祇園祭

京都八坂神社の祇園祭は、千百年余の伝統があり、毎年七月一日「 吉符入 きっぷいり 」から三十一日「夏越祓」まで、神事が一カ月にわたり続きます。

疫病退散を祈願した 祇園 ぎおん 御霊会 ごりょうえ が始まりです。

当時、平安京では疫病が大流行し、鴨長明の『 方丈記 ほうじょうき 』には、亡骸で鴨川がせき止められたなどとも書かれており、人々は疫病を たた りのせいと恐怖に脅えました。

祇園祭 宵山

祇園祭 宵山

そこで、八六三年に平安京の広大な庭園だった神泉苑で、仏教経典の読経、神楽・田楽や踊りなど、祟る霊を鎮めるための御霊会が行なわれました。

しかし、疫病の流行が続いたため、八六九年に平安京の国の数六十六本の ほこ を立て悪霊を集め祓いました。

やがて平安末期には、毎年 神輿渡御 みこしとぎょ や神楽・田楽・花笠踊りや山鉾を出して市中を練り歩くようになりました。

山鉾は、南北朝、室町時代、桃山時代、江戸時代時代を経るごとに、中国、インド、ペルシャなどからシルクロードを経て持ち込まれたタペストリーや京都の金襴・西陣織などの装飾品、優れた彫刻や精緻な工芸装飾品で豪華絢爛に飾られるようになり、現在「動く美術館」とも称されます。

現存する三十三基の山鉾のうち二十九基が、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

八坂神社は、元は感神院という天台宗の寺院で、古くは比叡山延暦寺の天台座主が住職を兼務したという古い寺院です。この感神院の末社に「祇園社」という神仏習合の社があり、ご本尊は 牛頭天王 ごずてんのう でした。明治維新の神仏分離により、祇園社が、八坂神社と名称を改めて、感神院の施設を引き継ぎました。

牛頭天王は、歴史的には、インド、中国、日本と伝播するに従って習合を重ねつつ成立し、複雑で諸説あります。インドでは 祇園精舎 ぎおんしょうじゃ の守護神とも、チベットの牛頭山の神だったともいわれています。

日本では、 蘇民将来 そみんしょうらい 伝説とも結びつき 素戔嗚尊 すさのおのみこと と習合したといわれています。

強力で荒々しい神様と恐れられる一方、逆に丁重にお祀りすればかえって災厄から守って貰える除疫神となると考えられたのです。

日本神話では、素戔嗚尊は、 八岐大蛇 やまたのおろち (あらゆる災厄)を退治し、 櫛稲田姫命 くしなだひめのみこと を救い、妻としました。

現在八坂神社の御祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫、七男一女の王子(八王子) 八柱御子神 やはしらのみこがみ が祀られています。

祇園祭り 山鉾巡航 月鉾

祇園祭り 山鉾巡航 月鉾