東洋哲学研究会

2015.10.24

雍也第六 5

論語勉強会議事録

2015年10月24日(土) 16:00~18:00

開催場所:春秋館

議論内容:本日は、雍也第六[5]を学びました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


雍也第六 5

子曰、回也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。

子曰く、回や、其の心三月さんげつ じんたがわず。其のすなわつきに至れるのみ。

議論

筑波:「ある哲学者が指摘していました。あるレベルに達しているかどうかは、そのレベルのことをやっていて気晴らしが必要になるかならないかで判る」。

佑弥:気晴らしについては、以前に筑波さんから説明ありましたが、もう少し筑波さんに伺いたい。

北星:まだそのレベルに達しておらず、頑張って無理をしているので気晴らしが必要といったような意味だと思う。

佑弥:自然でそうしないといられない、空気のようであれば気晴らしする必要を感じないという事だとも思う。

北星:気晴らしが必要ということは、まだそのレベルのことが自然に出来ていないということを言いたいのだと思う。

正志:西洋哲学でも境地という概念があるのが意外でした。

重只:そうですね。

瑠璃:筑波さんはレベルという表現をしている。仏教的な境地のレベルを考えてしまうが、その違いとはなんだろうか。詳しくは筑波さんに伺わないと、(今、不在なので、)今度伺ってみましょう。

佑弥:気晴らしもそのレベルによって違う。肉体を持っている以上、休む事は必要。頭を使った後は、身体を動かす等の人間共通の側面はあると思う。一方で、好向性が出た場合、興味の種類によって判る事もあると思う。

北星:御釈迦様がその境涯を保つために気晴らしを必要とするはずもないが、肉体的に休むといったような気晴らしは当たり前にあると思う。

凡知:その気晴らしの意味や定義は?レベルによる?(凡夫、覚者など)

佑弥:肉体を持っている以上、維持する為に、(バランスをとる為に敢えてするようなものも)必要かと思う。何のためにするのかという「動機」により違ってくると思う。欲も食欲など、過度にあるのがいけないと言われているので、そういう、必要な気晴らしを言っているのではないと思う。

北星:気晴らしをどう定義するか。

麦秋:顔回は気晴らしが真理追究だったのではないか。

北星:顔回に気晴らしにカラオケを勧めたら逆に苦痛では。そういうタイプの人もいる。仕事が生き甲斐という人だっている。

凡知:普通に気晴らしは、物事が一段落した時や物事に行き詰まり悩んでいる時に、気分転換や気持ちをリフレッシュするために、散歩、ショッピング、休む、雑談する、旅行するなどを言うのではないか。

北星:我々のように凡夫だけど道を求める人達は大きく道を外れて気晴らしなどしない。大きく外れたならそれは境涯が下がった。

佑弥:境涯が下がった気晴らしは、(過度な)欲と絡んでくるように思う。

麦秋:今までのレベルでベストを行なっていたが、境地が上がるとその行為を恥と感じるということでしょ。

北星:もとより境涯を保つための気晴らしなど無いと思う。有るのは少し疲れたからお茶にしようといったような肉体的、精神的な気晴らし。

麦秋:気晴らしそのものはあらゆる境地でもあるということでいいのかな。

北星:境地によって気晴らしが変わってくるということ?

重只:ちょっと待ってください、この場合の境地が上がるという事自体が良く判らなくなって来ました。

瑠璃:境地は下がることもあるから、ひとつの側面だけで考えてはいけなのでは。心の向くところが、俗的な快楽を求めるだけの気晴らしもあるけど、顔回のように情熱のままに孔子様のお言葉を残し続けることで、心を満たすこともある。冥加さんの解釈では、顔回に気晴らしなんてなかったのでは。

凡知:そうだと思います。

北星:例えば寝ること。顔回にとっては休んで他のことをする方が苦痛に感じるかもしれないけれど。

凡知:自分を全うされたとは言える。

北星:顔回は気晴らし出来る人になった方がより良さそう。

佑弥:命懸けで求道に生きておられた。

瑠璃:顔回にはそれ以外なかった。お父さんも孔子様のお弟子。親子ほどに歳の違う孔子様や、実の親を悲しませてはいけないと思った。

凡知:気晴らしは必要。顔回は天命として、今生で只管やり抜く、やり通すお覚悟だったのでしょう。そして41歳まで今生を全うされた。

重只:顔回はもっと孔子様のおそばに居たかったと思う。孔子様の晩年までお教えを受けて、お言葉を残したかったと思います。

北星:やはり体を休める必要はあった。

凡知:しかしそうではなかった。そうはお出来にならなかった。

瑠璃:命がけの修養、顔回だから出来た事。このまま行ったら死ぬと思わなかったのか。自愛して欲しかった。天命と識っていたのだろうか。

佑弥:顔回しか、孔子様の仰る事を理解し記録できる方がおられなかった。顔回は弟子の役目を全うされた。全てが求道となっている方には、気晴らしは無いよねとなってしまう。求道が喜びであった。身体を大事にと、わかっていたとしても、理屈で語る事はできないのではないでしょうか。休んでいる暇もなく記録完成の為の役目に没頭された。

北星:気晴らしが必要かどうかでレベルが判ると言っている哲学者の考えはそんなに優れたものだと思えない。

重只:背筋を伸ばして生きることを目指そうとする時、普段伸ばしていないから疲れるし、気持ちも持たない。そのとき「は~っ」と背筋をまげて一息付くのが気晴らしでしょうか。背筋を伸ばすのが普通になれば、その一息(気晴らし)は要らない。例えるならそんなことでしょうか?

柴里:私にとっては、仕事に没頭していると猫背になっていることがあり、背筋を伸ばす方が気晴らしになっていますが。

佑弥:今の重只さんの例えは、精神的なものを分かりやすく言うために、肉体に例えて言っている。肉体のその例そのものを言っているのではない。

北星:境地を保つための気晴らしというのはありえない。

凡知:「小人閑居して不善を為す」が如く、小人(凡夫)は暇があり、暇を作り気晴らしと称し善からぬことを考え起こすが、大人(覚者)は気晴らし自体が求道となる。

正志:境涯の高い方なら「野に咲く花に美を見いだし、生命を感じ癒やされる」みたいなことも気晴らしと言うこと?

佑弥:人によって何を見いだすか違う。

柴里:気晴らしは横道のことで本道ではない。

北星:肉体的、精神的に疲れたり張り詰めたりした時には、どんなに高い境涯の方であっても少し休むといったような気晴らしは必要になって当たり前だと思う。

瑠璃:見る人によっては、その行いが気晴らしと見えるかもしれないが、本人にとっては気晴らしと簡単に表現できるようなことではなく、何かを求め、高めたりする上でとるべき行為の一つとも考えられる。

正志:気晴らしはその元を辿ると心理的あるいは肉体的な必要・欲求に根差していると思います。例えばこんな感じです。喫茶店でコーヒーを飲む→休みたい気持ち。音楽を聴く→一人でありたい気持ち。恋愛映画を見る→異性への憧れ、レベルの低い場合は欲望。そう考えてみると、例えば酒を飲んでまさに気晴らしをする、異性と暮らして日々を豊かにする・楽しくする、賭け事をして射倖心を満たす、囲碁の様なゲームをして遊ぶ、こうしたことは普通の気晴らしとして当時あったのではないでしょうか。ただ、お弟子様達にあっては勿論それに溺れることはなかった。敢えて愚かな想像をすれば、孔子様でも例えば花を育て愛でる、牛・羊を自分で育て楽しまれる、そんな感じのお姿もイメージ出来ない訳ではありません。気晴らしの内容はその人の境涯を反映する、低い人にあっては気晴らしと言うよりは囚われと言う感じ。顔回も気晴らしをされたのだろうけれど、それが酒を飲むとかそうしたことではなく、例えば音楽を楽しまれるとか、孔子様が見られていかにも高い境涯であることが推察されるような気晴らしであった、そういうことではないでしょうか。

佑弥:顔回は、正志さんが例えたような、賭け事やゲームや異性と暮らすというような事に心が引かれる事は無かったと思う。興味は無く、逆に疲れると思います。

重只:境涯が上がった時、その境地の理想とするところから見たら、上がったばかりの自分は気晴らしに見えるのではないかと思いました。

正志:境涯が高ければ欲望・欲求に執着しない、囚われない、と言うのは判ります。例えば私は今、弘法大師様のことをふと思いました。何故なら、現実に大業を為された大師様に、権力者としての一面は無いのだろうか、もし有るとしたなら、そうした大師様の気晴らしは果たしてどうしたものであったろうか?そんなことをふと思ったのです。と、思った途端に自分自身の姿に目が行きました。まるで地を這う虫のような印象なのですが。私にとって音楽は気晴らしです。外国の町を歩くのは気晴らしです、歩きながら日本はどうしたらこれに比肩し得る美を持てるかとウンウンと唸りながら歩いています。でも、私は20代の頃、心の空しさ・寂しさを埋めるためにいろいろな気晴らしに溺れざるを得なかった。でも、それらは、今から見ると気晴らしと言うよりは囚われなんですね。気晴らしはピンからキリまでいろいろで、境涯が低いほど囚われ感が強い気がします。弘法大師様が今の世にあられたら、飛行機の操縦でも楽しまれたかも知れない、そんなことを想像します。

佑弥:濁を飲み込む器の大きな弘法大師の気晴らしとは、受け入れていく、気晴らしそのものが自由でらしたのでは。同じ行為であっても、凡夫の気晴らしの動機や、その結果、意味する所は違うと思います。ですが、私達の「気晴らし」も、バランスをとる、或は保つために必要なもの、その一方で、思いもよらないある種の向上へのきっかけの一旦になっているかもしれない。

柴里:大きな事業をし上げるには強い信念の必要があるから、(権力志向のように)そう見えたし、演じるところもあったのでは。

凡知:定義が難しい。ある程度の境地に行くとあまり関係無くなると思う。ところで話は変わるが、冥加さんの言われるように、「其の余」の解釈について、伊藤仁齋氏などの解釈「仁以外の徳、その他の学芸(日に月に至る)」より、この参考書のように「顔回以外の者」と解釈する方がすっきり来る。

佑弥:『論語集注』(朱熹著・土田健次郎訳注)によると、「三ヶ月は天道が小変する時間的単位で、時間が長い事を言う。仁に違わないとは、ほんの少しの私欲も無いこと。」とあります。 顔回には、一般的な気晴らし(私欲)が無かった。

麦秋:孔子様が顔回を如何に思っていたかを表しているのではないか。

重只:顔回が亡くなられてからの言葉でしょうか?

北星:この文を読むと進行形の印象を受ける。

瑠璃:41歳で亡くなられているから、30代、或いはそれ以前から、孔子様に素晴らしいと言われている。

重只:私はこの訓示は、もっとリアルに考えました。顔回だけが孔子様から言われた言葉を3ヶ月(長い期間)は実践する。他の弟子たちは1日、1ヶ月も持たないで止めてしまう。その事を戒めた内容と思いました。

瑠璃:師から御指導を受けたことは長い時間、継続して従わなければ、顔回のように。

佑弥:今から、皆で見習ってやっていかないと。全員がそうなったら素晴らしいと思いませんか?

重只:ひとつだけでも実践し続けていかないと。

瑠璃:顔回は、孔子様が後継者とお考えになられていた人。皆を導かなければならなかったほどの人。

麦秋:同じ篇の擁也第六〔二〕で「不幸短命にして死せり」とあるから亡くなった後の句ではないか。

瑠璃:結論としては分からないというのが、今の時点での答え。

佑弥:『論語集注』(朱熹著・土田健次郎訳注)によると、「顔回よ。もし心が久しく仁に依れば、それ以外の徳はみな自然に集まってくる。」とあります。擁也第六[五] が、顔回に孔子様が直接に仰ったお言葉であれば、顔回はこのお言葉から、自分の事、周りの人の事、色々と考えたのではないか。顔回が優れているという事を言った文章ではあるが、孔子様がいらっしゃったから顔回があった。

正志:学問って、一体何でしょう?

佑弥:以前、重只さんが言いましたが、机上の空論の知識を学ぶ学問ではない。修養、実践し向上していく為のもの。求道の手段のような?もの。孔子様の直接のお教えの実践。

北星:ここで学といったら「道」。それしかない。

佑弥:命がけだったから。

正志:そこから外れるとダメという印象がある。

重只:狂信的に見えるということですか?

正志:いえ、「仁に違わず」の言い方に、指標の様なモノを心の内に明確に感じていらした印象を持ちます。その指標に従うのが道、その指標に関して思いを巡らすのが学問、そういった印象なんだけれどそれで良いかしら?

北星:儒者だから、我々よりも儒教的な形式を心に持っていたと思う。

麦秋:我々の方がよりファジー。各々の我欲の克服に主眼がおかれているので。

北星:儒教的な学問を同じように学んでも個人によってその心の在り様は違うと思う。

佑弥:『論語集注』(朱熹著・土田健次郎訳注)によると「心は薪、仁は火のようなものである。薪が湿っていれば燃えにくいが、顔回は乾燥した薪のようなものであった。」とあります。

重只:顔回には元々その様な素養が備わっていたということですか?

瑠璃:縁もあったし、備わっていたと思う。

麦秋:孔子様は学によって身に付けられた方だが顔回は自然に身についているものを感じる。

凡知:顔回の一途で純粋な思いがそうさせたのではないか。

北星:山登りと一緒で登るルートが違う。孔子様は学問によって身を立てたが、他の方法もあるのだと思う。

瑠璃:顔回は学問として、六芸などもしっかり学んでいたのだと思う。顔回あっての孔子様だと。

麦秋:顔回がはっぱをかけられるような事があったのでは。孔子様が迷われた時など。

瑠璃:矩をえられている孔子様に迷いなどない。

麦秋:孔子様が思っていたことで他から批判を受けていても、顔回は「孔子様が正しい」と言うなど。

重只:以前、孔子様のドラマを見たことがあるのですが、孔子様の集団が旅をする際、孔子様は牛車に乗って、弟子たちは徒歩で歩いていた所、孔子様がご自分も外を歩こうとされた際、「それは礼に反します!」と言って、顔回が嫌がられる孔子様を牛車に押し込むシーンがありました。そういったシーンが作られたということは、そのような逸話が残っていたのかもしれないと思います。だから、意見をする場面もあったのでは。

佑弥:為政第二[九]に、「子曰、吾與回言終日不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。」とあり、顔回は孔子様のお言葉に反問も意見もせず、只聴くばかりとあります。孔子様に意見したり、はっぱをかける等という事はなかったのではないでしょうか?

瑠璃:本当は子路兄が言ったかもしれない。(史実として描かれているのかは不明)

北星:やはり経典といったようなものからも学ぶことは必要。私も論語を学べて本当に良かった。勉強になっている。我々もそうで、やはり教え導いて下さる方がいらっしゃらないと道を求めていくのは難しい。

瑠璃:顔回は一番厳しい登山道を選んで、身を削りながら歩んだ。

北星:時々思うのだが、どうして徳者であるのに顔回はひどく貧しかったのだろうか。

瑠璃:寝食忘れて孔子様のお言葉を残したかった。政治には興味が無かったのかもしれない。でも、父親もお弟子さんだし、援助を受けなかったのだろうか。身体を自愛して、孔子様の最後のお言葉まで書き留めようと思われなかったのだろうか。他の模範となり、お教えを広めていこうと思わなかったのだろうか。

北星:日々孔子様のお話しを書き取っていたとしたならば、今日のことは今日済ませないとならないので休んでいる時間はなかったかもしれない。

以上