東洋哲学研究会

大学章句伝十章・旧本 第一章

2017.05.20

『大学』大学章句伝十章・旧本 第一章

論語研究会議事録

2017年5月20日(土) 16:58~19:10

開催場所:春秋館

議事内容:本日は『大学』大学章句伝十章と『大学』旧本 第一章途中までを学びました。

  テキスト『大学』 宇野哲人全訳注 

テキスト『大学・中庸』 金谷治訳注


概要

第十章の続きを読み、その後、『大学』旧本を最初から読み始めました。

第十章 ここでは、国家が財をなすことについて語られています。

魯の大夫・孟献子の言葉「馬乗を畜うものは鶏豚を察せず。伐氷の家は牛羊を畜わず。百乗の家は聚斂の臣を畜わず。その聚斂の臣あらんよりは、寧ろ盗臣あれ」とは、高位にある者は、家に鶏豚牛羊を飼って、庶民の職を奪ってはならぬ。人々から 膏血 こうけつ を絞りとるような家臣を持つくらいなら、自分の家の財物を盗む家臣を持つ方がよいという意味です。すなわち、国家を治める者は、己の私利を利とせず、万民の利をもって公義となすことが語られています。また、小人とは、義を求めず、利を求める者であるから、小人に国を治めさせたら、人民から 膏血 こうけつ を絞りとり、「民は窮して、財尽き、上は天の怒りにふれ、下は人の恨みを得て、天の災いと人の害と同時にくる(宇野氏)」ことが説かれています。

『大学』の冒頭にあった「物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し。」は万事に通じる道理であり、国家が財をなすことについてもその道理があてはまります。「徳が本で、財は末」、「仁者は財をもって身を発し、不仁者は身をもって財を発す。」「国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為す。」これらは、道徳を本とし、道徳から始め、道徳を先んずるべきことを伝えています。道徳・修身を疎かにすることがあってはならないことは、現代にも通じる大事な教えです。

ここまで朱子の手になる『大学章句』を読んできましたが、あらためて『大学』旧本を読むことにしました。『大学章句』と異なる点は、『大学章句』では、各論が「格物致知」で始まっていたのに対して、旧本は「意を誠にす」から始まります。また、『大学章句』では「新民」としていたのに対して、旧本では「親民」としています。これらの点についてもう一度議論しました。自分たちで答えを導くことは容易ではありませんが、二宮尊徳(金次郎)のように、『大学』を繰り返し読み、その語るところをいずれわがものにし、わが国を、道徳を重んじる国へとしたいというのは、春秋館に学ぶ私たち参加者一同に共通の思いです。