春日大社の例祭

春日大社の例祭

春日大社は、超有力貴族の藤原氏の氏神神社として、藤原氏の氏神を祀り七六八年に創建されました。

神が白鹿に乗って奈良の地においでになったと伝えられ、鹿は神の使いとされています。春日山原始林に続く 御蓋山 みかさやま の西側の ふもと 、奈良公園内にあり、平成十年、奈良の文化財として春日大社と春日山原始林が世界遺産として登録されました。

百人一首の七番歌、 阿倍仲麻呂 あべのなかまろ の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(夜空を仰ぎ見ると、そこに丸い月が上っている。あの月は昔、春日大社のあたり三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ)の三笠山とは春日大社の御蓋山のことです。

ところで、阿倍仲麻呂は八世紀、遣唐使として二十歳で唐に渡り、唐の 科挙 かきょ (試験)に合格して官僚となり、玄宗皇帝に気に入られて、皇帝の側近として仕えました。

前述の和歌は、唐に渡って三十年経ち、やっと帰国が許された際の送別会で詠(よ)んだ歌です。

当時は、無事に船で生還出来るのは半分くらいでした。

生きて帰国出来ないかもしれないと、 辞世 じせい の句のように おのれ の人生を たく した歌でした。

事実、仲麻呂は、帰国の途中船が難破して唐に戻り、日本に帰ることが出来ないまま唐で亡くなりました。

この春日大社で、三月十三日に、春日祭が行なわれます。 例祭 れいさい という、その神社で一番大切なお祭りです。

嘉祥二年(八四九年)に始まったと伝えられ、維新以前は年二回、二月と一十月の上の さる の日に行なわれたことから申祭とも呼ばれました。

藤原家は繁栄し、一族から皇后が出るようになります。

一族の平安祈願から、平城京(奈良)の守護と国民の繁栄を祈願するために、平安時代より公の祭りとなりました。

現在、 勅使 ちょくし (天皇陛下のお遣い)が 奉幣 ほうへい (お供えを たてまつ る)される 三大勅祭 ちょくさい (葵祭、石清水祭、春日祭)の一つです。

神事では、 御棚神饌 みたなしんせん と呼ばれる古式神饌を奉ります。

春日大社

春日大社(奈良県)