東洋哲学研究会

2022.01.30

論語 陽貨第十七 9

論語勉強会議事録

2022年1月30日(日)11:00~12:00

開催場所:春秋館

議事内容:引き続き「孝」に関する章を取り上げて議論致しました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


陽貨第十七 9

子曰、小子何莫學夫詩。詩可以興、可以觀、可以羣、可以怨。邇之事父、遠之事君。多識於鳥獣草木之名。

子曰く、 小子 しょうし なん を學ぶこと き。詩は以て きょう く、以て る可く、以て ぐん す可く、以て うら む可し。之を ちか くしては ちち つか え、之を とお くしては きみ つか う。多く 鳥獣 ちょうじゅう 草木 そうもく の名を る。

意味

孔子がある時、門人達に向かって言うには、諸君は何故あの詩経を学ばないのか。詩経を学ぶがよい。詩経を学べば、それによって喩えて物を言う、物柔らかな言葉遣いが出来るようになり、風俗人情を観察することも出来、衆人と共にいて和らぐことが出来、怨むべきはもちろん怨むが、その怨みが怒りに発して過ちを犯すというようなことがなくなる。

又詩経を学べば、手近な所では、家庭内において父母につかえる道を知り、出でて社会国家に立つ場合としては、君につかえる道を知るようになる。その上更に、多く鳥獣や草木の名を識る、博識の効果も得られるものである。

(諸橋轍次訳)

結論

この章は孔子様が、詩経の学ぶことの素晴らしさを語られる章となります。

詩経を学ぶことにより、鳥獣や草木の名、また喩えて物を言う、物柔らかな言葉遣いを学べます。

また、為政第二 2には「思い邪無し」、また、詩経の大序には「詩は人心の発露せるものである,人の心に在るのが志で、之が言に発して詩となる。心中に感情が動けば自ずと言にあらわれる。言にあらわしただけでは足りず、 そこ で之を 嗟嘆 さたん(なげくこと)し、嗟嘆しても足らず、更に永く声を引いて歌う。歌うても尚足らず、遂に覚えず手の舞い足の踏むに至る。情が声に発し、その声が高下清濁交って あや を成すもの、之を音という。」と書かれている心情に触れるものを学ぶことが出来ると考えます。

また、親に直言、友達・目上の人に忠告・諫言する折にも、それとなく、遠回しに、また詩経の比喩を使うことにより、己の心情を吐露すると共に、相手にその心根を察してもらうことが可能になると考えられます。里仁第四18より父母に仕えて幾諫す、とあり、角が立たないよう礼を失さずに諫める際にも、詩経は学ぶ大切さがあったのではないかと考えられます。また、社会に出て上に仕える(忠)など人格形成に役に立つと考えられます。

議事要約

まず、詩経の大序の紹介、また、論語の中で詩経に関わる章の紹介がありました。

詩経は多くの場で使用され、実際に外交の場、また親への直言や友達や目上の方への忠告・ 諫言 かんげん の場などで使用された例も紹介されました。忠告・諫言に関しては、詩経は自分と他人の関係の和を図ろうとするものであったのではないかとの意見がありました。

詩経の何が孝に繋がるのかという議論もなされました。詩経は思いが凝縮されており、詩という形式(リズム・韻)が心情により伝わりやすいのではないかとの意見がありましたが、実際に詩を学んでいないという点から議論を終えました。

この章では、詩経を読むことで孝や忠を学ぶことが出来ることなどが書かれており、また、為政第二2でも「思い邪無し」とあるなど、詩経を学ぶ良さを改めて紹介された章であったとのまとめとなりました。

議論

司会:佐龍、議事録:凡知

凡知:『詩経』(目加田誠著、講談社学術文庫)から詩経の大序の紹介をします。

「詩は人心の発露せるものである。人の心に在るのが志で、之が言に発して詩となる。心中に感情が動けば自ずと言にあらわれる。言にあらわしただけでは足りず、 そこ で之を 嗟嘆 さたん (なげき)し、嗟嘆しても足らず、更に永く声を引いて歌う。歌うても尚足らず、遂に覚えず手の舞い足の踏むに至る。情が声に発し、その声が高下清濁交って あや を成すもの、之を音という。されば治世の音の安楽なるはその まつりごと の順なるが故であり、乱世の音の怨怒えんど の色あるは、その政が道に背くが故であり、亡国の音の哀しく思い多きはその民の くる しめるが故である。故に政治の得失を正し、天地鬼神を感動させること詩にまさるものはない。先王はこの詩によって、夫婦を正し、孝敬を成し、人倫を厚うし、教化を美にし、風俗を善に向わしめた。

かくて詩に りく  ということあり。一に ふう 、二に 、三に比、四に興、五に雅、六に しょう 。風とは かみ 之を以て しも を風化し、下之を以て上を風刺し、 ことば のあやを主として、それとなく相手を諫めれば、下に之を言う者罪を こうむ ることなく、上に之を聞く者以て自ら戒しむるに足る。周の王道衰え、礼義 すた れ、政教 じょ を失し、諸侯大夫 おのおの その行いを ほしいまま にするに至って、変風変雅の詩が おこ った。国史の官が これ ら変風変雅の詩を採録したについては、政治の得失、人倫の衰廃、刑政の苛酷を いた み、偽らざる人の情性を吟詠して上を風刺し、世の移り変わりを 洞悉 とうしつ (知り尽くすこと)して、古の風俗に返さんすべを おも うたのである。故に変風は偽らざる情に発して、 しかも結局礼義に止まる。情に発するは民の さが であり、而もそのよく礼に止まるは、尚先王の教化の しか らしむる所である。

されば一人の喜怒哀楽にもとづいて、一国の事を うた いあらわせるものを風という。天下の事を言い四方のありさまをあらわすもの、之を雅という。雅とは正、正は政に通ずる。 すなわ ち王政の興廃する所以を述べたもの。且つ政にも大事あり小事あり、従って詩にも また 小雅があり大雅がある。頌とは先祖の盛徳 功業 こうぎょう (功績)をたたえ、神霊に告げるものである。この国風、大雅小雅、頌の四つを四始といい、詩の至極を尽したものである。」

(出典:『詩経』目加田誠著、講談社学術文庫)

詩(経)が出現している「論語」章の紹介

①學而第一15

・・・詩に云ふ、 せっ するが如く、 するが如く、 たく するが如く、 するが如し・・・(国風 淇奥)

②為政第二2

・・・詩三百、・・・ おもひ 、邪無し。

「詩経 魯頌四之四 駉」(賦)に

・・・思うこと よこしま 無し・・・

(・・・魯侯の思いは、常に他念が無く、専一であって、・・・)

③八佾第三20

・・・ 關雎 かんしょ ・・・(国風 召南)

④泰伯第八3

・・・詩に云ふ、戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し・・・(小雅 小旻)

⑤泰伯第八8

子曰く、詩に おこ り、禮に立ち、 がく に成る。

⑥泰伯第八15

・・・ 關雎 かんしょ ・・・(国風 召南)

⑦子路第十三5

・・・詩三百を誦し・・・

⑧季氏第十六13

・・・詩を学ばざれば、以て言うこと無しと・・・

⑨陽貨第十七9

子曰く、小子何ぞ の詩を學ぶこと き。詩は以て きょう く、以て観る可く、以て ぐん す可く、以て怨む可し。之を ちか くしては父に つか へ、之を遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を る。

⑩陽貨第十七10

・・・周南・召南・・・

佐龍:大序の最初に、詩は人心の発露せるものであるとあり、今回の諸橋氏のところにも、真情の発露というところが解説で書かれています。また、今、凡知さんから解説がありましたように、孔子様は、自分の子供にも弟子にも詩経を学べということを仰っています。議題のポイント(この章と孝の関係)に戻ります。今回この章を学ぶに際して、そして、孝というものを学ぶに際して、詩経の大序に、詩は人心の発露せるものであるというところがポイントかと思っております。小豆さんが何れも詩経の詩も作者に邪念が無く、一つの誠に発しているといえるとコメントがあり、これは諸橋氏の解説を引用しているのですが、孝というものはそういうものではないかとコメントされています。また、冥加さんがコメントの中に述而第七1の言葉を引用されています。

佐龍:先ほど凡知さんが言われたように、詩経の知識がないと外交が出来ない。やっぱり詩経に通じていなければいけないから、学而第一の切磋琢磨や詩経を引用しつつ、おまえ凄いな!出来るな!というのを外交上でやっていたりとか、うちの国はこういうつもりでいますというのを暗に、詩経の詩に乗せて相手に伝えて、相手にうまく伝わるとか、相手がそれに返す詩を出してきて、それが全然合ってないと、アイツダメな奴だな!みたいな評価になったりするみたい。六義の中の風、雅、頌は、内容による分類。表現による分類は、賦、比、興。風は詩経が出来た当時、周の時代、国が15あった。それぞれの国の民謡というか詩だったみたい。だから恋愛の詩とかが多かった。雅というのが宮廷のなかで用いられた音楽みたいな感じ。頌は祭事との時に讃えるようなそんな歌だった様です。なんで詩経が「孝」なのかなと思った。話が広がってしまった。述べて作らずに触れていなかった。自分で新たに語るのではなく、継承して述べる(述べるにはそのまま変えずに伝えるという意味がある)古のもの(詩経など)を孔子様は好んでおられた。

遠雷:凡知さん、冥加さんの説明で詩経が大分わかるようになったのですが、詩経は楽と共に人間の教育、情操を養うためのものとして重視されていたんだと思いました。ここで、孝と共に忠が出ていますよね。何でこの中に孝と忠が出てきているのか。冥加さんが疑問を呈していましたが、道徳(仁義礼智信孝弟忠)は、高次元(形而上学的・原理的)のものから低次元(身近な)のものまであると思うんですが、孝とか忠とかすごく身近なものであれば詩・詩経を通して学ぶことができるよという意味合いなのかなと思いました。

佐龍:詩経で孝を養うとは?

遠雷:道徳には、五常八徳、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌があります。仁を体得し、理解するのは難しいですが、孝とか忠といった身近なものであれば、詩を学ぶことにより体得できるし、学ぶことが出来る、そういう意味で孔子様は仰っているのではないかなと感じました。 

奏江:ちゃんとした詩経の知識はないのですが、読んだままに感じたんですが、音楽で歌を歌う、歌に書かれている詩というものが、何かの思いが凝縮されている感じがする。詩というものは心情がより伝わりやすいように表現されていて、例えば、誠の思いというものがより一層詩というものであらわしやすいです。リズムというか、孔子様の詩経と離れてしまうかも知れないのですが、英語の詩などでは韻を踏む、リズムを整えることによって、そこから醸し出されるリズムは表現しづらいものをあらわすことができるような感じがします。自分の知っている詩から想像するに、その人の心情とか、物事を表わす時に、そこにその人の思いが凝縮されたものがあって普通の言葉では伝わらないような思い、誠の思い、そういうものが醸し出されてくるとういか、心に響きます。それにより相手の心も豊かになるし、呼応する、感応するというか。
まとまらないのですが、詩経と離れてしまいますが、その人の思いが凝縮されてそれが相手の方の心に響いてお互い感応し合って、何かまた、豊かなものに変わっていくんじゃないか思いました。孝か何かに繋がっているは分からない。

遠雷:いい話でした。どうして詩経・楽なのかなと思っていましたが、先ほどの奏江さんが、韻を踏む、リズムといってくれましたよね。韻を踏む、リズムが大事。呼吸は、宇宙の波動に繋がっていく。こういった韻を踏む、リズムは宇宙の波動と一体化していくようなものに繋がっていくのではないか。だから、詩経は韻を踏む、詩とか楽とかを重視されていたのではないか。先ほどの、孝と忠も具体的な詩が見つかったらイメージが掴めるのではないか。どういうのが孝で、どういうのが忠か見つかったら、議論が進むのかと思います。

冥加:一応、父、孝の文字の出現数を追ってみたが、めんどくさかったので内容は追っていない。

凡知:沢山あって調べませんでした。孝とか忠に話は、詩をある程度マスターすることによって、親に直言するとか、友達に直に怒るとか目上の人に忠告・諫言する折に、それとなく遠回しに、また比喩を使ったりして、時には柔和に時には風刺的に時には身振り手振りで、己の心情を吐露すると共に、相手にその心根を察してもらえればという、自分と他人との関係の和を図ろうとするものでしょうか。一つ思い出すのは、若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという話。詩の力が人格形成に役立ったのですね。

佐龍:奏江さん、遠雷さんは、詩というものが心情に触れることで孝というものが自然に発露するということを仰りたかったのかと解釈しています。また、その詩のリズムが、呼吸、宇宙の波動、そういうものに感応していく、響く。そういうことでしょうか。

遠雷:そういうことです。

降人:以前、詩経に節をつけて歌い上げるのを見聞きしたことがある。楽と詩経が深く関係して大切にされていたのだと思う。詩経の中にけっこう「孝」や「忠」に繋がる句がある。詩経「小雅」の中の「小宛」などを見ると「亡き父母を念うて止まぬ」とか「そなたの父母を辱めまい」などの詩文がある。「戦戦兢兢、如履薄氷」などの言葉もある。参考までに。

柴里:詩経の解説書を検索すると、子供が行役(命ぜられて土木事業に従事したり、国境を守ること)に出て故郷の父を思い、母を思い、兄を思う望郷の歌、故国の老いたる父母が如何に日を過ごすかと憂い嘆く歌があります(目加田誠著、講談社学術文庫、p43)。そのほか、父母をはずかしめまいとする歌(p107)、今は役にも立たぬ者となって父母に報い得ぬを嘆く歌(p112) 。

遠雷:自分の中に眠っている純なるものが少しずつ発露してくる、そういうきっかけになる。

佐龍:詩のリズムがより身体に染み渡るような形になるという解釈もできるということなんでしょうか。

遠雷:リズムに意味がある。孔子様が詩経を大事にされて、韻を踏む、リズムを大事にするには、そこに意味があると思う。一つの仮説(というより思い付き)にすぎませんので、今後も検討したい。

冥加:「子曰く詩に興り、礼に立ち、楽に成る」に繋がって、遠雷さんがすごく感動していたこと、楽にはそういう作用があるのだろう。孔子様は、三ヶ月も肉の味を忘れるほど、 しょう の楽に感動されていた。(述而第七13)

筑波:質問です。詩経はたくさんあって、孔子様が300位にまとめたと教えていただいたのですが、孔子様がどのような観点からまとめられたのかということは分かるのでしょうか。それがわかれば詩経の素晴らしさが分かりやすくなるのでは、と思いました。

冥加:分類は六義で、五常八徳で選ばれたのではないか。すごい想像ですが。(『詩経国風 上』 吉川幸次郎・小川環樹 岩波書店1958 10頁 )「詩」についても、三千余篇の作品の中から、重複をはぶき、「礼の みち かの うもの」三百五を選びて定めて、順序をととのえたうえ、みな「 絃歌 げんか した」、つまり糸にのせて歌えるようにしたと。だから、今日学んだ陽貨第十七9の次の陽貨第十七10に召南、周南を学んだかと孔子様は問われ、社会に出て詩経を知らないと、垣根の前でぼーっと突っ立ているしかないと。これは当に今の状況、学んでいないから、筑波さんから問われても、私たち、皆、答えられずに立ち尽くすしかない。

遠雷:(筑波さんの発言を聴き)、詩経というものに具体的に触れてみないと詩経の何がいいのか発言は出来ませんね。

柴里:検索してみると、「宋の てい は「大序」(「関雄」の「序」に詩経全体に亘って説明せるところ)は孔子の作、(略)、王得臣は「序」の首句を孔子の作といった。(目加田誠著、講談社学術文庫、p210)」 とありました。大序の部分は孔子様の作だとすると、分類も孔子様の考えだと思いました。

奏江:ここに書いてある孔子様のお言葉通りで、日常生活における言葉使い、人との人間関係、自分の中の否定的感情が抑えられて悪い方向に行かない、孝とか忠を学ぶことが出来る、自然とのつながりも学ぶことが出来る、だから孔子様は詩経を学ぶといいぞと仰っているのを改めて示して下さっているかと思います。

佐龍:その通りだと思います。どうしてかなというのを追求しすぎて、完全に見失ってしまいました。奏江さんの仰るように、論語の中に書かれていますので、詩経を学ぶことによって以上のことが学べるという結論となります。

凡知:詩経で親子の情の詩を調べましたが、3詩しかありませんでした。(以下に紹介)

〇国風  陟岵 ちょくこ

あの岩山にのぼってはるかに父のかたをながめる

父は言われるであろう ああ 我が子よ 戦役に行ったら明けても暮れても勤めなさい どうか大事にして帰ってくるんだよ 行ったままで帰らぬことのないように

あの草木の茂った山にのぼって はるかに母のかたをながめる

母は言われるであろう ああ 末っ子よ 戦役に行ったら寝る暇なく勤めなさい

どうか大事にして 帰ってくるんだよ

死体で捨てられることがないように

あの岡にのぼって はるかに兄のかたをながめる

兄は言われるであろう ああ 我が弟よ

戦役に行った仲間と共に行動しなさい

どうか大事にして 帰ってくるんだよ 死ぬことがないように

〇小雅 

四頭の馬は駈け続ける 周の道は遠い続く

故鄕へ帰る思いは絶えないが 役目を終わっていない

我が心は傷み悲しむ

四頭の馬は駈け続ける 黒毛の馬は走り続ける

故鄕へ帰る思いは絶えないが 役目を終わっていない

我が身は安らぎ休む暇もなし

ばたばたと羽ばたくは鵻(小鳩) 飛び上がりかつ下がり

茂れるくぬぎの木に集う 役目を終わっていない

父を養う暇もない

ばたばたと羽ばたくは鵻(小鳩) 飛び上がりかつ止まり

茂れるくぬぎの木に集う 役目を終わっていない

母を養う暇もない

四頭の馬車に乗り ひた走り駈け続ける

故鄕へ帰る思いは絶えない その思いを歌に綴り

早く母を養うことができるよう

〇小雅 蓼莪

すくすくと生長する かわらよもぎ は 莪ではなくて こう となる

父母は 私を生み苦労させられる

すくすくと生長する莪は 莪ではなくて となる

父母は 私を生み病み疲れさせられる

へい の水が尽きるのは これ らい (子)の恥

ひとりぼっちで生きるよりは 早く死んだほうがよい

父がいなければ何に頼ろうか 母がいなければ何に頼ろうか

外に出ても気が晴れず 帰っても親しきものはいない

父が私を生み 母が私を育てた

私をなでかわいがり愛し 私を成長させ

私をかばい育て 私に目をかけ私を庇護し

外でも中でも私を抱きかかえてくれた

その父母の恩徳に報いようと思うけれど 天が乱れ定めなく出来ない

南山は高く険しく つむじ風はヒューヒューとうなる

民はみなしあわせにいるのに どうして私独りだけ心を傷めるのか

南山は高く険しく つむじ風はヒューヒューとうなる

民はみなしあわせにいるのに どうして私独りだけ憂えるのか

以上