東洋哲学研究会
2021.10.24
論語 先進第十一 20
論語勉強会議事録
2021年10月24日(日)11:00~12:00
開催場所:春秋館
議事内容:引き続き、「孝」について議論致しました。
テキスト「論語の講義」諸橋轍次
論語 先進第十一 20
子路問、聞斯行諸。子曰、有父兄在。如之何、其聞斯行之。冉有問、聞斯行諸。子曰、聞斯行之。公西華曰、由也問、聞斯行諸。子曰、有父兄在。求也問、聞斯行諸。子曰、聞斯行之。赤也惑。敢問。子曰、求也退。故進之。由也兼人。故退之。
意味
子路が、先生からお聞きした事をそのまま直ぐに実行してよいでしょうか、と質問した。これに対して孔子は、父もあり兄もあって、人々は境遇・事情がそれぞれに異なるのであるから、どうして聞いた事をそのまま直ぐに実行することが出来よう。
まず以て父や兄の立場も考え、その意見を
次に冉有が又、同様の質問をしたのに対して孔子は、聞いたそのままに実行するがよい、と答えた。
この同一質問に対する孔子の答が全く反対であるのに疑問を抱いた公西華は、由(子路の名)の質問に対しては、父や兄があるから、そのままに実行はならぬ、と答えられ、求(冉有の名)がお尋ねした時は、聞いたそのままに実行するがよい、と教えられたが、どちらが真であるのか、私は惑います、といぶかり尋ねた。
これに対して孔子は、求はひっこみ思案の人物であるから、これを引き出すように元気付けたのであり、由は人の分をもあわせ行う出しゃばり屋であるから、少しひっこむようにこれを抑えたのである、と答えた。
(諸橋轍次訳)
結論
本章は、孔子様の対機説法について述べられています。「先生からお聞きした事(「人から善い事を聞いたら」の訳も有)をそのまま直ぐに実行してよいでしょうか」という孔子様への質問に対する子路と冉有へのお答えの内容は正反対でありますが、それは二人の弟子の資質を把握した上での中庸を得たものでありました。
それは同時に、その対機説法は周囲、相手、時期、タイミング等も考慮された上で、世に遂行させようとするものでもあります。当時の厳しい時代背景を考えると忠、孝を含め五常八徳の実践を基準になされている対機説法の厳しさと命がけであった弟子たちの姿を確認しました。
議事要約
本章は、孔子様の対機説法について述べられている章でありますが、「孝」に関連するものとして読んでみると、何か行動を起こすときには「孝」を考慮することが重要であるということを、孔子様が語られているのではないかと考え、子路と冉有の振る舞いを通して、「孝」について議論しました。
二人の人物像については、凡知さんがまとめてくれました。要約すると子路は出しゃばりで競争心があり、豪強で粗野なところがあるものの、二十四孝に選ばれる孝行者であり、死に際しても「君子は死すとも冠を
一方、冉有は引っ込み思案で優柔不断であり、初めから自分の力に見切りをつけているが、実は多芸多才であり、用心深さを持ち、政を行える人物でありました。季氏の専横を助けてしまってもいます。
孔子様への同一の質問に対するお答えが、正反対であったのは、このように全く質の異なる二人に対して、孝を、広くは天下への忠を伴った実践という目的が存在し、周囲、相手、時期、様々な状況を観てご指導を行った結果であると考えました。
勿論、登場回数などから見て孔子様に近く、孔子様は二人の弟子を信用しての上での話となります。
他に、「身を殺して仁を為す」という話と親から授かった身体を傷つけてはいけない。これが孝行の第一歩であるという教えもあって、場面によって相克することがあり難しいという意見や、人それぞれ違うのだから自分にビビッと来た事を手掛かりにやって行きたいという意見もありました。
論語においては五常八徳に基づいた規範をより意識する必要があるのと、感性のままでなく自分の欠点を正しく気付く必要があるという旨の内容を話し合いました。
議論
<議論>司会:桃太、議事録:泰成
桃太:本日は先進第十一20ですが、小鳥さんより前回議事録に対する質問があるとのことですので、お願いします。
小鳥:確認したかったのは、前回の議論の中では、諸橋氏の解釈を「そうではない」と結論づけたということでしょうか。諸橋氏の解釈も一つの解釈としてありえると思いましたので質問しました。
泰成:世の中には諸橋氏の訳とそうではない訳の両方が出ていますが、前回の議論の中では諸橋氏の訳ではなく、「それ故に」を補完した訳を選択したという認識です。
桃太:諸橋氏のものが必ずしも間違いというわけではなく、諸橋氏では無い方を選択したということです。
小鳥:わかりました。
桃太:今回の内容についてですが、孔子様にお聞きしたことをこのまま実行してよろしいでしょうか、という質問に対して、子路と冉有の両者への回答が異なっていることを公西華が疑問に思い、尋ねたという内容です。この二人は孔門十哲でともに政治が得意な人物となります。子路は忠信に篤く実行力もあり、政治を行える人です。冉有は多芸多才で政治を行う人で、引っ込み思案でありますが、先陣を切る軍事的な才能もある人です。季氏の専横を助けてしまい、忠誠心はあるが忖度しすぎてしまう人です。凡知さんが人物像を書いて下さっていますが、いかがでしょうか。
凡知:子路は孔子様のボディガードをしており、そのおかげで孔子様の悪口を言う人はいなくなりました。出しゃばりで人の先頭に立とう、押しのけても人に勝とうという競争心がありました。豪強な人物で粗野なところがあり、知らない事も分かっていると思い込むところがあります。孔子様は、子路は畳の上で死ぬことはないと言われ、案の定、子路は戦死し死体は
凡知:冉有は典型的な官僚タイプで、やる前にきっちりと見定める用心深さがあったのではないかと思います。「引っ込み思案でどっちつかずの態度を取る。物事に直面しても避けようとする、自分はだめだと、初めから自分の力に、見切りをつけている、グズグズして堅剛進取の気風に欠け、その結果、成果が上がらないうちに先ず志が失せる。これが、冉有の短所である」と、また「彼を多才多芸であり、政を行なえる有能な人材である」と孔子様は評された。また、季氏の宰であった冉求は、その専横を改めさせるどころか、租税を取り立てて、ますます季氏の富を増やすことに腐心していたため、孔子様は冉求の如きは、わが門下の徒ではないと、厳しく批判された。冉求は、孔子様を魯に迎えられるように画策し、足掛け十四年に亘る諸国遍歴の旅を終えて帰国出来たのです。
桃太:冥加さんは先進十一12を挙げて下さっていますが、イメージがしやすいです。冉有と子貢の
冥加:孔子様のご指導の在り方を説いたところであり、弟子の資質を見極めて、各人別々に指導について書かれている箇所であると思います。先進の章は、凡知さんが詳しく触れていますが、私は漢字の読み仮名を振りたかったのです。
遠雷:この章は対機説法について書かれており、「孝」について書かれているということに違和感があるのではないかと思いますが、あえて「孝」に含めました。今回、「孝」に関連するものとしてこの章を読んでみると、何か行動するときには、「孝」を考慮することが重要であるということを孔子様が語られているということに気づきました。冉有は引っ込み思案で積極的に行動をしないので、孝を蔑ろにしない(親の意向を無視して突っ走ることがない)が、子路は突っ走ってしまい、親が望んでいないことをしているかもしれず、この二人の振る舞いを「孝」の観点で見ると面白いと思いました。
冥加:凡知さんの資料では、子路は二十四孝の一人になっています。
遠雷:子路が孝行者で無いという意味ではなく、思いが先行して突っ走ってしまうため、自分では孝行に反すると思っていないが、実は親の意向に反することをしているかもしれないという意味です。何事も、反射的に突発的に行動するのではなく、親に相談することが大切ということを言われていると思います。桃太:気持ちが先行するというのはわかります。
和音:対機説法で言われていると思います。行き過ぎや足りないところが無いようにバランスを取り、中庸になるように導かれていると思います。
柴里:冥加さんのコメントで切磋琢磨について書かれていますが、対機説法の内容が含まれているというのは聞いたことがありません。
冥加:詩に云う切磋琢磨とは、日本語の切磋琢磨の意味とは異なり、素材に合わせて加工するという意味から人の資質に合わせて教育することが大切と解釈しました。
桃太:中庸を得て進めることが大事であると思います。孝・忠の観点でまとめたいと思いますが、他にご意見ありますか。
佑弥:「対機説法」と一言で終わるのではなく、孔子様は周囲、相手、時機、様々な状況を観て、タイミング(機)を逸せず遂行させようとしています。志があり、孝とか、忠を外さずに、それは目的の中に入っているもので、忠ゆえのその目的があると思います。
桃太:忠・孝にはタイミングがあると言うことですね。
佑弥:(タイミングがあるという事ではなく、孝や忠がある故に機を逸しない)例えば孝や忠があるからこそ、相手の状況を理解しようともする。そこの判断を誤れば忠、孝の実践にならない事もある。その根底の孝や忠等という目的に向かったご指導だと思います。
遠雷:対機説法ではあるが、孔子様の教えは、五常八徳の基準に則ってなされていて、それが実行されるようにタイミングを図ってご指導されていることが読みとれる章だと思います。
桃太:奥深い解釈だと思います。
降人:子路の行動を見ると、凡知さんのコメントでは、「身を殺して仁を為す」、という記載や、「生を捨てて義を取る」という記載がありますが、ここでは仁・義を優先しています。しかし、論語の中では、親から授かった身体を傷つけてはいけない。これが孝行の第一歩であるという教えもあって、それぞれの徳目がそれぞれの場面で相克することがありここが難しいところかと。常にどちらを選択するのかが問われていると思います。そういう意味からも人によって凸凹があり、孔子様はそれを見て、ご指導されているのだと思いました。
桃太:人によって意識すべき徳目が違うということですね。
奏江:子路の人物を見て、子路が考えないで行動することはよくご存じであり、どうすれば孝がより良いものになるのかをお考えになられ、ご助言されていると思います。また、冉有が引っ込み思案であることを孔子様はよくご存じであり、冉有が孔子様のお言葉を率直に実行することがわかっておられたと思います。その人の状況や関係性、機等あらゆるものを配慮して、ご指導されるので、その人にとってより良い孝が発せられるのではないか、と考えています。
桃太:孝の実践を考慮すると、ご指導は逆になることがあると言うことですね。
杏珠:私達は、人それぞれ違っていることがわかっています。この点からご指導の内容も違ってくると思います。孝は自分に身についていないといけませんが、自分で全てのことを押しなべてやろうとすると何もできなくなるので、ビビッと来るものを手がかりに向かっていくことが必要と思います。私達一人一人は違うという前提で進んで行くことが必要であると解釈しました。
奏江:先ほど、冉有のみが孔子様のお言葉を素直に実践されるというような誤解を与えてしまったのではないかと思い、ここに訂正させて頂きたいと思います。孔子様は子路にも信頼を置いておられ、言われたことを実践することをご存じです。これをご存じであるからこそ、孔子様もご指導されています。
山紫:冉有は言われたことを行うわけではないと思います。凡知さんのコメントにありますように、季氏の徴税についての専横を改めさせるどころか、積極的に行い、孔子様の怒りを買っています。自分なりに解釈して実行してしまう人であり、単に言われた通りにはしない人ではないでしょうか。
小豆:子路については、凡知さんのコメントにあります通り、孔子様のボディガードであり、論語では一番登場回数が多く、十哲の中でも信頼が厚かったのではないかと思います。
桃太:子路は言われたことは必ず実行するので、信頼があります。冉有は上司に都合がいいように動いてしまう傾向があります。季氏の専横がダメだと言っても、すぐに対応しないところがあったので、すぐにやりなさいと言ったように思います。冉有は敵には強いが身内には弱い面があります。
佑弥:周りを気にして、実行できない人ではないかと思います。
奏江:子路によく考えて行動するようにと孔子様が仰ったのは、子路が父や兄の立場を考えて行動すれば、そのようにしなかった場合と比較してより良い形で孝が実践されるのではないかとお考えになられたからではないか、と思います。子路の目的は、自分を利するところではなく、全体を見ての目的があるように思います。冉有は情に薄いところがあるように思います。
佑弥:冉有は組織(役人)の中で上司や同僚を気にしてできない。孔子様のご指示を実行するには、四面楚歌にもなるし、当時は命がけと思います。孔子様の集団は命がけの集団でした。
秋実:典型的な役人であり、全部を動かすだけの情熱は無く、組織の中の歯車の一つです。
桃太:冉有のそういうところを見越してのお言葉と言うことですね。
小鳥:杏珠さんの言われたことがよくわかります。十徳目(維摩會)の教えを受ける立場でありますが、自分の足りないところを自分でわかる必要があり、自分はこういう傾向があるから、このようにしていくということが大切であると思いました。
冥加:杏珠さん、小鳥さんの発言は、社会規範を大切にするというよりも、自分の思いで動くという発言と感じました。発言の良し悪しを言っているのではありませんが。
秋実:この議論の目的が五常八徳に落とし込んでいくことであると考えると、自分の好きな発言をしすぎるのは注意が必要です。
奏江:多角的に分析することは必要であり、個人としての感性がわかった上で、それに照らして普遍的なものに深めていくことはできないかなと思いました。
桃太:まとめですが、この章は対機説法であり、孝を考慮して行動することを促しています。バランスだけでなく、機を逸しない行動が必要であり、自分で気づいて方向性を質していく必要があるという内容でまとめたいと思います。
以上