東洋哲学研究会
2015.10.18
雍也第六 4
論語勉強会議事録
2015年10月18日(日) 17:00~18:00
開催場所:春秋館
議論内容:本日は、雍也第六[四]を学びました。
雍也第六 4
子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。
議論
冥加:逆もまた真なり。
筑波:西洋哲学では地位や職業は神様から与えられたもの、という考え方がある。
北星:階級制度のようなものがあったのだろうか。
瑠璃:今よりずっと厳しかったと思う。お父さんの素行がとても悪かった。本人が気にしていた。
北星:冥加さんの逆も真なりというのはどういう形?
瑠璃:親が優れていても、子が平凡な場合も用いられなかったのか?それでも世襲制度がしっかりしていたのか、疑問に思う、ということでした。
重只:当時は階級、差別が激しかったのでしょうか。あまり中国ではインドのカーストや白人の黒人差別のようなイメージがないのですが。
佑弥:親が悪行がある人だからといって、その子供もそうであると思ってはいけないと、孔子様が弟子を慮って例えて仰ったお言葉。
瑠璃:出自の良し悪しだけで評価を決めてはいけないと教えている。
凡知:「山川其れ諸を捨てんや」という所がとても重要だと思う。その人に能力があれば世に出ることが出来る。天はその善なるところを見捨てることなく、必ず世に出でさせる。
重只:「徳は弧ならず」というものと同じ意味合いを感じました。君子を目指す真面目さ故に、まわりからなかなか認められず、疎んじられている弟子を孔子様が励まされたのだと思う。
北星:以前学んだ「徳は孤ならず、必ず隣有り」の文だね。
瑠璃:当時は血筋で殆どが決まっていた時代。父も行いの良くない人だった。
凡知:仲弓の父は凡庸不材の人で、能力は高くなかったと解説本にある。
佑弥:「論語集注」(土田健次郎訳)によると、「人はこれを用いなくても神の方が捨ててはおかないという事を言っているのである。仲弓の父は卑賤で行いも悪かった。それゆえに孔子はこれによって
北星:直接仲弓に言ったのでは無く、別の誰かに言ったものなら励ましたのではないかも?
奏江:血筋家柄の持つ影響力は大きいものと心得ておりますが、こうして後天的に修養し、心を磨いたものはその因縁を超える力を発揮するものと思いました。正しい御教えによって智慧を身につけ精進すれば血筋を超えることができるということなのではないでしょうか。正しい御導きと本人の心がけ次第で家族的因縁を超えていく事ができる可能性を感じます。仲弓は努力してそれなりの人物になった。孔子様も仲弓の人柄を見極めておられます。正見されていらっしゃいます。本人の価値を見極めていくことが大切なのではないかと思います。
瑠璃:「子、仲弓に謂いて曰く」とあるから仲弓に直接言ったのではないか。
佑弥:「論語集注」(土田健次郎訳)によると、「舜や
奏江:仲弓に直接言ったと解釈するか、あるいは皆に言ったと解釈するか、両方の解釈が可能ではないかと思う。皆にいう事で周りを感化する意味もあったのではないか。他の人の触発にもなる。
瑠璃:出自が良くなくても、孔子様との縁があり、孔子様について学び、十哲となり、南面するに相応しいとの評価を得ている。本人次第でここまでになれるよという事でもあり、良い生まれであっても逆のこともある。生まれが悪いから等で人を判断する事を戒め、その人の内面を正見せよとの意味もある。
瑠璃:筑波さんの西洋哲学での地位職業は神様から与えられたものだというのはとても新鮮に感じました。
柴里:神様はどのようにその仕事を与えるのでしょうか?
瑠璃:それは分からないけど、因縁ということを考えてしまう。
奏江:西洋では仕事の選択も神様と契約するような意識があるのではないか。
冥加:この章で、孔子様は、家柄という宿命ではなく、個人の努力を認められているのではないか。この章の逆も真なりというのは、お父さんが偉いと、当時は、息子は平凡でも引き揚げられたりとかあるのかなと。
北星:それは今も変わらずある事だと思う。
凡知:昔は公家(貴族)は世襲制。孔子様の時でも王(君子)、諸侯、卿は世襲制。
瑠璃:縁故で決まった上司が無能だと周りはつらい。