慈善活動

本会は、逍遥管長の指導の下、社会貢献の活動として、「隣人を助ける」の理念の下、37年以上にわたり、国内外でボランティア活動を継続しています。中国青年とネパール青年への資金援助からスタートしたこれらの活動は、生活に困っている人や恵まれない地域への金銭的、物質的な支援のみならず、その人達の精神的な支えとなってゆけることを願いながら、多くの方々の「人生の支援」を真心をもって行なっています。本会が開発してカンボジアの地雷原を水田に変えた地雷除去機は、今ウクライナの地雷除去にも使われています。また、地雷禁止国際キャンペーンで、日本での総署名数の約4分の1の署名を集め、ノーベル平和賞受賞に貢献しました。スリランカでは、2003年に寄贈した病棟で毎月100組以上の母子が帝王切開で誕生し、30人以上の重篤な新生児が治療を受けているのをはじめとして、様々な支援を継続しています。また近年は、病院の電子化にも大きく貢献しています。東日本大震災の時には、毎週トラック2台をつらね大量の支援物資を運び、被災者へと届けました。

社会貢献活動実績

カンボジア地雷撤去・水田開発支援

1994年、本会の援助による大型地雷破砕機の開発・製作に着手。1996年より地雷撤去作業開始。97年整地された100haが98年までに水田として再生され稲作を開始しました。また、対人地雷全面禁止条約早期批准のための地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)では、日本での総署名数の約4分の1に当たる55,731人の署名を集める協力をし、1997年のオタワ条約調印が実現。ICBLのノーベル平和賞受賞に貢献しました。

本会が4,000万円で寄贈した地震破砕パワーショベル

本会が4,000万円で寄贈した地震破砕パワーショベル

阪神大震災の被災者支援

1995年1月、阪神淡路大震災の被災者支援活動を開始。徒歩での支援物資提供および被災動物保護団体「アーク」への長期にわたる人的支援活動を行ないました。

阪神大震災発生直後の被災地での支援活動

スリランカへの医療援助と青少年支援

サンフランシスコ講和会議において日本の独立に多大な貢献をしたジャヤワルデネ初代スリランカ大統領が1996年11月に逝去され、氏の角膜の一つが日本人に寄贈されたのを機に、氏の遺徳を偲び、恩義に報いようと援助を開始。

帝王切開の手術を行なう手術室の不足により、命を落とす母子の多さから、管長の指導により、1997年よりスリランカの国立キャッスルストリート婦人病院に帝王切開専用手術室・新生児集中治療室からなる新病棟を寄贈、新生児用医療機器、患者送迎用ミニバス、旧病棟改修費、看護師日本研修、電子医療システム、重症ケア棟などを継続的に援助。スリランカ保健大臣より感謝状の盾を贈られました。これまで、帝王切開専用手術室だけで3万2,996組以上(2022年12月末現在)の母子の命が助かっています。
同病棟の2階にある新生児集中治療室(NICU)では、毎月、約30人の重篤な新生児が治療を受けています。

2004年12月末、インド洋大津波で被災したマハモダラ総合病院へも病棟と搬送用人工呼吸器を援助。また大津波孤児への毎月の支援金援助や里親による支援、住宅支援、日本招待などを実施しました。

キャッスルストリート婦人病院に2014年より援助している病院情報管理システムの導入と研修センター設立により、2016年、同院は、世界42カ国参加の連邦医師会でコモンウエルス・デジタルヘルス・アワードを受賞しました。病院の電子化は、入院・退院計算書発行、退院診断書、外来診療科、研究所、放射線科、薬局、不妊治療クリニックへと進んできており、スタッフへのコンピューターの技能教育やシステム導入を目指す病院への指導や研修も行なわれています。

スリランカ キャッスルストリート婦人病院への命を救う病棟支援に対する保健大臣からの感謝状がオープニングセレモニーで授与された

未熟児用保育器等の医療機器の支援

本会が支援した新病棟のオープニングセレモニーでの院長演説風景

手術室の不足により命を落とす母子を救うため帝王切開専用手術室を含む病棟を支援

重篤な状態で生まれてきた赤ちゃんのための新生児集中治療室も支援した病棟に併設

保育器5台を寄贈する式典の日の未明に生まれた4つ子を救うために急遽保育器が必要となり、4つ子が入った状態で保育器が寄贈されたニュースがスリランカの地元新聞やテレビで報道された

2010年に開催されたスリランカ孤児歓迎会

台湾震災孤児への援助

1999年 9月、台湾大震災により親を失った子供達の心のケアのため、管長の指導の下、4年にわたり日本旅行へ招待し、辛い体験を乗り越える支援を実施しました。その後も今日まで継続して生活の支援を行なっています。その活動に対し、台湾の各地方政府より感謝状が授与されました。

当時、親を失った深い悲しみを抱えていた中、日本での体験を通し、「自分も大きくなったら皆さんのように人を助ける人になりたい」と語っていた孤児達は、その時の思い出と感謝を胸に成長し、「あの時のことは忘れません」と、仕事や家庭を持ってそれぞれの人生を頑張っています。

1999年 9月、台湾大震災により親を失った子供達の心のケアのため、4年にわたり日本旅行へ招待

東京ディズニーランドで大喜びの台湾震災孤児たち

地元台中の市長をはじめ、台中県政府・南投県政府から感謝状が贈呈された

元台湾高砂義勇隊の方々の日本への招待旅行

仁愛の精神の下、2000年4月、大東亜戦争時、日本軍に志願した台湾の高砂義勇隊の方々を労うため、日本への慰安旅行に招待しました。「初めて祖国の地を踏みました」という方も多く、大変喜んで、日本を堪能されていました。彼らがしゃべる日本語、彼らの歌う戦前の歌謡曲や軍歌には哀愁がただよい、現代の日本人よりも彼らからの方が伝統的日本人の心が伝わってきて、感動させられるものがありました。

ホームレス支援

「隣人を助ける」の精神に基づき、1999年より、関西では2020年6月まで、関東では2020年12月まで21年間、ホームレスへの炊き出し・社会復帰支援を継続しました。その最も特筆すべき点は本会の圧倒的衣類支援によって京都と神奈川地区のホームレスの服装が劇的に綺麗になり、一般市民と全く変わらなくなったことでした。しかし、ボランティアが高齢者中心だったためコロナ禍により否応なく中止させられてしまいましたが、その後も毎週食糧支援を続けています。また、炊き出しについては次の企業に引き継ぐことが出来ました。

関東でのホームレス待望の衣類や毛布などの物品配布は、ひき続き、四半期毎に継続しています。

また、2013年より現在に到るまで、毎週1回、社会的弱者への食糧支援を継続中です。

それぞれの事情により、家も家族も失なったホームレスの人々の中には幼少時に親に捨てられ、施設に預けられたという人も少なくありません。当初のホームレス支援においては、彼らの荒れた心により、すぐに争いを起こしかねない状況でしたが、長年の活動の積み重ねにより、「感謝の心」「互いを思いやる心」が育まれています。活動に参加し、手伝い、自らの役割を全うすることにより「生きがい」を見出している人々もおり、本活動は非常に温かな活き活きした場を作り上げる役割を果たしてきました。

関西では、夏に「夏祭り」を開催し、ふるさとや懐かしい思い出を喚起して、心のケアや生きる意欲につなげるような取り組みも行なっており、ホームレスに喜ばれていました。

関東の主たる活動場所である川崎市からは、長年の活動実績に対しての信頼を頂き、提案・意見等の交換を行なっています。

ホームレスへの炊き出し

東日本大震災の被災者支援

2011年3月、大震災直後に被災現地入りし、全国の支援者や各業者の方々に協力を依頼して集めた大量の支援物資を積み込み、継続的に現地に赴き、物的支援、人的支援、心のケア支援を行ないました。

漁業復興支援では津波の大きな被害により被災地の方達も諦めていた 牡蠣 かき 養殖に協力し、いち早い復活を成し遂げ、現在に到っています。

津波により、船を無くし家を無くして壊滅的な被害を受けたご家庭の中には、多くの中学生達がいました。本会は支援地域の中学校の要請を受け、若者たちに将来への夢を力強く持って貰うため、進路指導授業を行なうと共に、進学を諦めていた子供達に就学援助を行ないました。その中の1人、M君は、希望高校に入学し更に大学へと進学。現在は社会人として働き夢に向かって歩んでおり、このほど結婚の報告を受けました。

更に一度は高校就学を諦めた生徒を含め、被災児の就学支援を継続して行ないました。就学支援を行なった人には社会人として働く人のほか、大学に進んだ学生がいます。彼は、「津波当時は絶望していたし将来の夢を描くなど思いもよらなかった。けれども支援を受け応援をして貰いながら、本当に自分の望む進学が出来たことに心から感謝しています。出来る限り努力をし、恩返しがしたい。そしてまた将来は故郷の復興に役立ちたいです」と語っています。

漁業復興支援では津波の大きな被害により被災地の方達も諦めていた 牡蠣 養殖に協力

跡形もなく崩れた家屋や瓦礫の中、物資を運ぶ。現地ではテント泊し頻繁に東京と現地を往復した

震災後、全国からの支援物資をトラックに積み込み、まだ支援の手が届いていない地域へ向かう

被災地の中学校での進路指導授業風景1

被災地の中学校での進路指導授業風景2

被災地の中学校での進路指導授業風景3

ボランティア活動のあゆみ

年月 内容
1985年~ 中国青年への支援(現在、オーストラリアで実業家として活躍中)
1988年~ ネパール青年への支援(現在、現地のレストラン経営などを行なっている)
1994年 カンボジア地雷除去活動への援助を開始。大型地雷破砕機の製作に着手
1995年  1月 阪神淡路大震災被災者支援活動を開始。支援物資提供および被災動物保護団体「アーク」への支援
1996年  2月 カンボジア・プレイパンダオ村で、本会が開発寄贈した大型地雷破砕機を使った地雷撤去作業開始。
同活動状況がNHKで放映される
1996年  6月 カンボジア首相の紹介でブノンペン・タクマオ村へ活動拠点を移動。地雷除去・水田開発開始
1997年  8月 スリランカ・コロンボの国立キャッスルストリート婦人病院に新生児用医療機器寄贈
1997年10月 カンボジア・タクマオ村で100haを整地完成。20haの水田完成
1997年10月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に未熟児用保育器3台寄贈
1998年  8月 カンボジア・タクマオ村で100haの水田が再生され田植えを開始
1998年  9月 ノーベル平和賞受賞『地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)』日本支部の地雷廃絶署名活動で、
総署名数20万人の約4分の1にあたる55,731名を集め、小渕首相は地雷禁止条約批准を決定
1999年  9月 数回にわたり台湾元日本兵の調査と慰問のため訪台
1999年  9月 921台湾大地震の翌日、支援活動のため台中入り
1999年12月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した新病棟建設の着工式参列
1999年12月~ 東京、京都でホームレスへの慈善活動。その後継続的に炊出しや物品配布を実施
2000年  2月 第1回台湾大地震被災遺児日本招待旅行開催(震災孤児37名を招待)
2000年  4月 台湾高砂族元日本兵23名日本招待旅行
2001年  2月 第2回台湾大地震被災遺児16名日本招待旅行
2002年  1月 第3回台湾大地震被災遺児41名日本招待旅行
2002年  1月 関東地区月2回、関西地区月1回ペースでホームレスへの炊出し開始
2003年  1月 第4回台湾大地震被災遺児31名日本招待旅行
2003年12月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院の新手術室及び新生児集中治療室のオープニング式典。
ダヤラトウネ健康栄養厚生大臣(当時)を始め歴代厚生大臣、スリランカ政府官僚約20名、病院関係者と共に本会代表他23名が参列
2004年  7月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院の新手術室にて、初の緊急手術で2600gの女児誕生
2004年12月 台湾大地震被災親子に援助金授与
2005年  5月 スリランカ・インド洋大津波の被災孤児援助開始。被災孤児への毎月の生活費等継続支援
2005年  8月 スリランカ・インド洋大津波の被災孤児支援金授与式参列。被災地域や孤児院視察
2005年12月 台湾大地震被災親子に援助金授与
2005年12月 スリランカ・インド洋大津波の被災孤児への里親支援開始
2006年  2月 インド洋大津波被害地域スリランカ・ゴールのマハモダラ総合病院に新生児搬送用人工呼吸器を援助 
スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に新生児搬送用保育器を援助
2006年  2月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院新病棟エレベーター援助
被災孤児家族の生活援助の為に事業資金とミシン等を援助/被災孤児の歯の治療費援助
2006年  7月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に検査母子搬送用のミニバスを援助
2006年10月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院にて本会援助の新生児集中治療室(NICU)の正式稼働およびミニバスの贈呈式典
2007年  1月 スリランカ・ゴールのマハモダラ総合病院に新病棟建設援助開始
2007年12月

スリランカ・ゴールのマハモダラ総合病院の臨時病棟完成寄贈。 オープニング式典に、デ・シルバ健康栄養厚生大臣、
政府関係者、病院関係者および本会代表他が参列
スリランカ青少年支援プログラム継続の必要性を確認する為、児童保護局の書記官と面談。ゴールの孤児院訪問

2008年  1月 本会里親とスリランカ津波孤児の文通開始
スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院の新生児棟の改修工事費用およびX線装置付保育器5台の費用援助
2008年  2月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した新生児棟の改修工事開始
2008年  3月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院上級看護士の日本への交換研修プログラムを援助
2008年  4月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院にX線装置付新生児用保育器5台を寄贈。贈呈式の日の未明、
保育器の空きがない時に4つ子が生まれ、その日、寄贈される予定だった本会の保育器を使用して、
間一髪で命が助かった。贈呈式では、5台のうち4台に赤ちゃんが入った状態で寄贈された
2009年  2月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院にドップラースキャナー2台を寄贈(発注:2008年7月、スリランカに到着:同年10月)
2009年  2月 スリランカ・ゴールの津波孤児姉弟への住宅の援助決定
2009年10月 本会里親が、スリランカ・ゴールの孤児院に里子の姉弟を訪問し、感激の対面を果たす
2009年12月 台湾孤児を日本に招待し、義援金授与
2010年  9月 スリランカ・ゴールの津波孤児姉弟の就職・独立を実現させ、日本に招待
2011年  3月~2015年  2月 東日本大震災被災者支援活動、就学支援、漁業復興支援開始
2011年12月~2014年 ボリビア人自立支援
2013年 台湾大地震被災孤児に支援金授与
2014年  8月~現在 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に病院情報管理システム導入支援開始。継続中
2015年  5月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院への病院情報管理システム(入退院システム)贈呈式参列
スリランカ・ゴールの津波孤児の住宅援助金贈呈。病棟を支援したゴールのマハモダラ総合病院訪問
コロンボのキャッスルストリート婦人病院で命をとりとめた母子らと対面。感謝の言葉を受ける
2015年 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院が本会が支援した病院情報管理システムの導入を目指す病院への指導や研修開始
2015年  8月 台湾大地震被災孤児に学資支援
2016年  3月~12月 台湾大地震被災孤児に学資支援・医療費援助、祝い金・支援金授与
2016年10月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院が、世界42カ国の連邦医師会のトリエンナーレコンファレンス2016にて
持続的な電子医療システムの実施・問題解決手法に対するコモンウェルス・デジタルヘルス・アワード受賞
2017年  2月 スリランカ・ゴールの自立支援と住宅支援を行なった震災孤児より赤ちゃん出産の報告
2017年  4月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院にイントラネット構築支援
2017年10月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した研究所システム稼働。多数の使節団が視察に来訪
2017年 台湾孤児への学費支援
2018年  3月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した待ち行列管理・外来診療部門・薬局システム稼働
2018年  6月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した外来診療部門システム正式稼働
2018年  7月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した電子的X線撮影システム稼働
2018年 台湾孤児への医療費支援
2019年  2月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院の重症ケア棟への医療機器支援(支援決定:2018年2月、政府より承認:同年12月)。
不妊治療クリニックシステムへの第1回支援(支援決定:2018年7月、政府より承認:同年12月)
2019年  2月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院の不妊治療クリニックシステムへの第2回支援
2022年  1月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した不妊治療クリニックシステムの導入
2022年 9月 スリランカ・コロンボのキャッスルストリート婦人病院に支援した不妊治療クリニックシステム正式稼働