東洋哲学研究会

2022.02.13

論語 子張第十九 17

論語勉強会議事録

2022年2月13日(日)11:00~12:00

開催場所:春秋館

議事内容:引き続き「孝」に関する章を取り上げて議論致しました。


論語 子張第十九 17

曾子曰、吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎

曾子 そうし 曰く、 われ これ 夫子 ふうし に聞けり。 ひと いま だ自ら いた もの らざるなり。必ずや おや かと。

意味

曾子言う、私は次の如き教を先生から伺ったことがある。

すなわちそれは、自然の発露で人間本性の情を最大限に出し尽さずにおれぬというような事柄は、人には滅多にあり得ない。

もしありとすれば、それは必ず親の亡くなった喪の場合であろうか、ということであった。

親子の情愛は人間の自然に発した最高のものであるとの意味である。孝を以て百行(すべての行い)の本となすのは、そのためであろう。致すとは、あらん限りの力を出し尽くす意。

(諸橋轍次訳)

結論

親との関係は最も深いだけに葛藤も多くあるもので、親の存命中には、本来ある孝の心は、葛藤や思惑などに覆われています。そして、親が亡くなった時に初めて、覆っていたものが取り払われて、心の奥底から最高潮に達した真情が発露するのではないでしょうか。

要約

実体験に基づく意見が参加者から活発に出されました。

なかでも、親の存命中には思ってもいなかったほどの感情が、亡くなってから自然に発露したという体験を持つ人が多かったです。そして、親とは深い関係にあるだけに、存命中は葛藤もあり、本来あるはずの孝の心が、葛藤や思惑に覆い隠されているが、親の喪に際して、それが取り払われることにより、自ずと発露するのであろうとの意見が出されました。

そして、親との葛藤を乗り越えることで、より深い孝の心を培うことができる。だから、葛藤を否定せず、乗り越える実践をすべきであり、「人未だ自ら致す者有らざるなり。」「必ずや親の喪かと」の順序で孔子様が仰ったのも、そのお気持ちからではないかとの意見も出されました。

議論

<議論>司会:耕大、議事録:丈山

耕大:冥加さんより「致すとは、どこに何に至ったのだろうか?」との疑問が出されている。これについての意見、又は自分の体験的な話を含め、意見を出して欲しい。

凡知:「自」の読みは、専門家は「みずから」と読んでいるが、「おのずと」との読み方も成り立つのではないか。前者は自らの意思によるもの、後者は自然の発露によるもので意味合いが少し違ってくる。ここは、自然の発露である「おのずと」の意味ではないか。

耕大:「頭で考えて」ではなく、「自然に先祖や親への気持ちが湧いてきて」ということだろう。

冥加:致すとは極みを尽くす、との解説が書かれているが、具体的な説明はなく、たましいに触れることかと思った。親の死に目よりももっと心が動くことがあることがあるのではないか?とふと思った。道を求める心は、喪をも超える極致ではないかと思った。しかし、ここでは人のことを言っているのであれば、親の喪でも良いのだ、とも思った。

秋実:自分の経験を思い出すと、自分でも思ってもいなかったような感情、情愛が突き上げてきたことがあった。親が元気だった頃は不平不満を言っていたが、亡くなった時の感情は、得も言われぬ感謝、今自分がいるのは両親がいてこそという気持ちが湧き上がって来て、手紙を書き棺に入れたことを思い出す。遠雷:親の喪の時に、心の奥にある純粋なものが自然に発露するのではないでしょうか。そこには思惑を超えたものがあるのだと思う。だからこそ孝がベースなのではないか。私も父が亡くなった時、電車の中なのに涙がとめどなく流れ、大泣きしてしまった。

奏江:私の母は闘病の末に亡くなったが、その後、後悔、感謝、そして愛おしい気持ちが湧いてきた。これほどまでに人を愛したことがあっただろうか、という思いだった。それは亡くなってから出てきた気持ちである。

耕大:「人未だ自ら致す者有らざるなり。」その後に「必ずや親の喪かと。」という文脈になっているのはなぜだろう?

奏江:通常の状態では発露しないものが、親が亡くなった時に、親を思う孝の気持ちが最高潮に達するからではないか。

謙二:親を亡くされた皆さんのお話し、その純粋な思いを感じ入る。私の両親は存命だが、なぜ今、存命のうちにそれだけの気持が持てないのか?というのが私の課題である。そう思うと、この文脈から伝わってくるものがある。

耕大:宰我は「喪は一年で良いのでは?」と言っていたが、宰我は親の喪を経験していないのか?それとも経験した上でそのように言っていたのだろうか?

奏江:宰我の場合、発露させない何かがあったのだろう。

秋実:私は、親が亡くなって初めて、覆いかぶさっていたものが取り払われるような経験をさせられた。謙二:親が生きている時は、様々な関係性の中、凡夫ゆえあれこれ俗事に追われてしまい感受性が覆い隠されているのではないか?

耕大:誰でも真情を持ち合わせているが、生きていれば忙殺されるし思惑もある。親が亡くなった時に発露することに気づかなければいけない。

遠雷:親との関係は最も深い関係だけに、最も葛藤があり、最も深い愛情もある。その両面があるのではないか。葛藤を超えてこそ深い孝にもたどり着けるので、葛藤は否定するものではないと思う。それが現存在としてのあり方なのだと思う。

謙二:生きている親に対しては、葛藤を乗り越えるという実践をしなければならないと思った。

山吹:私の場合、父の時と、母の時とで随分気持ちの違いがあった。父の時は自然な気持ちの発露があったと思う。母の時は、生前の時感じていた関係性のもどかしさに変わって、亡くなった直後母をとても身近に感じて嬉しかった。悲しみが出てきたのは亡くなってから数日経ってからだった。奏江さんのお母さんへの「愛おしい」という気持ちを聞いて、自分の中にもそれがあることが分かった。それは今、母が自分を思ってくれた愛情を素直に受け取れたからだと感じました。

凡知:この時代は、形式や礼に縛られていて、世の中に不自由さがあった。そのような中、孔子様は良い事とか悪い事を離れ、極まって自然に真情が発露するものがあるのではないか、ということを仰りたかったのではないか。

六花:私は母を亡くして一年経つが、葬式の時もずっと母の時を考えていたことを思い出す。この文を読んで、ああ、そういうことだったのかと思った。血がつながっていてもいなくても、母と過ごした時間は長いし、すごいエネルギーであったと思う。葛藤もあったが、全てが懐かしい、愛しいものになった感じだった。親とうまくいっている人ばかりではないと思うが、親とともに生きてきたという現実があると思う。

涼風:親が亡くなった時の気持ちは、ずっと続くものだと思う。生きている時は必死だったが、今になって、こうすればよかったと後悔ばかりである。母が亡くなる時、一人で逝かせてはならないと思い、ずっと抱きしめていた。立場は逆だが、私が生まれる時、母もそんな気持ちではなかったのかと思う。

柴里:私は父が亡くなった時は、激しい感情はなく、静かな気持ちだった。余命3ヶ月と診断された時が最も父の死を意識した時であった。水行をして願をかけていたところ、その後5年くらい生きた。そして私が家族全員を連れて父の所へ行った時、自宅療養していつも寝ていた父が、嬉しかったのか起きてきて孫(私の2才の娘)の相手をしていたことを思い出す。妻の父とは、旅先で知り合った。その後、その家を訪ねることになったが、その後、すぐに亡くなってしまった。妻の父が娘を(大切にし護ろう)思う気持ちで、私は妻を見るという二重構造がある。

凪沙:私は両親とも存命だが、2年くらい前に父が癌になった。転院させたりしたが、頭で色々考えてというより、とにかく一生懸命だった。このような切羽詰まった時には 惻隠 そくいん の情というか、心の奥底にあるものが出てくるのではないかと思う。

耕大:孔子様がこの文脈で仰った背景も見えてきたのではないか。