東洋哲学研究会

大学章句伝九章~伝十章

2017.05.14

『大学』大学章句 伝九章~伝十章

論語勉強会議事録

2017年5月14日(日)

開催場所:春秋館

議事内容:本日は『大学』大学章句 伝九章~伝十章を学びました。

テキスト『大学』 宇野哲人全訳注


概要

『大学』大学章句より、伝九章と伝十章を読みました。

伝九章 「その国を治めんと欲する者は、先ずその家をととのう」について語っています。徳者が国を治める徳治政治を理想とする儒学においては、君主がまず自らを修め、その修得した徳をもって自らの家を斉えることが治国の土台となることが説かれます。君主が家の中で、孝をもって親に事え、弟をもって兄に事え、慈をもって子を慈しむことが出来れば、国にあって国民は、君主の徳に感化されて、忠をもって君主に従い、順をもって長者に従い、我が子を慈しむように衆人を使うことが出来るといいます。君主の家が仁であれば、国全体も仁となり、君主の家が譲であれば、国全体も譲となる。しかるに、たった一人君主が利を貪れば、国中みな利を争って乱をなすようになる。君主に恕の心がなければ、民衆を諭すことは出来ない。

古の聖王・堯舜、国を滅ぼした暴虐なラストエンペラー・桀紂を通して、君主の徳が治国の要諦であることを学ぶとともに、家の中で実践される徳(孝・弟・慈)が社会秩序の基盤をなし、家こそが徳を養う修身の場であり、「家斉いて后国治まる」ことが読み取れました。

伝十章 続いて「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治める」について語っています。君主は民衆から仰ぎ見られる身であり、常に慎み、己を推して人に及ぼしおもいやり(絜矩けっくの道、すなわち忠恕)、「民の好むところはこれを好み、民の悪むところはこれを悪みて、よく民心に応じた政治」をすることで国を得、民衆の心を失えば、天命が去り、国を失う。民心に応じた政治とは、民衆に迎合する政治を指すのではなく、君主は自ら徳を慎み、君主の徳に感化された民衆が求めるところの政治を指すと考えられます。

君主に徳があれば、民衆はこれに帰服し、民衆が帰服すれば、領土が広まり、領土が広まれば、財が自然と多くなり、財が多くなれば、国の用が供される。「徳が本で、財は末」であることが説かれます。古典が説く徳を求めることを忘れ、利益のみを追求している現在の風潮に危うさを感じます。

本人は技能がなくとも、才徳ある人を用いることができる人を大臣とすれば、国家は繫栄し、嫉妬にかられ、才徳ある人を用いることができない人を君主が登用すれば、国を危うくすることになると説かれています。「忠信もってこれを得、驕泰きょうたいもってこれを失う」も、現在に通じる教えと受け止めました。