東洋哲学研究会

大学章句伝三章~伝五章

2017.04.16

『大学』大学章句 伝三章~伝五章

論語勉強会議事録

2017年4月16日(日)

開催場所:春秋館

議事内容:本日は『大学』大学章句 伝三章~伝五章を学びました。

テキスト「大学」宇野哲人全訳注


概要

朱子は、『礼記』の中にあった「大学」を章に分かち、順番を並び替え、格物致知(伝五章)について大幅に加筆しています。『礼記』では、もともと意を誠にすること(誠意)が最初に語られていました

「誠意」からはいっていく方がすんなり読めるという意見もありましたが、朱子の説いた儒学「朱子学」が後世に与えた影響を考え、まずは「大学章句」に従って読み進めることにしました。

「大学章句」を読むと、朱子が重視した「格物致知」とは一体何かという問題に直面します。そこで後半は、「格物致知」について議論しました。

「大学」では、「格物致知」について詳しく語られておらず、朱子が補遺を付けています。朱子が説く自己修養とは、居敬(自分の中にある理に基づいて、欲を抑えて言動をつつしむ)と格物窮理(外の物の一つ一つの理を極める)であることを確認しました。

しかしながら、「格物致知」をどのように実践すればいいのか、具体的なイメージを掴むまでには至りませんでした。「格物」とは、「六芸を窮め尽くす」(宇野氏)という解釈もありました。

「大学」の中で、「書経」や「詩経」が多く引用されています。その引用を通して、具体的なイメージが伝えられているのかもしれません。

伝三章では、鳥でさえその止まるべきところを知っているのであるから、人として至善に止まることができなければ、鳥にも及ばないという孔子様の言葉と、周の文王は、常に間断なく自らの明徳を明らかに、止まるべきところに安んじていたことが語られています。すなわち、人の君となっては仁に止まり、人の臣となっては敬に止まり、人の子となっては孝に止まり、人の父となっては慈に止まり、国の民と交わっては信に止まる、と。

さらに「切磋琢磨」の由来となった『詩経』衛風淇澳篇の詩について語られています。学問と徳行を修め、慎み深い君子(衛の武公)の姿を詠んでいます。骨を切り出し象牙を磨くが如く、学問を修め知を磨き、玉をみがき石を磨くが如く、自らの徳性を修め、身を慎んで威儀を備え、その徳容は人々が忘れることができないほどだと讃えています。

「格物致知」とは、明徳を明らかにした先王聖人の言行を通して自然の理を学び、絶え間ない努力によって知を磨き、実践によって自らの中に具わる徳性を明らかにし、我がものとしていくものと語られているように感じられました。