お盆に祖先が帰ってくる

『伊勢物語』の四十五段に、次のようなお話が載っています。

平安時代中期の歌物語で、モデルは歌人の 在原業平 ありわらのなりひら ともいわれています。

飛び去る霊魂

ヒメボタル

飛翔するヒメボタル 『伊勢物語』に魂が蛍になって飛び去っていく描写がある

「昔、男がいた。ある大事に育てられた娘がいて、この男に片思いをしたが、どうしても打ち明けられないまま臨終にその思いを両親に打ち明けた。

不憫 ふびん に思った両親は、その男に、娘の思いを泣く泣く告げに行った。その男は、見舞いに出向いたが、娘は亡くなってしまった。

男は、その後、何もせずに家に こも っていた。

それは旧暦六月の末の、大変暑い季節のことだった。 夜更 よふ かしに 管弦 かんげん かな でていると、深夜に少し涼しい風が吹き、一匹の蛍が夜の空に舞い上がっていった。

そして男は、『飛んでいく蛍が雲の上まで行くことができるなら、下界では秋風が吹いていると かり に告げて欲しい』と歌を詠んだ」
とあります。

こも って死者の魂をまつるために管楽を奏したということは、古代の「 もがり 」に通じる心境でしょう。

殯とは、日本古代の葬送儀礼です。人の死後、本格的に埋葬するまでの間、近親の者が諸儀礼を尽くして霊魂を慰めました。

今日の通夜に近いもので、魂のよみがえりを期待するものでもありました。

この伊勢物語の一話から、昔の人は、魂が蛍になって飛び去っていくと見ていたと思われます。『古事記』『日本書紀』では、 倭建命 やまとたけるのみこと が亡くなった際、「その魂は、白鳥となって飛び去った」とあります。

また、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、『怪談』で、「臨終の間際の男の枕元に蝶が飛来する。後を追うと女の墓にたどり着いた。それはかつての婚約者のものであった。そこで、まわりの者は、女の魂が蝶になって現われたと思った」、『明治日本の面影』では、人の魂が蛍になる話を紹介して、亡くなった人の魂が蝶や蛍に宿ると見る日本の信仰を紹介しています。

あちらこちらに飛び うものに、死者の魂を感じていたのでしょう。

お盆に祖先の霊が帰る

古代、六月と十二月末の、大祓の始まりは、神様や祖先を迎えるための こも りと関わるものであったようで、この時期に、祖先の魂が帰ってくると考えられていたようです。

それが、六月末は仏教の影響でお盆行事となり、十二月末はお正月行事につながっていきました。

お盆行事=仏教と思いがちですが、成仏したはずの魂がこの世に戻るという考え方は、仏教の教えにはないものです。もともと日本にあった精神性や民族行事と仏教文化が習合したと考えられ、異なる文化を融合する日本文化の特徴を、お盆という伝統行事に見てとることができるでしょう。

お盆の行事から、七夕行事に移ったもので有名なのは、宮城県、千葉県、埼玉県、東京都、高知県などで行なわれる「 七夕馬 たなばたうま 」です。

馬はもともと祖先を迎えに行くものでしたが、七夕行事の一つとして取り入れらました。

マコモやわらなどで作られ、家に飾ったり、遊んだりして、七夕の翌日に川へ流すのが一般的でした。