東洋哲学研究会

2015.09.23

雍也第六 1・2

雍也第六 1・2

2015年9月23日(日) 17:00~19:15

場所:春秋館

本日は、雍也第六[一~二]を学びました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


雍也第六 1

子曰、雍也、可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也。簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。

いは く、 よう や、 南面 なんめん せしむ しと。 仲弓 ちゅうきゅう 子桑伯子 しさうはくし ふ。子曰く、 なり。 かんなり。 仲弓 ちゅうきゅう曰く、 けい かん おこなひ、 もっ たみ のぞ めば、 また ならずや。 かん かん おこなふは、 すなは 大簡 たいかんなること からんか。子曰く、 よう げん しか り。

予習意見・感想

筑波: 西洋哲学で思い出したことは、プラトンの哲人政治における徳目です。個人的にも国家としても、四元徳として知恵、勇気、節制、正義が挙げられ、国家の為政者には知恵の徳が必要であると説いていることを思いました。

議論

北星: 大まかだから良いという評価は、子桑伯子が政治家のような役どころの人物だからで、別の役どころの人の場合は、細やかだから良いといったような別の評価にもなるのではないか。

麦秋: 自分には細かく厳しく、周りには大まかでよいという事では?

柴里: 大簡の部分を受けて、自分の主張に拘らず、相手に気を使うという逆もあるのでは?

北星: 大まかだから良いというのは政治家だから、例えば事務職ならば細かい方が良い。

凡知: トップは大まかでなければ務まらないが。(後で「天網恢恢疎にして失わず」を思い出しました)

柴里: そう思う。

北星: 大まかが良いというのは絶対的評価ではない。

重只: 「南面する」とありますが、南に向くことが政治的な力のある意味を表しているのですよね。

瑠璃: 南面とは、天子や諸侯が南向きで政治を執ったことから、君主(為政者)となって政治を執ることを意味するようになった、とありました。

北星: 公式の場では人君の向く方向は南に向くと決まっていた。

凡知: 『易経(説卦傳)』に「聖人南面して天下に聴き、明に むか いて治むるは、蓋しこれをここに取れるなり」とあり、古代中国において、聖人は南を向いて着座する習慣があり、南面する北側の席が上座とされた。

北星: 仲弓に対して南面せしむ可しと言っているのだから最高のほめ言葉。仲弓は優秀だと言っている。

冥加: 台湾に指南宮というのがあった。風水(羅盤)では、磁石の針は南を示す。

北星: 孔子様がここまで褒めるのはめずらしい。

麦秋: 仲弓は卑しい身分の出で、みなに少し下に見られているから。

重只: 雍也第六[4]でも、孔子様が仲弓に対して、親がどうあろうとも、自分に実力があればかならず見い出される旨の内容を説かれています。

冥加: 孔子様も出身は、それほどいいとはいえないところだったと思う。だから身分に拘らず、学んで身を立てることを貴しとしたのだと思う。大まかという事は器が大きい?

北星: 器が小さくて大まかであるというのは考えにくい。

冥加: 旧字体の簡という字は中に月があるね。

奏江: ここでの孔子様はおおらかな印象を受けます。いつもは厳格でいらっしゃるけれど。年齢を重ねて寛容になられたということはあるのだろうか?

麦秋: 仲弓をお認めになっているからではないか。

奏江: ここまでお褒めになるのは珍しい。

冥加: 仲弓のようなタイプはほめて伸ばす。

佑弥: 雍(仲弓)について、寛大の内に敬という心があるからよいと言われているのではないか?

朝顔: 質問の受け答えが的を得ていたからではないか。

凡知: 雍(仲弓)は自分が簡で、人を引き合いに出して、私も当然出来るのだといっているところもあるのでは?

佑弥: そのようには感じない。

北星: 子桑伯子はそれほどの人物でもなかったのでは?まず良かろうという程度。この文の要点はどこ?仲弓が優れていること?子桑伯子のこと?大まかだから良いということ?

重只: 敬であり、簡であるという敬いと、大まかな性質両方を持つべきであるという事を説いていると思います。

正志: 白文を書き下していると、繰り返しの部分が妙に具合が良過ぎて嫌な感じを受けるんです。「敬に居て簡を行ひ‥可ならずや、簡に居て簡を行うは乃ち大簡なること無からんか」。「簡」「大簡」この言い換えがそんな印象を与えるのかしら、言ってしまえば孔子様に自分を見せびらかすような感じ。

柴里: 仲弓は、徳のある人と言われていたから、そんなことはないのでは?

佑弥: 正志さんの言うようには感じない。ただ寛大についての疑問を確認したのでは?

麦秋: 公治長第五[5]には、「雍は仁なれども佞ならず」とあり、口下手。

凡知: 自分を持ち上げているような気もするが。

北星: 私はそうは思わないな。もっと素直な解釈で良いと思う。

佑弥: 素直にでいいと思う。

冥加: ここは確認ではないか?簡だけだとズブズブに甘くなるから、敬が必要ではないか?と。

北星: 直感的に仲弓には素直さを感じる。

奏江: 素直に孔子様に疑問に思った簡について質問している。寛大であるのはいいが、過ぎたるは及ばざるが如しで、簡であるのはよいが大簡であるのは過ぎている。何事もバランスが大切ということ。

正志: 私自身がルーズなものだから「これは簡でこれは大簡でしょうか」みたいに確認する真面目な姿勢が乏しいだけなのかも知れないのですが。「南面しなさい」と言われて「民にこう臨むのは簡で、こう臨むのは大簡でしょうか」の言い回しが、本人が既に半分判っていることを尋ねられている、そこに何か見せびらかしているような感じを受けてしまうんです。

凡知: わざわざ子桑伯子を出しているのが、少しひっかかる。

冥加: 簡にして敬がある人だったから、名前をあげたのでは。

佑弥: 子桑伯子は、敬があった人か、無かった人か?

麦秋: 孔子様は悪い人は悪いという。

北星: これは子桑伯子のことや、大まかが良いということを述べているのではなく、仲弓が優れているという事を表している文章ではないか。

凡知: 仲弓の仲間が編集?

正志: 「私如きより子桑伯子の方が‥」とへりくだったのでは?

瑠璃: 仲弓は孔子様から仁者と言われている。

凡知: 諸橋轍次_論語の講義の解説によると、「子曰く、雍や、南面せしむ可しと。」とそれ以下の文とは別の章とする説もある。この方なら素直に読める。

正志: 孔子様に「南面しなさい」と言われて、それに対する仲弓の反応がその後の文章じゃないの?「南面しなさい」とその後の部分とは時間的に全く別なの?それならば私の最初の印象は全く起きません。

佑弥: 会話形式では繋がっていない。「子曰く、雍や、南面せしむ可しと。」その理由として、以下の文章が(以前起こった出来事として)書かれてある。だから雍(仲弓)は南面せしむ可し、優れた人物なのだと仰っている。

瑠璃: 感覚的だけど、孔子様の「雍の言然り」という表現に、口下手だった仲弓に対して、そのとおり、よく言ったと、優秀さを褒めているように思える。雍はNo4くらいに入る方。

柴里: (瑠璃さんの弟子の評価紹介を受けて)司馬遷の史記列伝の仲尼弟列伝第七に孔子の弟子77人の紹介があります。(ちくま学芸文庫_史記5_64-95p)

<この後、孔子様の門弟についての話、孔門十哲のランキング、孔子様からの十哲に対する評価に関する議論。文献にある史実、似顔絵はどのように残ってきたのか?竹簡に描かれていたのか?などについて暫く話合いがございました。>


雍也第六 2

哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顔回者。好學。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也。

哀公 あいこう ふ、 弟子 ていし たれ がく この むと す。 孔子 こうし こた へて いは く、 顔回 がんくわい といふ もの り。 がく この めり。 いかり うつ さず、 あやまち ふたた びせず。 不幸 ふかう 短命 たんめい にして せり。 いま すなは し。 いま がく この もの かず。

議論

奏江: 最愛の弟子、顔回を失われた孔子様の嘆きが、悲しみが強く感じられます。

柴里: 好学の人の条件が、怒りを遷さず、過ちを再びせず、のように単純に学問好きではなく、まるで自観法ができて、自分に厳しいことであるということが、印象に残りました。

朝顔: 学を好むということは?

重只: 學而第一[1]を学んだときに、「学」は仁を実践することではないか、と話し合いがあったし、學而第一[14]では、事にあたれば、鋭敏で、言葉を慎重に選び、より徳の高い人に従い、自らの行いを正す、これらを行うことが学ぶということである、とありました。だから、顔回だけが、実践としての学を行なっていたという意味だと思います。

佑弥: 学の意味は、机上の学問ではなく、それを元に修養、実践の意味かもしれない。学を好むとはどういう事かとも言っている。 怒りを遷さず、過ちを再びしないこと。

冥加: 耳がちぎれるね。

麦秋: 顔回は本当に凄かった。

奏江: 実行に移すことで、学が初めて生きる。生きた学びとなるのではないだろうか。

佑弥: 学ということは、それがもう実践として身についている 。同じ過ちをしない。

柴里: 好むより楽しむのがいい、という部分が、論語にありましたね。

麦秋: 雍也第六[18]に「子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」とあり、凡知さんが以前その後に、「之を継ぐ者に如かず。」といった篇がある。

凡知: 私の暗誦の際、何か足らないと思い、付け加えた憶えがあります。

冥加: 学を楽しむが一番良いよね。

重只: 僭越ながら、孔子様は、学を楽しまれていたのでしょうか。

麦秋: 前回やった公治長第五[28]で「丘の学を好むに如かざるなり」と、私ほど学問を好む者はいないと仰っている。

佑弥: 寝食を忘れてやってしまう。

正志: 孔子様の場合、何が楽しかったのでしょう?殷の頃の事を学び研究しそれに習おうとする、内面の変化でしょうか?

柴里: (徳治政治を目指して実現すれば)素朴に世の中に役に立つと嬉しいということがあるのではないか。

奏江: 私の経験をお話させていただいてもよろしいでしょうか。苦しみから逃れようとすると、逃れられるどころか苦しみが襲ってくることに気付いた。苦しみは超えていくしかない。そして苦しみを、痛みを超えたときに自分が変わり喜びを感じた。楽しいと思えた。顔回はまさに求道を体現された方だと思います。

以上