紀元祭 2月11日

橿原神宮の紀元祭

『日本書紀』によると 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) の子孫である 神倭伊波禮毘古命 ( かむやまといわれびこのみこと ) (後の神武天皇)が、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、 畝傍 ( うねび ) 山の東南の 麓 ( ふもと ) に 橿原 ( かしはら ) 宮を創建されました。第一代天皇として即位されたのが、今からおよそ二千六百余年前のことです。

しかし、初代天皇を祀る神社が創建されたのは、それほど古くなく、明治二十三年四月、奈良県橿原市に、元京都御所の 賢所 ( かしこどころ ) と 神嘉殿 ( しんかでん ) (共にお祀りする場所)が下げ渡され、官幣大社・ 橿原神宮 ( かしはらじんぐう ) として御鎮座になりました。

同じく『日本書紀』に、神武天皇は「 辛酉 ( かのととり ) 年の春正月の 庚辰 ( かのえたつ ) の 朔 ( ついたち ) 」に橿原宮で即位されたとあり、西暦に直すと紀元前六六〇年の二月十一日に当たることから、毎年二月十一日(建国記念の日)に、 例祭 ( れいさい ) (その神社で最も重要なお祭り)として紀元祭が行なわれます。 勅使 ( ちょくし ) (天皇陛下のお 遣 ( つか ) い) 参向 ( さんこう ) のもと、広い境内には、数千人におよぶ参列者が集います。また、この日、全国の神社でも紀元祭が行なわれます。

『日本書紀』に、即位前の神武天皇の令(お言葉)が記載されています。

「上は 乾霊 ( あまつかみ ) (天照大御神)の国を授けたまひし徳に答へ、 下 ( しも ) は 皇孫 ( すめみま ) の正を養ひたまひし心を 弘 ( ひろ ) めん。 然 ( しか ) して後、 六合 ( くにのうち ) (天地東西南北)を兼ねて都を開き、 八絋 ( あめのした ) (八方)を 掩 ( おお ) ひて 宇 ( いえ ) (大きな家)と為さんこと、また 可 ( よ ) からずや」
(大意・・・天照大御神が 邇邇芸命 ( ににぎのみこと ) にこの国を授けられた徳に 応 ( こた ) えるには、正義の精神を持って、民が幸福な生活を営むように政治をすることである。天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良く暮らせるようにしたい)

祝日として「紀元節」が始まったのは、明治六(一八七三)年のことです。先人たちが、信頼と愛情に 基 ( もと ) づき一つの大きな家族のような国を創りたいと願う王(天皇)の下に集ったという神話を、永く大切にしてきたことは素晴らしいことです。

橿原神宮

初代・神武天皇を祀る橿原神宮(奈良県)