東洋哲学研究会
2017.04.02
『大学』大学章句序
論語勉強会議事録
2017年4月2日(日)16:04~18:20
開催場所:春秋館
議事内容:本日は『大学』大学章句序を学びました。
テキスト「大学」宇野哲人全訳注
概要
『大学』とは、儒教伝来の思想を最も組織的に叙述したもので、己を修めて人を治めること(修己治人)を説いています。すなわち、「学問をもって己の明徳を明らかにし、しこうしてこれを天下国家に明らかにする」ことを眼目とし、本書において、儒教の政治思想の根幹が極めて要領よくまとめられていると言われています。
これまで『論語』を通して孔子様の教え、儒教を学んできましたが、『大学』を読むことで、『論語』を通して一貫して語られていたことを、組織立った形で理解できることを確認しました。
二宮金次郎(尊徳)が薪を背負って読んでいたのが『大学』だったと伝えられています。日本人に大きな影響を与え、長くその精神的支柱をなしてきた儒教を学ぶことの意義をあらためて認識しました。
第一回の今回は、「
議論
遠雷: 今回より『大学』を読ませていただきます。アンケートを取ったら『中庸』を読みたいという方は14人いましたが、それより『大学』の方が多かったので、『大学』から読み始め、次に『中庸』を読みたいと思います。
皆さんどのテキストを持っていますか?(宇野哲人氏全訳注『大学』(講談社学術文庫):7人、金谷治氏訳注『大学・中庸』(岩波文庫):6人、諸橋轍次氏『大学』(致知出版社):9人。)
宋の朱子の註が主流となっているようなので、これをメインに読んでいきたいと思います。
共通認識を持ちたいので、概要から説明させていただきます。宇野さんと諸橋さんの解説からまとめたものです。
『大学』とは、「儒教の政治思想の根幹を極めて要領よくまとめたもの」(宇野氏)で、「修身・斉家・治国・平天下」、「己を修めて人を治める」ことが語られている。「学問をもって己の明徳を明らかにし、しこうしてこれを天下国家に明らかにせんとする。」という内容で、儒教伝来の思想を、最も組織的に叙述したものです。それを知らずに『論語』を読んでいましたが、そのような考え方が根底にあったと考えられます。宇野さんの本のはじめに、二宮金次郎が薪を背負って読んでいたのが『大学』だったとありました。
『大学』とは、『
学庸論孟の四つは共に道を教える書であると云うので、後の人は四書と云い、又四子と云って尊奉して、我が国に於いても大いに読まれ且つ尊重せられた。
「大学」とはどういう意味か、二説紹介されていました。
- 「大人の学問、即ち
政 を為す人の学問」(後漢の鄭玄 、隋の劉炫 の説) - 「昔の大学で、教育した方法」(宋の朱子)
『大学』の作者としては、以下の説があります。
- 「孔子様の遺した所の書物」(宋の程子)
- 「大学は孔子様の遺書である。併しそれは全体に就いていうのではない。最初にある経の一章だけが孔子様の考えで、あとの伝の十章は門人の曾子様の筆である。」(宋の朱子)
『論語』は孔子様、『中庸』は子思様、『孟子』は孟子様なので、『大学』は曾子様をあてはめたと解説されていました。
- 「子思の作」(漢の
賈逵 )これは、反対が多い。 - 「斉の国、魯の国あたりの学者で、詩経、書経というような古典に熟して居った人が作った」(伊藤仁斎)
朱子が、経の一章、伝十章に分かっています。(大学章句)。本日読む大学章句序は、朱子が作ったものです。
『大学』には、三綱領・八条目があります。それぞれに該当する章をあてはめてみました。
大学之道
・三綱領
明徳・・・伝一章
(止至善)・・・伝三章
新民・・・伝二章
・八条目
修己
格物・・・伝五章
致知・・・伝五章
誠意・・・伝六章
正心・・・伝七章
修身・・・伝七章
治人
斉家・・・伝八章
治国・・・伝九章
平天下・・・伝十章
本末 伝四章
致知格物については、大きく朱子の捉え方と王陽明の捉え方に分かれているようです。
(宇野氏の本を用い、各章を順番に本文と通釈を読み上げ、概要を遠雷が伝える形で進行)
1 大学之書、古之大学、所以教人之法也。
大学の書は
遠雷: 特にコメントはありません。
2 蓋自天降生民、則既莫不与之以仁義礼智之性。
遠雷: 天は仁義礼智を全ての人に与えているというのが朱子の主張です。
3 然其気質之稟、或不能斉。是以不能皆有以知其性之所有、以全之也。
遠雷: 朱子は、人の生まれつきには、本然と気質がある。誰もが仁義礼智の四つを持っているが、気質によって清濁があるとしています。元々の本然(霊)はきれいなのに、気質(肉)によって汚れている。
4 一有聡明睿智、能盡其性者、出於其の間、則天必命之、以為億兆之君師、使之治而教之、以復其性。
一たび
遠雷: 人々の中で聡明睿智の人がいたら、その人が天からの命を受けて人君となり、師ともなる。そうして人々をその本性に立ち帰らせます。ですから、人の上に立つ君や先生は本来そういう人でなければならないということです。
5 之伏羲・神農・黄帝・堯・舜所以継天立極、而司徒之職、典楽之官、所由設也。
これ
遠雷: ここで先ほどの天から民を司るようにと命じられた人たちの名前がでています。伏義・神農・黄帝がここで初めてでてきました。堯帝舜帝については『論語』で何度も出てきています。そして、教育を司る職務や音楽を司る人を設けて教育をした。
「極を立つる」というのがわかりにくいですが、宇野さんは「至極の模範となる」、諸橋さんは「大中の道を立てる」と、解説が分かれている。いずれにせよ、これらの聖王たちは性(四徳)を尽くす立派な方だったということです。
6 三代之隆、其法寖備。然後王宮、國都、以及閭巷、莫不有學。人生八歳、則自王公以下、至於庶人之子弟、皆入小學。而教之以灑掃・應對・進退之節、禮・樂・射・御・書・數之文。及其十有五年、則自天子之元子・衆子、以至公・卿・大夫・元士之適子、與凡民之俊秀、皆入大學。而教之以窮理正心、脩己治人之道。此又學校之教、大小之節所以分也。
三代の
遠雷: ここは堯舜のあとの時代、夏・殷・周のこの盛んなる時代には学校が完備されて、小学校にはいろんな人が入り、酒掃応対進退と六芸を学んでいた。『論語』では、子夏の弟子が酒掃応対進退ばかり学んでいるとあったと思う。大学に入って天子の人から、庶民の中の優秀な人が、窮理正心修己治人之道を学んだ。小学と大学で学んだ内容が分かれていたということが書いてある。
7 夫以學校之設、其廣如此、教之之術、其次第・節目之詳又如此、而其所以爲教、則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外。
それ学校の設け、その広きことかくのごとく、これを教うるの
遠雷: その当時は学校が広く設けられていて、教える順序も決められていた。其の内容は人君が自ら実行し心に会得したことをもととして、一般の人が生活上用うべき一定不易の人倫の道の他を出ない。主に道徳を学ばれていたことが書かれている。
8 是以當世之人、無不學、其學焉者、無不有以知其性分之所固有、職分之所當爲、而各俛焉以盡其力。此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也。
是をもって
遠雷: 夏・殷・周の時代の人は皆、仁・義・礼・智の徳があることを学んでいた。
9 及周之衰、賢聖之君不作、學校之政不脩、教化陵夷、風俗頽敗。時則有若孔子之聖、而不得君師之位、以行其政教.於是獨取先王之法、誦而傳之、以詔後世。若曲禮、少儀、内則、弟子職諸篇、固小學之支流餘裔。而此篇者、則因小學之成功、以著大學之明法、外有以極其規模之大、而内有以盡其節目之詳者也。
周の
遠雷: ここは『論語』を読んでよく知っていることですが、周が衰えた時に孔子様が現れたが人君の地位にも、師の地位に就くこともなかった。だが、先王の法則をまとめて後世に残された。『礼記』にある篇「曲礼」・「少儀」・「内則」それから『管子』にある「弟子職」は小学校の教育の内容で、それを卒業した人は大学で学び、規模は大きく、非常に細かく多岐に亘って書いてあると朱子は記しています。
10 三千之徒、蓋莫不聞其説。而曾氏之傳、獨得其宗。於是作爲傳義、以發其意。及孟子沒、而其傳泯焉。則其書雖存、而知者鮮矣。
三千の
遠雷: 孔子様のお弟子さんは3千人いたが、孔子様のお話をよく伝えることができたのは、曾子様であったと書かれています。曾子様の後で子思様がいらっしゃり、その後、孟子様がいらっしゃったが、孟子様以降、『大学』を伝える人はいなくなり、書は存在していたが、知る人は少なかった。
11 自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學而無用、異端虚無寂滅之教、其高過於大學而無實。其他權謀術數、一切以就功名之説、與夫百家衆技之流、所以惑世誣民、充塞仁義者、又紛然雜出乎其閒、使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之澤。晦盲否塞、反覆沈痼、以及五季之衰、而壞亂極矣。
是より以来、
遠雷: 孟子様が亡くなってからどういう状況になったかが語られている。つまらない学者が書物を暗記したり、美辞麗句を並べたりするのに、小学を学ぶよりも2倍も力を使っているのに役に立っていない。異端虚無寂滅というのは老子様の教えと仏教の教えを言っているが、それは高尚な教えだが、実際には役に立たないとしている(朱子の考えです)。また、技能を求めるようなものなどが台頭し、仁義礼智も教えられなくなって、世の中が乱れてきたことをいう。その後、宋がでてきて、教えに光を当てたという話が出てきます。
12 天運循環、無往不復。宋德隆盛、治教休明。於是河南程氏兩夫子出、而有以接乎孟氏之傳、實始尊信此篇、而表章之。旣又爲之次其簡編、發其歸趣。然後古者大學教人之法、聖經賢傳之指、粲然復明於世。
遠雷: 宋の時代になって、天運循環が自然の理であるから、世の中が乱れていたが、また政治がしっかりしてきた。程明道・程伊川の兄弟の先生が孟子様の伝統を見い出し、『大学』に価値のあることを見い出して、礼記の中から見い出して、表章した。だから、大学を見い出したのは宋の時代の二程子であるとしている。
13 雖以熹之不敏、亦幸私淑、而與有聞焉。顧其爲書、猶頗放失。是以忘其固陋、采而輯之、閒亦竊附己意、補其闕略、以俟後之君子。極知僭踰無所逃罪。然於國家化民成俗之意、學者脩己治人之方、則未必無小補云。淳煕己酉二月甲子、新安朱熹序。
遠雷: ここは朱子が僭越ながら私はこんなことをしていますと書いています。朱子は二程子から学んだのではなく、別の先生から学んだようです。ですから私叔するという表現になっている。罪を逃るる所なきを知れどもと書いています。自分の学問の浅はかなこと、見識の低いということなど、それは置いておいて、解説をしたとしています。後の人たちの評価を待ちますと言っています。学者の役に立つこともあるのではないかと、書いて筆を擱いています。
遠雷: 読んでどう感じられたのかを帆士さんからお願いします。
帆士: 『大学』自体はあんまりおもしろくないというか、そういうと身も蓋もないですが、朱子学の教科書ということもあり、そういうことを意識せずに、金谷さん方式にというか、礼記のひとつとして読んでいけたらよいなというのが感想です。『論語』の基礎があるので特に目新しいというのではなくて、古の道に遵じた内容になるのかなと。
空蝉: 諸橋さんの序文を読んで、『大学』では、学問終局の目的は、明徳(天から授かった徳)を明らかにし、他の人々を徳に進ましめることで、つまり、自分の修養を完全にし、終には天下国家を治むるところに至りたいということで、『論語』もそうだったなと思っています。
蒼生: 天により民に仁義礼智の四徳を生まれつき与えられ、本然に備わる仁義礼智の徳を知り全うするために学問をしていたとあり、『論語』にあった命(めい)を知るために学ぶということと通じると思いました。また王公から平民の子弟に至るまでの全てが学ぶことができた時代があったとあり、素晴らしいと思いました。
今朝偶然NHKの「日曜討論」を見ていたら、「子供が自分で家で親の介護を見なくても良い環境を作るために…」というようなテーマがアナウンスされていてとても驚きました。「子供が親の介護もしながら働ける環境を作る為に」ではなく、最初から当たり前の権利のように「見ない」ことを掲げられていることに非常に違和感を覚えました。ここで言われていることに逆行するような世の風潮を戻し変えて行くためにも、我々がきちんと学び、伝えて行くことが大事だと感じました。
遠雷: 大学で学ぶことは、「理を窮め、心正しくし己を修め、人を治るの道をもってす」とありました。いまの大学で学んでいることとは違うなと思いました。古は自分を修めて人を治める道を学んでいた。人間の生きる目的は本来そういうもの。自分を修めていくというのが本来大学で学ぶべきことで、ここで学ばせていただくのはありがたいと感じました。朱子の読み方、本来の『礼記』の読み方というのもありますが、まずは朱子をガイドに読んでその後に読み進めていけると良いなと思いました。
小雪: まず、第一印象として『論語』より読みやすいと感じました。解説するために、整理して体系立てて書いているからだと思います。何を学ぶかがまず明確にされており、四書の最初に読むべき儒教の入門編だというのも納得がいった。徳治政治を為すための基本がまとめられ、それは修己治人だと理解しました。最初に仁義礼智を自分に備わっていることが書かれており、霊についてのことを教育機関で教えていただけていた時代があったのは凄く、感動しました。
世の中は循環し、悪くなって極に至ると反転するとありましたが、極に至って還ろうとする時、天が世を正す人を降ろされるのかと、その一人が朱子様で、孔子様もそうですが、そんなことを感じました。
山吹: 自分で読んでも理解できずに、本日解説してもらって理解が深まり、面白かったです。「天の徳という仁義礼智がもともと人に備わっているといる」という箇所が、本日とても心に響きました。己を修め人を治める規範としての軸が、天にあるのだと思い、今更ながら安心して心が落ち着いた気がしました。
秋実: 小学、大学がここからきていたというのを始めて知りました。今は世の中が退廃してきて、大学に行っても遊んでいるようなことになっているけれど、昔の人達の積み重ねがあって今があるのだなと思いました。8歳から15歳まで小学で学んで、元服となる、その礎になっている書だと思いました。
謙二: まずは自分を修めてというのが『論語』を学んでいるので納得できる。君子は諸を己に求むると。
大学で人間として自分を磨かなければというのが再確認できると思う。小雪さんが言っていたように、現代の教育というのが良くないのだけれど、極に至れば反転するということで、我々が学んでいることを若者に残すのは大事なのかとも思いました。良くなる可能性は十分にあります。
我が国も応仁の乱以降徳治政治が崩れはじめて、戦国時代を経て徳川が治めて、江戸の平和な時代があった。家康も戦国時代に酷いことをしていたでしょうが、その後の平和を維持したことは功績です。儒教を普及していったというのは意味があったのかと。現代のマスコミなど左傾化されたことを押し戻すことでもこういうことを学ぶのが必要かと。中庸が大事ですが。一人でも多くの人に話したい。
杜若: まだ全部読んでいないのですが、『論語』は会話調だったのに対して『大学』は体系的に書かれている印象を持ちました。
『論語』の時代背景が距離を置いてわかったり、孔子様のことも書かれてあり、『論語』と離れたところの視点を持つことができるのが良いかなと思いました。また『論語』を振り返れるのではないかと思いました。
遠雷: 『大学』の本文に、『論語』に出来ていた切磋琢磨とかが出てくるので、体系立てられた中で再度確認できていいと思います。
桔梗: 『論語』は孔子様にスポットを当ててありますが、『大学』は体系立てて学べると思います。天から仁義礼智を与えられていて、何人でもできるとはないですが、尊いものを与えられていることが最初に書かれてあり、仁義礼智が根本であり、そこからスタートするということを改めて教えて頂けたと思います。
牧田: 人は皆本然の性の四徳、仁義礼智を与えられている。『論語』でも学びましたが、常に天に養われていただいていると強く感じました。自分で修養しないと差が開いていく。
遠雷: そうですね。朱子の冒頭に四つの徳が備わっているのだなというのは印象深い出だしですね。
十舟: 『論語』を学び始めて日が浅く、『大学』を学ぶにあたりさっと目を通したに過ぎませんが、(論語・大学を含む、儒教的なものは)現代では意味が変容している部分もありますが、私達現代の日本人にとっても、感性、生活に根付いている思想であり指標でもあると感じました。背景なども勉強しながら、素直に読むと同時に、もっと深い意味でも捉えられる感性を身に着けたいとも思います。
遠雷: 自分の中に『大学』の感性が根付いているように感じる。子どもの頃、明治生まれの祖母など昔の時代の人と接していたので、そうしたことを呼び覚まされるのかと思う。
一期: 人は天から仁義礼智が与えられているにも関わらず、それを表現することはおろか、既に与えられているという自覚さえできずにいる。天の徳を観る眼を曇らす、人の気質を改めるために、努力し続けることは大変なことと思う。本来、人として学ぶべきもの、厳しく教育されるべきものとは、まず心の在り方を正しくすることと感じました。
遠雷: それが系統立ててされているのが『大学』ですよね。自分を修めたうえで国をおさめ天下を平らげる。
丈山: 教育・学問について改めて考えさせられました。まだ章句序を読んだだけですが、今後、読み進めるにあたって、教育・学問の体系や目的が、『大学』ではどのように語られているのかを意識しながら読みたいと思います。
朱子の記した章句序では冒頭に、すべての人間は、天から仁義礼智を授かっているとのことが記されていました。
私が学校で受けてきた教育では、国語とか算数とか道徳も含め、全ての学科が並列の関係であり、どれが根幹かという位置付けはされていなかったと記憶しています。
その点、『大学』ではどのように記されているか、意識しながら読んでいきたいと思います。目的という点では、自分は何のために勉強をしてきたかというと、大学に入るまでは、試験あっての勉強であり、大学に入ってからは、社会に必要な技能を身につけるためでした。 この歳になって初めて、最も大切な目的は何かを考えながら勉強する機会を頂いていることを有難く思います。
海輝: 『論語』をやっているので入りやすいと思いました。序を読んで『大学』の背景が大体理解できました。『大学』は今回初めて読みますが、今話題になっている教育勅語など精神にとって骨格となるようなものは、もっと早く、子供の頃に出会えたら良かったと思いました。教育の大事さを改めて思いました。
春香: 最初に『大学』を学んでそれから『論語』だと、どこかに書いてあったけど、私は、最初に『論語』をやっていて良かったと思います。『大学』は、すごく難しい言葉や漢字が使われていて、最初にこれを学んだら、とっつきにくかったかも。『論語』は、孔子様やお弟子さんたちの日常の中での身近な言葉があって親しみやすかった。
こちら(『大学』)は、きちっと書いてあるけど難しそうというのが最初の印象。二番目のところに、誰もが徳性をもって生まれてきているが、「気質」が一人ひとり違うから~と書いてあり、その気質って、因縁のことだなーと思ったり。それから、最後のところ、朱子さんが、『大学』の書が多少、もとの形を失っているので、自分は、きわめて僭越ながらも、罪になると自覚しながらも~と、世の中の助けになるのではと『大学』の欠落を補った、というところに(その思いに)ジンときました。
耕大: 修己治人と最初にあるのがここは現代の教育にはない部分。明確に『大学』を勉強する意味が書かれているので『論語』に通じる興味を感じた。序章のところの「三代の隆なる御代に於いては、」というところで、当時は都から田舎に到るまで学校の無いところはなく、王様から一般の人民まで教育が行き渡っていたということがあり、まさしく日本人が江戸時代に寺子屋でやっていたことだし、日本人はこれを手本にやってきたことがわかって良かった。
凪沙: 『論語』は内容がドラマチックで面白かったし、『大学』は朱子が儒教のエッセンスを苦労してまとめてくれていて、論理的でわかりやすいです。大学の本来の目的は「物事の理を窮めて人間の心を正しくし、自己を修める」ということにあると述べていたのが新鮮でした。今の大学は技術や知識を学ぶだけで、人としての道を学ぶべきと思いました。でも、今は学校で道徳教育をやろうとするだけで、「価値観の押し付けだ」といわれるので、学校教育に組み込むのは難しいとも思います。
遠雷: もともと自分の中にある道徳(性)を呼び覚ますというのが本来の目的と思うので、道徳教育では、自分の持っているものを呼び起こすために、このような古典を学ぶのが良いと思います。
春香: 先ほど、やりにくい世の中になってきていると言われましたが、でも、実際には、いま、『論語』を学んでいる人は、小さい子とかなんかも増えてきていますよね。
遠雷: さっき言っていた循環ということでしょうか。悪いことは極に達して反転すると。
謙二: 宋の時代は何年?この時代ヨーロッパは暗黒ですよね。中国とヨーロッパと日本がどうだったのかということを俯瞰することも意味があると思います。話は飛びますが、例えば欧州の革命の機運に対してウィーン会議が1815年にあり、その影響で日本も開国へと動き出します。全体を捉えないと、実はもっと繋がっていると思うと見えてくることがあるのかと。
シルクロードを渡れば結構な人の行き来があったとも言われてますし。日本の歴史教育が世界史と、日本史を分断されていて大切なことが抜けているかもしれません。
遠雷: 西洋はデカルトによって近代科学が生まれて発展していったけど、それ以前は東洋とかトルコとかジンギスハンとか席巻していた時代があった。
謙二: そして文明の力がこれからヨーロッパから東に戻るとするならば、大きな意味があると考えます。
遠雷: そう意味でも東洋哲学をしっかり学んでいかないと。
山吹: 中国は凄かったというところで手を繋げていけると良いですよね。
秋実: そのためにも日本がきちんとした誇りある国でいないと。
謙二: 『論語』の中にも日本の方面に優れた人がいるというのがなかったでしたっけ。
帆士: そうでなく、東夷の国にいって教えるというものだったと思います。
謙二: 今日本に生きる我々が、将来へ向けて日本は日本でキラッとしておかないといけませんね。
遠雷: そのためにも勉強しないといけない。日本には、四書も仏教もあり神道があり。
謙二: 一神教でないというか、いろいろな宗教を受け入れられる力は凄いと思う。
遠雷: 今中国では『論語』が読めないんじゃない?
蒼生: そんなことないですよ。テレビでもやっています。
遠雷: 逆輸入をしているとか。
蒼生: 清の時代に劉宝楠が徂徠の解釈の引用をしていたりしていました。
遠雷: もともと『礼記』の中にあったということを確認したいと思う。次は朱熹の章句を読んで、経一章を読んで。
帆士: 次回も本を皆で素読していきますか?
蒼生: 解説はあまりしないで議論するということではなかったでしたっけ?
帆士: 朱子の独特な言い回しを順番で解説してもらうというのが良いのでは。
遠雷: 次回は経一章から伝二章まで行きたいと思います。
以上