東洋哲学研究会

2021.10.10

論語 先進第十一 4

論語勉強会議事録

2021年10月10日(日)11:00~12:00

開催場所:春秋館

議事内容:今回も引き続き、「孝」について議論致しました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


先進第十一 4

子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。

子曰く、孝なるかな 閔子騫 びんしけん 。人、 父母 ふぼ こん てい げん かん せず。

意味

孔子言う、閔子騫は真の孝行者である。それというのは、閔子騫の父母や兄弟達が閔子騫をほめる言葉に対して、世間の人で誰一人、異議をさしはさむ者がないからである。

父母兄弟が自分の子弟をほめ過ぎがちになることは世間普通の例であり、従って世間の人から見れば、ややもすれば、父母兄弟の言葉に対して異見をはさむ余地のありがちなものである。然るに閔子騫の場合は、その余地が全然なかったというのである。

※昆弟の昆は、兄の意。
※閒は、すきまのあることで、従ってその隙聞に疑いをさしはさみ、異議をさしはさむこと。
※なお、閔子騫は孔子の門人、閔損で、子騫がその あざな である。孔子は門人を呼ぶには、常に名を用いて字を以てすることがない。然るにここで特に閔子騫と字を以て呼んでいるのは、或は当時、孝なるかな閔子騫というのが、一般の通り言葉となっていたため、孔子もそれをそのまま口にしたのかも知れない。論者の中には、この章などは、閔子騫の門人によって編纂されたものであろうと説く者もあるが、必ずしもそうとは限らぬと思う。

(諸橋轍次訳)

結論

諸橋訳では、閔子騫が真の孝行者である理由として、閔子騫の父母や兄弟達が閔子騫をほめる言葉に対して、世間の人で誰一人、異議をさしはさむ者がいないとする内容となっていますが、研究会では以下の文意を結論としました。

「孔子言う、閔子騫は真の孝行者である。それ故、世間の人で誰一人、閔子騫の父母や兄弟に対して、異議をさしはさむ者がいないのである。」

『言』を、閔子騫をほめる言葉ではなく、父母や兄弟の言葉とし、孔子様が讃えるほど、閔子騫が真の孝行者であったことから、その父母や兄弟の言葉に対しても異議を唱える人はいないと解釈しました。

議事要約

論語には雍也第六や先進第十一において、閔子騫に触れている箇所がありますが、その孝に関する振る舞いを記したものが無いため、この先進第十一4の文意の解釈を議論した後、漢代の故事・説話集である『説苑』や元代に編纂された『二十四孝』等に記載されている閔子騫の逸話を拠り所として、閔子騫の孝の振る舞いについて議論しました。

先進第十一4の文意については、以下に示す2つの論点が浮き彫りになりました。

  1. 『孝なるかな閔子騫。』と『人其の父母昆弟の言を閒せず。』の間に補完する言葉は、「その理由は」と「それ故に」のいずれとすべきか。
  2. 『言』は「ほめる言葉」と「単なる言葉」のいずれを意味しているのか。

議論においては、(1)の補完する言葉を「その理由は」とし、(2)の『言』の意味を「ほめる言葉」とする諸橋訳に賛同を示す意見が複数ありました。しかしながら最終的には、孔子様は既に閔子騫が真の孝行者であることを御存じであり、その孝を讃える理由が、「閔子騫の父母兄弟が閔子騫をほめる言葉に対して、世間の人々が異論を差しはさまないから」というのは、理由としてふさわしくないとの意見が支持されました。

その結果、(1)の補完する言葉を「それ故に」とし、(2)の『言』を「単なる言葉」と解釈して、上記の結論としました。

閔子騫の孝に関する振る舞いについては、以下の逸話を拠り所として議論しました。
『閔子騫、親に事えて孝し、後母二子を生む、之に絮を衣せ、騫に衣するに 花を以てす。父之を察し、後母を出さんと欲す、子騫、父に告げて曰く、母在らば、一子 こご え、母去らば三子寒えん。父遂に出さず、其の母化して慈となる』
(文意:閔子騫は幼い時に母を亡くし、父が再婚して異母弟2人ができた。継母は実子2人を愛したが継子の閔子騫を憎んで、冬になると実子には綿入りの着物を与えたが、閔子騫には蘆の穂を入れた着物を与えた。閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が継母と離縁しようと言うと、閔子騫は「母上が去られては、3人の子供は凍えます。私1人が凍えていれば、弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」と言った。継母はこれに感激し、以後は実母のように閔子騫を可愛がったという。)

この振る舞いに関する議論につきましては、時間の制約上、以下に示す要点が見えてきたところまでとしています。

  • 孝という愛によって、他者の気持ちを良い方向に変えて行くことができ、そのことが自分にも返ってくる。
  • 閔子騫の振る舞いは君子としての振る舞いであり、他者の美点長所を助け伸ばし、欠点については悪を成させないように努める。

補足となりますが、議論の中で、『閒』の解釈に関するものがありました。『閒』には、「隙間」という意味がありますが、論語の中では隙間のあることが良くない意味で使われており、この隙間の意味を否定することで、閔子騫の孝の完全性を表しているのではないかという意見がありました。

議論

<議論>司会:泰成、議事録:桃太

泰成:閔子騫に関する記載は、先進第十一で4ヶ所あり、雍也第六にも記載があるが、いずれも孝に関する振る舞いの記載ではないため、文意を議論した後に、凡知さんの閔子騫の振る舞いに関する説苑から抜粋した文章へのコメントを通して孝に関する振る舞いを考えていきたい。

冥加:言を かん せずは、言が出てきたので聞くという字かと思ったが、門構えに耳ではなく月(間の旧字体)なんだ。イメージとしては、門があって、左側に「孝なるかな閔子騫」の扉、右側に「父母兄弟の言」の扉、真ん中で合わさるところに隙間なくピタリとついている。差し挟むものがなにもないということか。「名は損、子騫はその あざなである。孔子は、門人を呼ぶのに名を用いて、字を以てしたことがない。(吉田賢抗)」孔子様から「孝なるかな閔子騫」と呼ばれるほど、間然(ここにも間という文字が使われている)する処ない禹帝ぐらい孝行者だったのか。
論語の文中では、閔子騫の孝が何を指すのか全然わからない。兄弟父母の言の内容が全く分からないが、その二つの扉がぴったり隙間がないイメージ、その二つには矛盾がないと理解した。

謙二: かん せずという言葉を先鋭化?飛躍しているかも。

凡知:閒は隙間の意で、『学研漢和大字典』によると「閒」は会意文字で、「間」は俗字で、本来は「閒」と書く。門の扉の隙間から月の見えることをあらわすもので、二つにわけるの意を含む。論語の本章を載せて、すきまを指摘するから、疑わしいところや欠点をとりあげて非難すること、という意味。

冥加:私が伝えたかったのは、 かん がこの章で何を意味しているかのイメージ。前回の時も禹帝の時、間然と使っている。隙間が開いているというのは良くない意味。「欠」という文字が論語の中にはない。完全でないことを間があるという意味で論語では使われているのではないか。

謙二:肯定的でない、孝であるといわれて閒せずはどこにかかるのか?

冥加:白文を見て、不閒、閒せずだから不が入っている。間がないという意味になっている。

謙二:言行一致じゃないけどちゃんと重なっているという意味ですね。

冥加:「孝なるかな閔子騫」と「父母兄弟の言」が差し挟むものなくぴったりで何の矛盾もないですよという感じ。

帆士:考え方として、孝の事を勉強するのであれば、具体的に書いてないが想像する。類推して、孝をやってゆけば徳行につながる議論をやってゆくことはどうでしょう。孝なるかなを深堀りがいいのでは?徳行に関する意味付けは?

冥加:泰成さんが先に述べたように、閔子騫の孝に関するところが『論語』の中では見つけられなかった。

泰成:孝に関する振る舞いは凡知さんが提示いただいた文章を基に議論したい。

謙二:文章文意に徹底的にこだわるなら今の議論も良いと思った。

遠雷:本章を読んで、疑問に思ったのは、「父母 こん てい の言」を、閔子騫を褒めている言葉と解釈して本当にいいのか、どうしてそういう解釈になるのかという点です。吉川氏によると、「徳行には顔淵、閔子騫といわれた閔損、字は子刈の、家庭人としての徳行を、孔子がたたえたのである。閔子騫こそはすぐれた孝行者である。
その孝行の道徳によって、かれ自身が人々から信用されるばかりでなく、かれの父母の言葉、また昆弟とはすなわち兄弟であるが、かれの兄弟たちの言葉に対しても、人々は、あの閔子騫の父母なり、兄弟がそういうのだから、間違いはあるまいとして、疑問をいだかない。」とも読めるとなっています。

凡知:山紫さんの意見にある貝塚氏が違う解釈をしており、彼の父母や兄弟を人々が非難する言葉も聞いたことがない、ということでした。

山紫:貝塚茂樹氏の読み方は、レ点や一二点の位置自体が違っていて、「人、その父母昆弟を間するのこと言あらず。」となっています。

冥加:凡知さんが書いてくれたエピソード、「父母兄弟の言」って、まともなこととも限らない。
閔子騫のエピソードの出典として『二十四孝』という本が元寇(鎌倉時代)の元の時代に出ていて、孝行話も孟宗竹の孟宗が真冬に母に「タケノコが食べたい」と言われ、雪の下を掘って探して食べさせたら病気が治ったとか、別の話では、真冬に継母に「鯉が食べたい」と言われ、氷が張った池に腹ばいになって、氷を溶かして鯉を採って食べさせたり、ある人は祖母が孫がかわいいと自分が食べる分を孫に食べさせるほど貧乏だからと、老母にちゃんと食べさせたいと、老母は一人しかいないけど、子供はまた産めばよいと、自分の子供を埋めようとして、土を掘ったら金の斧が出てきて、めでたしだったりと、孝を受ける側の話は、なんでそうなのという話が結構あって、でも孝行する側は一生懸命やる。禹帝の前の舜帝も父、継母、連れ子から何度も殺されそうになっても孝を尽くした。
「屋根を直せ」と言われ、屋根に登ったら火をつけられたり、「井戸の掃除をしろ」と言われて降りたら、上から土を被せられ、横穴に入って難を逃れたり、それでも孝を尽くした。孝を受ける側はそんな酷いことを言ってと非難されるかもしれないが、孝を為す者は、孝を尽くして素晴らしいねと。孝は、親孝行したいと思う事でなく、具体的な行動をすることが孝なんだという話。この一文だけだと「父母兄弟の言」の内容は分からない。

泰成:「言」が意味するのは、ほめているだけの言葉かどうかわからないということですね。論点は言がほめることかどうか、父母兄弟に関する言か、オンラインの方も意見をお願いします。

麦秋:今までにないパターンで、よく理解できていません。

涼風:これはストレートに読みました。人から見ても閔子の親孝行ぶりがはっきりわかったという事だと思います。だから父母兄弟の言っている事と世間の言っている事が一致していると思う。言は褒める言葉だと思う。

凡知: かん せずは父母兄弟言っていることには全く関係なく、閔子騫は孝行ものだとそういう解釈にもなる。だから閒の意味が非難するべきものがあるという意味でなく欠点があるという意味でなく、別の意味がある可能性が出てくる。

佑弥:ここは素直に読みました。孔子様は門人を字で呼ばれないが、字で呼ばれていることから世間が閔子騫を孝行ものと言っている事がわかるし、孔子様も、閔子騫が孝行ものだと最初に仰っている。内外ともに一致し異論を挟む隙間もなく孝行で、素晴らしいと読みました。

泰成:「言」は、ほめることばを意味するということですね。

遠雷:読み方についてはいろいろあって釈然としておらず、いろいろな読み方があると思いますが、朱子が引用している胡氏の言葉に、「閔子騫の実の孝心と親愛が心中に積みあげられて外に現れ出ていた」とありました。つまり、閔子騫がそのようであったから、父母や兄弟たちの言葉にも真実があり、誠があり、周囲の誰にとってもそれは否定できないものであったのであろうと考えました。言葉の解釈に拘ってしまえばいろいろと解釈が出てきますが、閔子騫が孝行ものであったということを示しているのだと思う。

凡知:諸橋氏の訳では、孝行ものである。理由は、孔子様が閔子騫が孝行ものだから父母兄弟の言に異論をはさまないからとある。が、孔子様は閔子騫は孝行ものであると確信しておられたので、世間も異議をさしはさむことはない。理由というより「だから」と言ったような解釈もできる。理由と結果の逆転。

遠雷:諸橋氏の現代語訳にある「それというのは」という接続詞だと、それ以降の文が最初の文「孝なるかな閔子騫」の理由をあらわすことになるため、疑問に感じていましたが、先ほどの凡知さんの解釈、「だから」と変えて読むと、スムーズに読めると思います。

凡知:孝行ものだから、世間も親兄弟の言にも異議を唱えないと。

謙二:閔子騫の生き様から何かを学べる。孔子様が太鼓判を押された。納得しました。

泰成:今の観点から意見がありましたら、お願いします。特にないのであれば、諸橋氏の「それというのは」でなく「孝行ものだから」と読んだ方が自然ということで、一旦ここでのまとめにしたいと思います。この後、閔子騫の孝に関する振る舞いについて議論したいと思います。

凡知:説苑は、紀元前200年以降位に成立したものでは?その中に閔子騫の親に対する孝行の話があったが、佚文(紛失した文章)となっている。船橋本及び陽明本孝子伝、二十四孝の話にも出ている。母が小さい時に亡くなり、後妻は自分の子供を大事にし閔子は粗末に~閔子は父にどうか離縁しないでくださいとの内容。
本当の話か作り話かは判別できないが、全くの作り話ではないのではないか。故事・説話集とかいう類のもの。

奏江:内容が本当かどうか分からないが、いずれにしても孝なのかな。孔子様も褒めていらっしゃるということだし。閔子騫の行ないによって父母兄弟の気持ちも変わっていくというか、孝という行ないによって人の気持ちさえも変えていく力があるという感じがしています。
自分が辛い思いをした時、ついついその辛さに自分の気持ちが行ってしまうと、相手に対する反感や恨みになってしまうのだろうが、自分の事よりも身近な人の事を思う事によって、そうした反感や恨みは生じてこないのでしょう。自分を後回しにして相手のことを考える、そういう思いがあれば自分の境遇も変わり、周りの人の気持ちも変わって、それが自分にもかえってくるという感じがしました。愛が運命さえも変えて行くのではないだろうか。

謙二:孝というものは何も見返りもなくやるというものではありますが。

奏江:自分の事を顧みず人の事を慮る、それをまずは、縁ある人身近な人に対する孝から始める、そうしなければ国にも広がっていかないのではないだろうか。そうやって身近な縁のある人々に対する孝と言う思いが、あらゆる人に対する仁と言う思いへと至るのではないだろうか。孝には無私の思いがある。

凡知:仁の一端が発露していると思う。

柴里:閔子騫が、理と情という面を打ち出している。慈愛というかかなり上のレベルの、3人凍えちゃうより、ときっちり理の説明をしている背景には愛情があって、それで接すれば変わるのではと。

冥加:顔淵十二16に、「子曰。君子成人之美。不成人之惡。小人反是。」とある。閔子騫は、君子として継母の美を成して、悪を成させなかった。 継母は感動して態度を改めるぐらいだから、継母は、そんなに酷くなさそう。お父さんはこれに反して人の悪(家族を割る)を成そうとしたけど、閔子騫がこれを成させず、って君子の振舞いと思う。君子は人の善い所を引き出して美を完成させ、人の悪を成させない。小人はそれに反して、お前はダメな奴だなと決めつけて、人をダメな奴にしてしまう。

小鳥:閔子騫は本心からの孝の心を持っていたのだと思います。だから継母までも変えることができたのだと思う。そこを目指さなければならないから、まず形を変えるという方法もあるかもしれないが、形だけではいけないと思った。
冥加さんの言う事はそうだと思った。閔子騫は君子だったのだと思う。美をなす、悪と決めつけない。継母は悪いのでなく、状態が悪い状態になっていると分かる閔子騫だったのだと思います。

泰成:先進第十一4の文意は、最初の節が「孝行ものであるから」という後続の節の理由を示しているという結論にします。諸橋訳を素直に捉える意見があったことも含めて記載したいと思います。凡知さんに引用して頂いた文章については、人の良いところを引き出し、人の悪いところを決めつけないという点と慈愛を持って接していたという点を中心に記載したいと思います。

以上