神仏習合の学びを日常に
維摩宗学堂は、維摩會・森神等覚管長の下、真理を学び体現するための
座学と実践を体系的に修得する場です
その具体的な内容は、日本人の心深くに根付いている神道の精神を尊び、
心身を浄化し、仏教の至高の哲学と実践にて、自己を超えていこうとするものです。
初学『九型十八心観』の学びからはじまり、深く高い境地に至るまで、大変体系的な内容であり、
かつ、個々人の境地に合わせて自在にそれらを組み合わせてご指導致します。
本会の名称「維摩會」は、大乗経典『維摩経』に登場する維摩尊者に由来します。
維摩尊者は在家の修行者(優婆塞)でありながら、
お釈迦様の十大弟子をも論難するほどの智慧を備えた人物でした。
その智慧を支えるのは根底に存する広大なる慈悲心であり、
維摩尊者は一切の差別の心を超えて凡ゆる日常の場面を通し、苦海にあえぐ人々を救おうとされます。
私たちはこの維摩尊者の姿に倣い、
「在家で仏教を学び実践する」という志を込めて本会を命名いたしました。
また、その教えに日本に古来より綿々と継がれてきた神道の「浄明正直」の一貫した姿勢を加え
矛盾することなくその神仏の理を統一的に教授することを主眼としています。
維摩宗学堂は、日々の生活を送りながら、
人としてもっとも価値のあることを実践・修行していく人生の修行道場です。
「人はなぜ生きているのだろう」
「穏やかな心で生きていきたい」
「なぜ苦しみばかりが襲ってくるのだろう」
「生老病死は誰しもに訪れ、抗することはできない。
すべては死によって終わってしまうのなら、
生きていることに何の意味があるのだろう」
私たちが抱くそのような思いの奥には、
思い通りにならない現実への不安や苦しみが隠れています。
その苦しみの正体とは、一体何なのか?
その答えを解き明かしたのが、2500年前に実在したお釈迦様(釈尊・釈迦牟尼仏陀)の教えです。
本会は、原始仏典に残されたお釈迦様の御教えを何よりも尊び、
その御教えを現代に即して伝えています。
日本でも古くから人々の心の支えとなってきた仏教の教えは、
今を生きる私たちの悩みにも明快な解決の糸口を与えてくれます。
「今よりもっと、人生を良くしたい」
「本当の自分を見つめ直したい」
本会では、その一歩を踏み出すための本質的な学びをご提供します。
仏教では、まず最初に、お釈迦様が悟られた「四聖諦」という真理を説きます。
苦しみから抜け出すための苦・集・滅・道の四つの真理です。
四聖諦とは苦集滅道の四つの真理のことをいいます。
自力で迷いの世界から抜け出すための
主体的な生き方(自力修行)が示されているのです。
「八正道」の実践とは、日々の衝動、ものの観方を
正しいことへと整えていくことです。
本会の講座は、初心の入会者については神道的立場の観点から
一霊四魂の古神道の哲学を学び、浄明正直、即ち
心が清らかであること、心が明るいこと、心が正しいこと、心が素直であることを
学んで実践していただきます。
また、矛盾することなき仏教と神道の伝統的な教えを守りながら、
今の苦しみを和らげ、自分の根源を知っていくための
実践的な修行階梯を提供しています。
苦しみを手放し、真に安心で自由な境地へと到るためには、
苦しみの原因を知り、それを断つことが必要です。
私たちは日々、欲しいもの、
例えば、お金や押しのグッズ、恋人や評価、
成功などを手に入れたいと願いながら、
思うようにならず、求めても求めてもキリが無く、
人に嫉妬したり、
思い通りにならない現実にイライラしたり悲しんだりしています。
これが苦です。
なぜ、幸せになりたいと願い、
私たちは何かを求めるのに、かえって苦しみが増してしまうのでしょうか。
その心の仕組みを明確に示してくれるのが『九型十八心観』です。
九型十八心観は、
「何に恐れを感じるか」「これがあるから私は私らしくいられる」などの、
私たちの心の奥深くにある動機や恐れの違いによって人間を18の型に分けます。
これは大変に優れた人間分析法です。
自分の心が明確に解き明かされ深い感動を覚えた、安心した、
中には、自分でも自覚していない自分の深い心に気付いた、
というお声が沢山あります。
この人間分析の本質を理解することによって、
自己の思考、感性、本性(ほんせい)を正しく把握できるようになります。
自分の煩悩を弱め、
さらには神人合一の深い境地を目覚めさせることになるのです。

お一人おひとりに合わせた継続的なご指導を行います。

学びの第一歩として、15~30分の個人面談。日時調整可能。
ご来場orオンラインで大事なポイントをお伝え

「開始前の安心個別面談」終了後に学びが始まります。


修養中の疑問はいつでも
メールで気軽にご相談できます。

修養後の内容や行法の音声をいつでも復習可能。
「日常のすべてが道場である」という維摩経の教えがあります。維摩會では「維摩宗学堂」という学びの場を設け、自己修養の基礎を学ぶとともに、人生の時間そのものすべてが霊性の向上への歩みとなるように御指導しています。
どこに居てもたとえ外国からであってもインターネットを通して日々続けられる修養内容を、心空しく素直に学ぶことで、確実に自己の人格・霊性を深めてゆきます。
更に、初心の学びを卒業された方は、次の段階として各個人の希望により入信へと進むか、或いは初心会員として学びを続けるか、どちらでも自由に選択することができます。本格的な入信への道にて修行階梯が進んだ先には、その方の修行の深さにより、管長の直接御指導の修行へと進む道も開かれています。
まずは「維摩宗学堂」にて、すべてのはじまりとなる『九型十八心観』を学び、これまで聖者・賢者でなければ知り得なかった「自分とは何か」という自己存在の解明、人間存在への解明へと繋がる、深く、大変興味深い学びを開始します。理解度はその方によって異なるとはいえ、その内容は実に日常に学びやすく、更に且つ非常に奥深いものです。あなたのこの人生の意義が一気に深まる機会となる筈です。
ご入会後は、まず「初心会員」として『九型十八心観』全12回を学んでいただきます。
この全12回を修了し、試験に合格されますと維摩會の「信徒会員」へと昇格いたします。信徒会員となりますと、管長による直接指導や個別指導が本格的に始まり、会報誌のご送付もスタートいたします。
一方で、次の段階へ進むことだけが目的ではありません。「初心会員」のまま『九型十八心観』の習得と深化に、じっくりと専念していただく道もあります。
本会での学びの進捗は、何よりも皆様の主体性を大切にしています。本講座の内容を深く血肉とするだけでも、自己の性格改善や人間関係の調和に大いに役立つ、極めて実践的な智慧が収められています。
| 修行階梯 | 目標とする境地 | 具体的な実践内容 |
|---|---|---|
| 一 (入門) |
自己対峙の基礎 |
■信徒会員を希望する方は、習得の確認と |
| 修行階梯 | 目標とする境地 | 具体的な実践内容 |
|---|---|---|
| 二 (中級・定着) |
多角的な修養と直接指導 |
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| 三 (中級・基礎の実践) |
深層意識の探求 |
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| 四 (中級・実践深化) |
自観法の習熟 |
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| 五 (上級・高徳) |
極意の体得と因縁の解消 |
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| 六 (上級・円熟) |
最高峰の行法と専門道 |
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| 七 (超上級) |
至高の探究と伝承 |
|
◆それぞれの修行階梯の主な実践内容(一部)は以下の通りです


出続ける思考の流れに気づく黙想の修得。自身の内面を静かに観察する習慣を通じ、感情の波に飲み込まれない心の静寂と、深い集中力を養うための入り口となる基礎的行法。

上級コースの神霊力を引き出すための基礎訓練。日常の様々な事象に深く感謝する。その全方位への感謝によって自我を離れ、心を清澄に保つことで、神聖な力と通じ合うための不動の基盤を築く、その基礎的行法。

自分の自動行動のチェックと認知力の強化。脳の記憶回路を活性化させ、漫然とした日常を確かな「経験」へと変える認知の力を養います。

禊の第一歩。心の濁りを一掃し、曇りのない「真っすぐな自分」に立ち返る。浄明正直の実践初歩。
初自観:内観訓練。自己分析により自分と向き合って、心の深層にアプローチする
■習得の確認と認定(合格者は中級へと進めます)


日常の具体的な悩みや修養のあり方について、直接の指針を仰ぐ。自らの振る舞いを真摯に省み、教えを生活の現場で具現化する歩みを進める。魂を磨き、進むべき正しき道筋を明確にする。

万物の相(すがた)から神理を読み解き、本質を見抜く眼を養う。眼前に広がる現象の奥底に秘められた、大いなる意思と調和の理を深く観ずる。己の主観を排して真実を映し出し、天地自然と一体となって歩む智慧を授かる。

仏教哲学に触れ、時代を超えて燦然と輝く普遍の真理を、静謐なる思索の中に深く沈着させる。論理の礎(いしずえ)を正し、混迷する現代を貫く確かなる価値観と、魂の座標を自らの内に打ち立てる。深遠なる教えを鏡として己の知性を研ぎ澄まし、生の本質を照らし出す智慧の光を明々と灯していく。

天地の活力を取り込み、魂の社(やしろ)たる肉体を健やかに保つため、内なる気の巡りを整える実践的なエネルギー練成。淀みない息吹によって全身の細胞を浄化し、心身の根源的な生命力を静かに、かつ力強く開花させる。宇宙の律動と自らの鼓動を調和させ、病を寄せ付けぬ強靭な精神と、瑞々しき活力に満ちた真の健康を確立する。


18の型における深層意識と、恐れや欲求から生じる反応を深く学ぶ。「基礎」で触れなかった、人を輪廻のループに縛る「煩悩」の分類を紐解く。自身の煩悩を自覚して弱め、健全な人格へ成長する実践を行うと同時に、他者もまたその煩悩に縛られている存在であることを深く理解する。

黙想から一歩進み、より高度な集中と正しい意念の持ち方を体得する。感情に振り回されない不動の心を養う。呼吸、身体、そして心の三者を調和させる「調身・調息・調心」の深まりをじっくりと体感する。日常生活のあらゆる局面でも揺るがない、精神基盤を築くための本格的な修行法。





維摩會では、上記のように、段階を踏んだ様々な修行法をご用意しています。本會には他にはない特別な実践法があります。それは日常のなかに実に簡易に実践でき、しかもその効果は絶大といえ、理法にかなった指導に誇りを持っています。
「維摩宗学堂」での学びは、一歩一歩山を登るように、ご自分のペースで着実に一段ずつステップを踏んでいけば、貴方の内なる可能性を最大限に引き出し、理想とする境地に近付き、さらにそれをも超越していくことが可能となります。それは、ご自身の霊の成長の過程であり、日常を通して行なう正しい修行の努力は、縁ある方々へも波及してゆくものです。
真理に出逢うことの縁は、どこにでもあるものではありません。今生という人生、そして今、与えられている日常という時間は、実はかけがえのないものです。
あなたご自身にしか歩むことのできない、最初の一歩を、ぜひ私たちと一緒に踏み出しませんか。

宗教宗派は不問、
初心者歓迎、
強制はありません
初めて仏教に触れる方を心から歓迎します。事前の知識は不要です。勧誘や寄付等の強要は一切行なっておらず、安心して学びに専念していただけます。

ライフスタイルに
合わせて、
自由に学べる
自宅でも外出先でも、好きな場所が学びの場に。PC、タブレット、スマホのいずれかがあれば、時間を選ばずいつでもアクセス可能です。

心と暮らしを整え、
一生役立つ
「生きる力」を
単なる知識の習得にとどまらず、日々の習慣や瞑想を通じて、心を健やかに保つ術を学びます。人生をより豊かで軽やかに歩むための智慧が身につきます。

揺るがない自分、
穏やかな
日常への第一歩
学びを通じて、感情の波に流されない「心の軸」が養われ、内なる霊性が高まります。自分を見失わず、穏やかな心で周囲と接することができるようになります。
福岡生まれ。文筆家。思想家。維摩會管長。
中学・高校とミッションスクールの西南学院に通い、キリスト教教育を通して聖書と西洋思想に親しむ。高校卒業後、しばらく精神の放浪にて見聞を広めた後、立正大学仏教学部に特待生として入学。昭和54年度卒。卒論は『龍樹研究』で空観に於ける異蘊の解明を論じた。業界紙記者などを経た後アメリカに移住。地球世界の文化を見て歩き人間研究を行なう。後に帰国。釈尊の語られた真理を現代に即した形で説き、半世紀にわたり3万人以上を指導している。
〈主な著書〉
著書に『新装版 科学者たち58人の神観』『新装版 ループ』『新装版 タオと宇宙原理』『人生は残酷である』
『光の世界1~3』『あなたの死後はこうなる』『シリーズ瞑想録①~⑧』『仏陀出現のメカニズム』などがある。
『新装版 タオと宇宙原理』は、英訳され”Tao and The Cosmic Principle”として世界に紹介されている。

人生は残酷である

侘び寂び
幽玄のこころ

タオと宇宙原理

科学者たち
58人の神観

ループ
忘れ去られた
記憶の旅

タオと宇宙原理
(英訳版)
仏教は2500年前、釈尊が菩提樹の下で悟りを開かれたことから始まりました。本会の仏教哲学講義では、その根本教説から原始仏教、大乗仏教まで、仏教哲学の基礎を学びます。

人生の岐路に立ち、選んでも不幸、選ばなくても不幸になるのではないかと思えるような、今まで経験したことのない苦しい選択を迫られた時期がありました。
快晴の青空が、その時の自分の心境とあまりにかけ離れていて、苦しくて、いっそ雨が降ってほしいと思った―その時の空を今でも覚えています。
そんな時、「もう今までの自分の価値観が根底から変わらなければ、この状況は乗り越えられない」と思っていた時に、御教えに巡り合いました。管長の一つ一つの御教えがとても新鮮でした。まず実践する、実修していくという御指導が自分に合っていたのだと思います。気が付けば、その後それまでの自分には思いもつかなかったような人生の転換を何度も経験し、人生の素晴らしさや意義を実感するようになりました。何かに強い関心を持っている人にも、また漠然と何かを探している人にも必ず心に響くものがあると感じています。 (30代 女性 Y・F)

中学生の頃、私は進路について思い悩んでいました。それは単に、「このまま高校、大学、就職へと進んでいくのだろうか」といった将来の見通しに関するものではなく、生きることの意味そのものを問いかけるようなものでした。
「人は何のために生きるのだろう」「死んでしまったらそれで終わりなのだとしたら、生きることにはどのような意味があるのだろうか?」。そんな問いを、私は繰り返し胸の中に抱いていました。自分なりに仏教やキリスト教についても学びましたが、どこか本来の教えから離れてしまっているように感じられ、既存の団体にはどうしても違和感を覚えていました。
そんな時、ある知人から「そのすべてに答えてくださる方がおられる」と聞き、入会しました。実際に学んでいく中で、人生はどこを目指して生きていくのかが、私の中で少しずつ明確になっていきました。それまで抱えていた迷いや疑問にも次第に答えが見えてきて、今では御教えが、自分にとって生きる上での大切な根幹となっています。
また、ここには、偉大な釈尊(ブッダ)が本来伝えようとしていた御教えの正当な系譜があり、現代に蘇っていると感じています。だからこそ、私にとってこの道は特別なものであり、ただ知識として学ぶだけでなく、自分自身の生き方を支えてくれる大切なものになっています。(50代 男性 Y・Y)

小学校高学年ぐらいから、自分が人と比べて容姿や学校の教科で劣っているとか、人と違うことをしてしまうとか、「自分」というものについて悩むようになりました。
周りの皆は楽しそうに仲良くやっているのに、自分はうまくやれない、それが楽しいとも思えない、と感じ、一方、人からの言葉に傷ついたりして、思春期には対人恐怖的になり苦しい日々が続きました。周りに合わせて社会の中で振る舞うことはできるようになっても、内面の問題は解決できないまま、「自分」とは何かを求めて、様々な本を読んだり、スピリチュアルの世界に飛び込んだり、ヨガや瞑想などをしたり、インドへの一人旅をしたり…と、彷徨っていました。そして、一冊の本をきっかけに維摩會に出会ってすぐに入会し、その後、管長の直接の御指導に初めて参加させて頂いた時には、なんと理路整然と明晰に物事を説かれるのだろう!!と感動しました。しかしながら、正しい理を御教え頂いても、自分の考えに囚われていると分からないことも多くありました。後になって、その通りだった、ああ、そういうことを御教えくださっていたのか、と腑に落ちることが多く、いまは何と深く、正しい理を説いてくださっているのかと、感謝と感動の日々です。「自分」というものの捉え方も変わりました。仏教では、「諸法無我」といって、あらゆるものに固定化された絶対の実体は存在しないと説きます。そのことを、断片的でありながら感じられるようになり、自分はあなたでもあるのだと感じ、当時ずっと自分を苦しめていた「自分」から、いつしか脱していました。維摩會と出逢い、管長の御教えを頂いてから、自分勝手で煩悩の追求でしかなかった自分の人生が、心を浄めて成長するために、御神仏から与えられているものであり、苦悩こそがその慈愛であることを、感じる日々です。(40代 女性 N・M)

子供の頃から漠然とした不安の中で行きていました。自分でもその不安が何なのかわからず、学生の頃は答えを求めて心理学の本を手に取ったりもしました。しかし、そこに解決はなく、ずっと説明のできない生きづらさを感じていました。
社会に出てからも、これから自分の人生はどうなるのだろうかという不安に急に襲われ、何も手につかなくなることもよくありました。
そんな頃、管長の御指導による講座を受講する機会に恵まれ、人生の宗教的な意味や信仰に心を向けることができました。それは自分とって人生を変える出来事だったと思います。自分なりのごく初歩的な小さな気付きではあるのですが、自分が生きることの意味に一歩近づけたと思っています。
人生が修行の途上であると気付くことで、生きることを肯定されたようにも思います。感謝をもって少しづつでも前に進める人生にしたいと思います。(30代 男性 O・N)

なぜ人は生きているのか。生きる真の目的は何なのかと思い続けていました。学校で勉強をして社会に出て何かを得たとして、一体その先には何があるのだろう…。
そんな風に思うようになったきっかけは、小学3年の時のこと。可愛がっていたペットのハムスターが自分の手からジャンプし、階段に落ちて死んでしまったのです。その時、ショックと同時に、一瞬、えっ?生きているって、死に向かっているってことなんだ! と大きな衝撃を受けたのです。死??。皆いずれ死ぬんだ。何のために人間は生きるのだろうと答えがわからず、生きることに対して虚しさがつきまとうようになりました。
中学時代、友達と表面上は楽しく日々を過ごしていても、頭の片隅にはずっとそのことがあり、影を引きずるように心の中で悩み続けました。しかしその答えを教えてくれる人はいませんでした。
そして、維摩會と出逢った時、その答えはここにある! やっと出会えた!と歓喜しました。人間が生きる真の目的がわかり、どのように生きていけばよいのかが明確になりました。
それから数十年、真の目的に向かって学び歩み続けています。今も勿論苦しいことはありますが、以前の苦しみとは全く違うものです。苦しみや悲しみがあっても、この生を生きているという実感をもって今、心は生き生きとしています。(40代 女性 A・S)

学生時代、家庭や進路の悩みに直面していた際、本会に出会いました。
真理をわかりやすく説かれる管長のお話に強く引き込まれたことを覚えています。宗教という枠にとらわれず、政治や社会情勢など幅広い事象を通して「人としてどう生きるべきか」を説かれる、地に足のついた御教えは、毎回私の心に深く刻まれました。
以前は目の前のことに余裕をなくし落ち込むことも多かったのですが、こちらで大きな視野を持って人生を歩む大切さを学びました。これからもその学びを日々の中で実践していきたいと考えています。(20代 女性 A・Y)

高校生の頃、不思議な「縁」に導かれるようにして入会しました。進学を機に環境がガラリと変わったことをきっかけに、周りへの感謝が込み上げ、物事の本質を知りたいと強く願っていた時期のことです。
母が見せてくれた会報誌を手にした瞬間、「ここだ!」と直感したのを今でも覚えています。
管長様の御法話は、私がずっと探し求めていた「生きる意味」を、世の中の出来事を通して分かりやすく説いてくださり、まさに目から鱗が落ちる毎日でした。それから30年、無我夢中で学びを続けてきましたが、今でも新しい発見と御指導をいただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。
ここで学ぶうちに、世の中の決まりきった価値観からスッと解き放たれ、以前よりもずっと軽やかな心で人生を歩めるようになりました。自分を磨く楽しさや、物事の根っこにある「因縁」を深く納得できたことが、日々の大きな安心につながっています。(40代 男性 W・N)

学校が荒れに荒れて、毎日のように事件や生徒指導に追われて悩みが尽きませんでした。
会に出逢い、会報誌が余っているからとスタッフの方に頂いたなかに、管長が書かれた「脳」についての執筆を見つけ非常に論理的で深い洞察に満ちた内容と説かれた原理に「求めていたのはこういうことだ」と思いました。自分が求めていたのは信じれば救われる的なものではなく、何故なのかという因の究明の姿勢と、多忙を極める日々のなかで実践できるということ、別な言葉で言えば、現実的であるということだった、と改めて気づきました。
その後、実際に日常が好転していきました。自分の意識だけでなく、担任している生徒さん達が変化していきました。ある時、自観法をしつつ受け持ちのクラスで授業を進めている時、問題が勃発しそうになった際、次の展開に至る因が無い、全く何もない、意識に引っかかってくるものが無いことに、ハッと気付き、大変に衝撃を受けたことがあります。
生徒さんや親御さんからの相談を受けるときにも、物事が解決していく、相手の方が安心する、クラスも授業も穏やかで楽しいものになる、といった体験が続き、やがて学校そのものが学びの場として非常に落ち着きました。1人の変化が周囲に波及する体験に感激していますが、最近は仏教哲学を学び、心・識というものが世界を作っていることを知り、更に驚きとともに、まずは心を素直に、そして浄めていかないといけないと思っております。(50代 女性 M・S)

子供に恵まれず不妊治療を続けていましたが、体の負担が大きく心身ともにバランスを崩し、治療をあきらめました。
夫婦や家族の中でも寂しさを感じ、得られない苦しみを味わい、その後、夫婦関係もうまくいかなくなりました。思えば子供の頃から、ずっと何か満たされないものを感じていました。生きているのが辛いと思うことは多々ありました。
そんな時に維摩會に出会いました。なぜ生きているのか、どうして辛いのか、苦しいのか… その答えは御教えの中にありました。自分自身を深く見つめる機会をいただき、御教えを学び実践していくことで、心に光をいただきました!!
人生が大きく変わりました!生きていく上での悩みや苦しみはありますが、今は、安心して日々を過ごしています。
(30代 女性 M・M)

入会後、程なくして管長の御法話に直接参加させて頂く機会を得ました。それは今でも忘れない、本当に衝撃の日でした。
そこで説いて下さった御話は、どれもこれもそれまでの自分の持っている様々の概念を根本から覆すような内容で、帰り道、呆然として帰宅したことを覚えています。
非常に高度な哲学や概念を、私たちにも分かるように平易な言葉で繰り返し説いて下さる。その日以来、私の人生の意味が一変したように思います。(40代 男性 I・S)

これまでは、よい事が起きると喜び浮かれてしまい、悪いことが起きると落ち込むといったように感情に振り回されていました。その感情の波は周囲をも巻き込み、人間関係を損なうこともしばしばでした。
しかし、維摩會での学びによって、感情をコントロールできるようになり、以前よりもだいぶ穏やかに過ごせるようになりました。それと呼応するように人間関係が自然と改善し、ストレスも大幅に軽減しました。結局、悪い運を呼び込んでいたのは、「思い通りにしたい」という執着心でした。
「仏教」が説く執着を離れることの大切さを、今、身をもって実感しています。まだ消えぬ我欲も、日々の実践の中で一つずつ手放し、より純粋な心になれたらと願っています。(20歳 男性 F・M)
初めての方にも分かりやすく、よくある疑問にお答えします。
はい、もちろんです。基本から一つひとつ丁寧にお教えしますので、安心してご参加いただけます。
事前のご準備は一切必要ありません。むしろ、先入観のない「白紙の状態」だからこそ、スッと心に響く教えもあります。まずはリラックスして、お気軽にご参加ください。
年齢制限はございませんので、どなたでもご参加いただけます。
現在、10代の学生さんから80代以上の方まで、幅広い世代の方が共に学んでいます。職業も、主婦の方、会社員の方、定年を迎えられた方など実にさまざまです。「学びたい」というお気持ちさえあれば、年齢や性別を問わず学ぶことが出来ます。
ご自宅や外出先などで、スマホやパソコン、タブレットなどを使って学んでいただきます。
受講開始時には一度ご来場いただき、お一人おひとりに最適な学びを一緒に確認いたします。(遠方にお住いの方・対面でのご都合がつかない方は、オンライン(リモート)にてお受けいただけます)
その後は、インターネットを通じて毎月配信される音声や動画の視聴、Zoomでのリモート受講などで学びを進めていきます。操作がよく分からないという方はサポートいたしますのでご安心ください。
九型十八心観は、インターネットを通じての受講となりますので、ご都合のよい時間に、好きな場所で学んで頂けます。(開始前のみ基本的には一度ご来場いただき、その後の修養がよく進むように概略説明と、心構えなどをご案内させていただきます。遠方にお住いの方・対面でのご都合がつかない方は、オンライン(リモート)にてご案内いたします。)
学びが進み信徒会員になられた後は、来場して頂き直接受講することが可能となりますが、その場合も決まった頻度はございません。週に1回の方もいれば、月に1回の方もいらっしゃいます。同時に、リモート受講や音声配信などもご用意していますので、ご自身の生活に合った頻度やスタイルで、無理なく継続して頂けます。
もちろんです。どなたでもお気軽にご参加ください。
本會は、特定の宗教への入信を目的とした団体ではありません。仏教に伝わる普遍的な智慧(真理)を、現代に活かすための「心の学び」として提供しています。 そのため、他の宗教を信仰されている方や、特定の信仰を持たない方も、自由にご参加いただけます。どうぞ安心して受講なさって下さい。
大丈夫です。初心者向けの坐禅入門講座をご用意しており、姿勢の取り方から呼吸法まで、基本から丁寧に指導いたします。体が硬い方や足を組むのが難しい方のために、椅子に座っての坐禅も可能です。
上記以外のご不明な点は、お問い合わせフォームよりお問い合わせください。
問い合わせが多い場合など、状況によってはすぐにお返事できない場合がありますので、予めご了承ください。