東洋哲学研究会
2015.11.15
論語 雍也第六 9・10
論語勉強会議事録
2015年11月15日(日)15:30~18:45
開催場所:春秋館
議事内容:本日は、雍也第六〔九〕〔一〇〕を学びました。
テキスト「論語の講義」諸橋轍次
雍也第六 9
子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。回也不改其樂。賢哉回也。
子曰く、
議論
奏江:はい。
筑波:またむしかえすようですが、この間の気晴らしのところと同じような事を感じました。楽しむべき事を楽しむ姿がまさに賢者であると評されている。
北星:顔回が優秀なのは理解していますが、程度の差はあれど、私達にもこういう思いはあると思います。傍からみると辛かったり、不遇であっても私達には求める道があるので、本当には苦しくはない。落ちて行かない。生きて行ける。楽しいとさえ思える。私には実際そういうものがあります。顔回のそれと本質的には同じではないでしょうか?
重只:それはわかる気がします。ただ、自分の場合は辛すぎるとそこに陥ってしまう。
北星:求める道があるがゆえに生きてゆける。それがなければ私は生きてはゆけない。
筑波:外れずに生きていけているということではないでしょうか?
北星:結構苦しい事があっても生きていける。現実には苦しいのに本当には苦しくはないというか。顔回のように優秀ではないが、私にもそれはある。苦しいことはあれど生きるのが楽になったのは求める道があるから。
重只:以前、一日コピーを延々取り続ける仕事をやるとしたら、普通の人は気持ちがなえるが、それだけがすべてではない他に価値がある、と知っているから生きていけると伺った事を思い出しました。
北星:そういう事だと思います。本当に求めているものがあるとそれ以外の事はどうということもない、というのがある。
奏江:乗り越えるという事とは違う?それは苦しみをバネにして乗り越えていくということではなくて?
北星:見ている所が違うということ。
瑠璃:苦しくはない。純粋に学問が好きなのだから。
冥加:一切が苦諦ということでしょう。
奏江:嫌な事にフォーカスしていくと辛くなる。
冥加:苦と嫌は違う。
奏江:一緒になる。
重只:奏江さんも好きな事をやるときは、苦しい事は目に入らないのでは?
奏江:自分に関わる付随した事を受け入れられない。
北星:顔回の生活は貧しいが、心は苦しくないと思う。
筑波:私は怠け者なのでそこで惰性に陥ってしまう。
北星:だらだらと惰性に陥る、それは苦しくはないだろうか?
佑弥:それはとても苦しい。
北星:維摩會で学んで生きるのが楽になった。
正志:私の場合、虚無と混乱から始まったので、こうした立場に至っている顔回が羨ましい。維摩會にお邪魔するまでは自分の人生がやがて癩病のように崩れて行くのだろう、そう思っていた。この方は脈々と心の内に道を感じられたのではないか、羨ましい。
朝顔:私たちの苦労はベースが日本。中国に比べたらはるかに豊か。苦労のレベルが違うのではないかと思う。
北星:苦労の内容が違うのは明らかだが、今の我々の苦しみも苦しみ。今生きる我々の苦労と比較をしなくてもよいのではないか。当然、今と当時では物質的にも違っているし、実際の比較では当時の方が大変ではあると思うが、今は今でやはり同じように苦しい。
筑波:同じように苦しいと思う。後からあの時は、と言えるかもしれないし。もう一歩自分の苦しみから離れられた時には、苦しみを比べられるかもしれないけれど。
朝顔:簡単に言えない感じがした。顔回が思われたようには言えない気持ちがした。同じようにという事ではなく、僭越ではないかなと思った。楽しむという事は出来ないなと思った。
冥加:傍から見てると、やっている行為が苦しい行為に映るかもしれない。
佑弥:顔回は恵まれていた。孔子様に巡り会えていたから。
冥加:苦しみは主観的なものだから。
北星:例えば現在であっても、我々の暮らす日本よりも、戦場となってしまっている国の苦しみの方が大きいと思う。しかし苦しみというのは冥加さんの言うように主観であって、日本にいても苦しいものは苦しい。でも、戦場となっている国はやはり相当に苦しいことがあると思う。
筑波:仏教で苦諦と言っているのはこの世は苦という普遍的な苦だから。苦はどこでも。
麦秋:こういう事を書いて残っているという事は、これはこの時代にしても貧乏な事だったと思う。
冥加:石器時代の方がもっと辛かった。
瑠璃:食事より学にしか思いがいかなかった。
凡知:顔回は仁を目指していたから、仁を磨くのが最優先で絶対だからOK。それ以外は2番、3番どうでも良い。
冥加:仁と言う観点では、ご自愛されて生き長られてもよかったのではないか。
瑠璃:先進第十一の21章、247p(「論語の講義」諸橋轍次著)顔回は「先生が生きておられるのに、私がどうして死ぬことが出来ましょうか。」とお答えになっている。生きていたかったのです。
佑弥:孔子様の事を思われていたから先にゆかれた。
奏江:気持ちだけがあっても自分の体調を顧みることができないようではだめ。如何に長く生きてご指導を受けていくことができるか、を考えなくちゃならない。
瑠璃:(この章は)顔回は素晴らしい方だったという、そのままの解釈でよいのではないか。
凡知:述而第七〔十五〕「子日く、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮べる雲の如し。」と、人からは赤貧と映るが、孔子様は求道のみを楽しみとされていた。
瑠璃:ここは表現がとても美しい。私はこの章が好きです。
凡知:これと同じ境遇を顔回もされているから孔門としてはこれで良かった。これが当然。
北星:顔回にとっては一椀の飯、一椀の汁でも心には不足はなかったのではないか。顔回にとってはある意味この状況でOKだった。
瑠璃:顔回以外の弟子が、このよう(賢者)ではなかった。ということも表しているのでは。
北星:他の人はそうではなかったのでこの文が記されたとは思う。
重只:ここは、一食一飲の貧しい境遇でしのいでいる人は弟子にもいたが、その中で学を楽しむところまでいっている人はいない、という意味だと思います。
瑠璃:学より食へと欲が向いてしまう弟子が沢山いたのかも。
奏江:顔回は長生きをしようという意識はなかった。
重只:どのような感覚だったのでしょうか。自分の生存本能を凌駕するほど学への想いが強かったという事でしょうか。
北星:命よりも何か求めるものの方が大事という人は一般の人にもいると思う。
奏江:でも僭越ながら、ご自分の体のことを考えてもう少し生きていらしてほしかった。
瑠璃:顔回の器について器の小ささの表れではないかと。
冥加:自分が師よりも先に亡くなってしまうという見通しがあれば、ご自愛されたのでは。
奏江:この世で生を受けたならそれに感謝をして師にそってご指導を受け続けて思いを遂げていきたいと思う。
瑠璃:師より先に逝くか否か、それは各々の思い。其々の心の中に留めておけばよいのでは。
佑弥:顔回は素晴らしい。顔回のそのような純粋な思いに、誰も何も言うことはできない。
筑波:賢者と言うのはどういう意味になるのでしょうか?
重只:学而第一〔七〕で、賢に関する記載がございました。こちらは参考にはならないでしょうか。
佑弥:子罕第九〔十一〕顔回が孔子様の事を仰った文の中で、「罷めんと欲すれども能はず。既に吾が才を竭くせり。」とあり、やめようとしてもやめられない、そうせざるを得ない、出し尽くしていく、そのような感覚を持っているという事は、参考にならないでしょうか?
冥加:楽しむという事?
重只:皆さんは真理を考えたりするのが楽しいのでしょうか?
北星:楽しい。皆、道を求めるのが楽しいのではないか。
凡知:學而第一〔一〕「子曰く、學びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋、遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍らず、亦君子ならずや。」と、学びて習うことの説びや道志との交わりは何と楽しことかと孔子様は仰っておられる。
冥加:自分の知らない事、自分の愚かさが分かる(気づく)ようになると楽しい。
奏江:普通の人ならとても耐えられないような貧しい生活を、顔回は耐えられた。それは貧しさに対する見方が違うのか。貧しさを苦としないのか。
冥加:貧しい状態をものともしないで、自分の進むべき道を楽しんで歩むということ。
北星:貧しい事自体を楽しんでいるという意味ではなく、道を求めることを楽しんでいるという意味だと思う。
瑠璃:顔回は賢者だから楽しい。
冥加:こんな楽しい事はない。
奏江:見方が違う。
凡知:顔回にとって貧しい生活なぞ辛くも何ともないが、仁に違うことほど辛く、嫌なことは無かった。
筑波:楽々とやっていた。
重只:貧しい事を楽しんでいる訳ではないですよね?
冥加:学をむさぼったのか?
重只:学をむさぼるという事はあるのでしょうか?
凡知:楽々とやっていたら、つまらない執着なぞない。
北星:学ぶことに執着していたか、そうでなかったかと問われれば、良い悪いではなく、学ぶことに執着していたと思う。
筑波:だから命を落とすことになった?
冥加:執着がないとは、自然発生的に発生して自然消滅的に消えるような、自然な営みのこと。その人のレベルによって、執着になること、執着にならないことがあるように思える。 孔子様が70歳の時、何をされていても執着はなかった。
北星:孔子様も学ぶことに執着されていた時期があったと思う。
< この後しばし顔回の道に対する思いに関する議論となりました。>
凡知:顔回は仕官されたことはあるのでしょうか。論語の中には記述が無いようですが。仕官されても一ヶ月続かないでしょう。
瑠璃:顔回は自分を生かせる所が、政治の世界ではなかったのでは。
奏江・北星:孔子様でも政治は批判あり(難しい)
麦秋:賢者とは『図解雑学論語』55頁によると「頭の回転が速く、人格も立派で処世の機微に長けた人物。孔子の理想とは少しずれている。」仁者とは「いつくしみの心をもって人を救える人物。この『仁』の心が孔子の教えの基本となる。」君子とは「孔子が理想とする広く人民を救える『聖人』を目指して修養を怠らない人物。」小人とは「君子とは対照的に修養を怠るつまらない人物。君子との比較で取り上げられることが多い。」
瑠璃:維摩會の「十徳目」其の三勤勉たれのところ「己が人生に、何が一番重要かを知りてその修得に一心不乱に精進すべきである。」とあります。日々、修得に一心不乱であった顔回が重なる。
奏江:苦しいと思わなかった?
重只:貧しいこと自体が、意識に上らなかったのではないでしょうか。
奏江:普通の人が貧しいと思わず楽しめるというのが賢者。
冥加:状況はあまり関係ない。一心不乱に楽しい。わき目も振らず。
瑠璃:でも、賢い人ならば、私は変、他とはずれていると思わなかったのか?
冥加:やる事が沢山あって思わなかったのでは?
雍也第六 10
冉求曰、非不説子之道。力不足也。子曰、力不足者、中道而廢。今女畫。
議論
瑠璃:(「論語の講義」諸橋轍著の解説に)喜ばないわけではありませんが、とありますが、喜んでいる様には思えない。
冥加:冉求は、消極的だった。
麦秋:十哲の一人で政事は子路と共に名が上がっているので実務には長けている人物だと思う。理想と現実で苦しんでいたのでは? 孔子様からお叱りを受けるが、現実は強く言えない。そういう所を強く感じた。
凡知:吉川浩次郎氏の解説本では、初めから自分の限界を決めてかかると言うのは、懶惰(らんだ)であると厳しく述べている。
佑弥:そういう事を孔子様も仰ってますよね。この文の中で汝は限れりと。
瑠璃:やってみないと分からないのに、やっていないのは。
冥加:皆もこれは良く言われるよね。
瑠璃:孔子様に失礼では。
奏江:自分の力を見限っているから相手に対してもそのような見方をするのではないか。
重只:冉求は六芸に通じていた方ですよね。孔子様は出来ると思われたからこのように仰ったのではないでしょうか。
奏江:出来るまでやり通す、自分のレベルでしかないが。
重只:やれるかやれないかではなく、やるかやらないかでしょうか。
凡知:顔回よりも孔子様の方が融通性がおありであった。
奏江:自分の力を見限って行なうのは楽。できないと言っておいて実はできたのではないか。
麦秋:冉求は孔子様を放浪の旅から呼び戻した人物。「論語の講義」諸橋轍著246頁では孔子様が対機説法をしている。子路が孔子様からお聞きしたことをすぐに実行してよいかお伺いしたら、よく考えた上で実行するように言われ、冉求が同じ質問をしたらすぐに実行するがよいといわれた。だから冉求は逡巡する人。
重只:孔子様の仰った事を「はい」と言ってやるゆえに、顔回は仕官など世渡りにあまりうまくなく、冉求は孔子様の言うことを少し自分の都合の良い様に解釈して世渡りしていた為、仕官して上手くやっていたのではないでしょうか。
奏江:自分の求めていた理想が高かったのか?
北星:孔子様に向かって「お教えの道を心に喜ばない訳ではありませんが・・・」というような事は普通言えない。失礼ではないか。
佑弥:文脈があるのかもしれない。この文章の前に「私の道を喜ばないのか?」と言われたらこういうのでは?そうか、それでも失礼なんですね。
麦秋:冉求は孔子様がダメだと言うのに粟をあげてしまった人。
北星:冉求は引っ込み思案と評されているようだが、孔子様のご指示に従わないようでは引っ込み思案ではないように思える。
凡知:中国では、自分の裁量で勝手なことをする役人等は普通にあって、私腹を肥やす者も多いと聞く。
<この後、賄賂は良いのか悪いのか?という事に関して議論となりました。>
- 内部告発に関して。
- 何のためにそれをするのかによって変わる。
- 世が乱れていくから基本的には良くない。
- 賄賂と営業努力とは違う。
- ただ、勝たねばならぬ時は賄賂等を用いても勝たなければならない。不正義を許さないために。
など意見が交わされました。
以上