楽)なども含まれます。
日本における唐楽の演奏の最も古い記録は、大宝二年(七〇一年)正月で『続日本記』に記載されています。
雅楽寮 の設置
第四十二代の 文武 天皇が 藤原不比等 らに 編纂 させ、七〇一年に「 大宝律令 」を制定されました。この時、朝廷内にそれらの楽舞を公的なものとして管理伝習していく機関として雅楽寮が設置されました。これが今日の宮内庁楽部につながっています。
雅楽寮は事務方をのぞいても総勢四百人以上の大組織でしたが、これは、唐楽、高麗楽、新羅楽など、それぞれ用いられる楽器も 旋律 や調子も異なる曲を 奏 するために専門の奏者が必要だったからだと考えられます。又、現在の宮内庁楽部には女性楽師はいませんが、奈良・平安時代には、女性楽師を司る 内教房 という機関があり、女性も朝廷儀式の奏楽を担当していました。
朝廷と雅楽
これらの音楽の集大成としては、日本史上でも特筆の一大行事、 天平勝宝 四年(七五二年)の東大寺大仏の 開眼供養会 が挙げられます。
第四十五代・ 聖武 ) 天皇や皇太子(後の 孝謙 天皇)が列席され、五千人の僧侶による 仏教声明 と、雅楽寮などの楽人達によりアジア中の音楽が丸一日鳴り渡り続け舞も披露されたとのことです。
聖武 天皇御遺愛品 を妃である 光明皇后 が寄贈された正倉院には、二十三種、百余点にのぼる楽器が収められていますが、それから推察すると当時の雅楽の楽器は現在よりも多彩であったと考えられます。
十世紀に編纂された朝廷の「 延喜式 」(法律である 律令 の 施行細則 )によれば、雅楽は、 節会 (平安時代に盛んとなり、元日・ 白馬 ・ 踏歌 ・ 端午 ・ 豊 ) の明かりは五節会として重視された)、朝廷の年中行事、仏会、天皇の 御行幸 、諸祭などにおいて 奏 されていました。
日本文明の豊穣
七九四年に都は奈良から京都へ 遷 り、やがて八九四年に遣唐使も廃止されます。唐からの文化の移入が無くなり、文学においても建築においても絵画においても、日本独自の美意識の昇華が、平安時代になされていきました。
雅楽においても同様でした。
奈良時代までは朝廷が作った雅楽寮で、国風ほか、唐楽、高麗楽、新羅楽、百済楽などと楽師が分かれていたわけですから、外来の音楽もオリジナルほとんどそのままに演奏されていたでしょう。(後に高麗楽という名称は新羅楽や百済楽も 包含 して使わるようになります。)
時代が経るにつれ、日本語のリズムや間合いと結びついた独特の音感に合うように曲を変えるなど、日本人が新たに雅楽の曲を作るということも行なわれていきました。
このようにして、平安時代に半世紀から一世紀ほどの時間をかけて雅楽の日本化が進んでいきました。日本化され、できあがっていった雅楽が、以後およそ千年、それからはあまり形を変えることもなく、現在まで生き続けてきたのです。
奈良時代までにわが国に伝来した古代のアジア諸地域の音楽は、今は現地に面影を 留 めず、絶えたり、すっかり 変貌 してしまったりして、もはやほとんど残っていません。
日本と中韓とで違う雅楽
韓国にも雅楽という名の音楽がありますが、故 高円宮 殿下は韓国国楽院の雅楽と宮内庁楽部の雅楽を聴き比べて、両者にあまりに共通点が見当たらず驚いたと述べられています。
韓国の雅楽は中国の儒教音楽を取り入れ、それを韓国流に変容させたものと思われます。
韓国と中国では 孔子廟 で演奏される儒教音楽を雅楽と呼んでいるのです。
日本は、奈良時代まであれほど外来文化の輸入に熱心だったのに、仏教を重んじていたせいか、儒教音楽としての雅楽は 受容 しませんでした。遣唐使の 吉備真備 が八世紀に儒教音楽も奈良の都に持ち帰ったという説もありますが、定かではありませんし、現在伝わる日本の雅楽にその 痕跡 は認められません。
現在の韓国で雅楽と呼ばれている音楽が、中国から韓国に伝わったのは、日本に唐や三韓(朝鮮半島)の音楽が入ってきた時代よりも下るのではないでしょうか。韓国と日本の雅楽が似ていない理由は、そのあたりにあるのでしょう。
ちなみに中国の儒教音楽としての雅楽も、昔のものはきちんとは 伝承 されていません。
(以上、 宮内庁式部 二〇一二年欧州公演HPより)
日本人の心を映した芸術
東儀氏が、子供向けに記した著書『 東儀秀樹( 氏の雅楽』で雅楽を分かりやすく伝えていますので、抜粋、又は要約してご紹介致します。
源氏物語では主人公の光源氏が雅楽の舞を舞う場面が書かれているし、 枕草紙 では 篳篥 が、かしがましい(うるさい、耳ざわり)楽器として書かれていたり、平安時代に雅楽が人々に愛されていたことが分かるとし、
「人間が、今よりずっと自然や宇宙と密接な関係で生活していた時代に、雅楽は僕たち日本人の心を 映 した芸術として、今残っているような形で完成されていったのだ」
「自然を、身体や心全体で感じとるのと同じように、雅楽を感じてみよう。僕たち日本人には、雅楽が盛んに楽しまれていた時代から受け継がれている、日本人としての心があって、それが、時代が移り変わっても、ちゃんと生き続けている。
日本を囲む海の景色、波の音、桜や菜の花といった春の色、山の緑、冬の雪景色など、数え切れないほどの美しい自然は、その昔から何も変わっていないように、それを愛する日本人の心も同じなのだ。
お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんが、実際に雅楽を聞いたことがなくても、ずっと昔に雅楽を聞いた人が体験した空気のような感じが、気づかないうちにその人たちの身体に染み込んでいて、その空気のような感じだけは、現代の僕たちにも伝わっているのだと思う。ということは、これから先、未来の人にも、雅楽から体験する空気のような感じが、知らず知らずのうちに伝っていくかもしれない」
三管 で宇宙を表わす
笙
笙は、複雑な和音を奏でる楽器で、形は極楽に棲むという伝説の鳥『鳳凰』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる
「雅楽のメロディを奏でる管楽器に、 笙 、 篳篥 、 龍笛 がある。昔の人達は、これらの音色に自然界の全て、宇宙を感じ取っていた。
笙 は、複雑な 和音 を奏でる楽器で、形は 極楽 に 棲 むという伝説の鳥『 鳳凰 』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる。音色は『天から差し込む光』を表わしている。
篳篥 は、 主旋律 を奏でる 縦笛 で、音色は『人の声』、広い意味では『地上の音』全てを表わしている。
龍笛 は、横笛で、音色は天地の間を泳ぐ『龍の鳴き声』、広い意味では『天と地の間の空間』を表わしている。
この三つの楽器を 合奏 するということは、天・地・ 空 を合わせることになる。つまり宇宙を表現するというわけだ。僕は雅楽を聞くというよりは、むしろ感じてほしいと思っているが、それはつまり、雅楽が宇宙を表現しているところもあって、空気のように肌から自然に入ってきて、心のどこかに触れて感じたり、身体のどこかで反応したりすることで、雅楽を楽しむことができると考えているからだ。
人間の身体も、小さな小さな一つの宇宙なのだから」
「笙は、パイプオルガンやアコーディオンのルーツとも言われている。
仏教画で天女が手に楽器を持っている姿が描かれているが、その時代の最高の物を持たせて 描 いたのではないかと思う。
篳篥 は、シルクロードのどこかの国で生まれた。トルコやアルメニアで今も吹かれているメイやドゥドゥクという楽器に似ている。ヨーロッパに伝わって、現在のオーボエやファゴットに変化している。
音を出すだけでも難しいのだが、音程が不安定で演奏するのがかなり難しい。ところが、これをコントロールできるようになると、独特のゆらぎのある素晴らしい音を奏でることができる魅力的な楽器なのだ。人間がしゃべる時の 抑揚 の様な表現が出来る。音域は一オクターブと一、二音。龍笛は、息の強さによって二オクターブの音を出すことが出来る」
「虫除けになるという『 甘州 』という曲がある。この曲には虫を食べる鳥の鳴き声が入っていて稲穂につく虫を退治するという。僕には鳥の声は見つけられないが、古い書物に書いてあるので間違いはないだろう。人間の耳には聞こえないが、虫はこの曲に、鳥の鳴き声の波動を感じることができるのではないかと思う」
現代に残る 舞楽
雅楽を編成によって分類すると、舞を伴わない楽器演奏だけの管絃、舞を伴う舞楽、歌の入る歌物があります。舞楽には三種類あります。
「① 国風歌舞( ・・・日本古来の歌や舞で、農民が田植えをしながら豊作を願った歌や、秋の実りに感謝する踊りなど、自然や大地に捧げた素朴な祈りがルーツになっていて皇室の儀式や神社の行事に舞われる。例えば、
『 神楽 歌 』と『 人長舞 』・・・宮中の行事で歌われるもので、神様を迎え、人間・代表の人長が舞う。
『 大歌 』と『 五節舞 』・・・現存するただ一つの 女舞 で五人で舞う。舞姫の 装束 は、 十二単 に 檜扇 を持つ。
昔は 大嘗祭 に、今は天皇の即位の 即位の大礼 で舞われる。
② 左方舞 ・・・唐楽で舞う舞楽。
『 蘭陵王 』・・・六世紀の中国、 北 斉 時代。とても美しい王様がいたが、兵士は王様の美しさに見とれてしまい戦意が高まらないため、そこで王様は怖い面をつけ、闘いの指揮をとり大勝利をおさめたという。平安時代には、 競馬 、 弓 くらべ、 相撲 などの祝賀会などで舞われていた。
② 右方舞 ・・・高麗楽で舞う舞楽。
『 納曾利 』・・・龍が楽しげに 戯 れる様子を表わした」
(以上、『東儀秀樹氏の雅楽』より)
即位礼と大嘗祭、神宮の式年遷宮に際しても御神楽や秘曲の奉納があり、毎年恒例の新嘗祭や歴代天皇の例祭における神楽歌の演奏などで、日本古来の国風歌舞は大切な祭祀の音楽とされています。
毎年の宮中祭祀では、唐楽が祭祀音楽として演奏されています。