東洋哲学研究会

2015.07.19

論語 公冶長第五 19

論語勉強会議事録

2015年7月19日(日)15:30~17:30

開催場所:春秋館

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


論語 公治長第五 19 

(前半)

子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁。

子張しちょう問いて曰く、令尹子文れいいんしぶんは、たび仕えて令尹れいいんれども、喜べるいろ無し。三たびめらるれども、いきどおれる色無し。もとの令尹のまつりごとは、必ず以て新しき令尹にぐ。何如いかん。子曰く、忠なり。曰く、仁なるか。曰く、未だ知らず。いずくんぞ仁たるを得ん。

<議論>

冥加:令尹れいいんは古代中国の殷王朝における役職で宰相の位に相当する。

瑠璃:忠実でも仁者ではないと言っている。

麦秋:子張は過ぎたるは及ばざるがごとしと言われた人物。その子張が聞いているという事は…。

重只:子張は、これこそが「仁」だと孔子様に言いたかったのではないでしょうか。

北星:三度仕えて・・・ここに記されている内容だけでは仁とは分からない。

麦秋:子張はこの控えめな態度が仁ではないかと言いたかった。

凡知:淡々と宰相の出処進退を繰り返す子文ではあるが、自分の責任の重大性をどれ程感じているのでしょうか?孔子様は彼を忠なり言われているが、私には軽薄で、そう思えない。

筑波:同じ君子に仕えた?

麦秋:子文は孔子様が生まれる100年前の人。

瑠璃:罷免された理由が分かると、考え方も違ってくる。

凡知:次の訓示をみても、さっさと身を退くが、自分の命を投げ出すぐらいの覚悟があってもいいのではないか。

柴里:左伝に登場した子文を吉川氏の原文から紹介します(論語上150-151頁、吉川幸次郎監修、朝日文庫)。
「実名は闘穀於菟とうどうおとであり、正当ならぬ結婚によって生まれた子であったため、母はこれを野に捨てたが、虎がやって来てそだてた。」「楚のくにの方言では、そだてることを穀といい、虎のことを於菟というので、こうした名がついた」(左伝の宣公四年)。
「この年、子文は、三たびの辞職の一つとして、令尹の位を新進の子玉に譲っているが、譲られた子玉は、有能すぎる人物であったため、やがて楚が晋と城濮じゅうぼくで戦って、大敗を喫する原因となった。」(左伝の僖公二十三年)。
「かく人を見る明がなかった点が、孔子から、『未だ知ならず』とされる原因であったろうか」「しかし、楚のくにでは偉人としてながく回顧され、のち子孫が、反乱をおこし、家が取りつぶしになろうとしたときにも、楚の荘王そうおうは、子文のかつての功績をしのび、『子文にしてよつぎ無ければ、何を以って善をすすめん』と、その直系の子孫を保護した」(左伝の宣公四年)。

佑弥:一身の得失に嬉しがる様子も、腹立てる様子もない事が仁者とはいえないとある。仁者なら、命がけでやっていたら、命がけでないものに言われたら腹が立つのではないか?

麦秋:仁者ならそのとき怒るのか。

奏江:「動じない」のは人生万事塞翁が馬という意識が働いているからと思ったが、辞めされられたことに対して腹が立たないというのは真剣に考えていないのか。改善しようと思うなら、辞めさせられた理由を聞くだろうと思う。動じないというのが、無責任につながるのではないか。

佑弥:淡々としている。無責任な気がする。

瑠璃:解説からは情熱を感じない。理不尽に辞めさせられたのなら、それも3回もあるなら、憤る感情をもつ。

北星:主君にお前はクビだと言われたら、「わかりました」というしかない。

奏江:上の方に従うのは忠実なのかもしれないが、一方で無責任な感じがする。

冥加:この文章だけだと子文の実際の行動、背景が分からないので判断できない。

筑波:孔子様は仕事に忠実だといっている。

佑弥:総理大臣を3回、淡々と、というのはおかしい。総理大臣のようなものは命かかっているはず。

麦秋:優秀だから語り継がれて残っているのではないか。

凡知:先程も言ったが、行政能力はあるが、国の要として重大な宰相の地位の出処進退を繰り返し、軽薄・淡白な感があり、仁でないだけでなく、忠でもない。

柴里:やめたが国の治世がおかしくなったから、乞われて3回やったのか。

冥加:この話、孔子様は簡単に仁を認めることはないという話。

重只:孔子様が言われているので、やはり忠は忠なのではないでしょうか。

凡知:サラリーマンなら上司や会社に忠実であることは当然である。一般の人が忠と言うならそれでもよいが、私の思っている忠とは違う。上司や会社に忠実で会社で、私心無く周囲から人格者と思われている人がいるが、実は私欲を満たすためのものであると思っています。

奏江:子文以外の令伊があまりにも忠実ではなかった。それと比較すると子文がましだった。

筑波:引き継ぎもちゃんとやった。

凡知:そんなもの当然。

佑弥:自分の為でなく、本気で命懸けでやっていたら、自信もあり、それをやめさせられたら憤るはずではないか?自分の為でなく命がけだから。

冥加:本気で命懸けでやって憤ったが、自分の心の中にしまって隠したのかもしれない。

奏江:それでは真剣とは言えない。真の意味で忠実とは言えない。

重只:忠臣蔵の配下は命懸けではなかったか?彼らは命懸けで憤っていたが、内に秘めて多くを語らなかった。

冥加:前に、あるプロジェクトで何度もクビになったことがあったけど、クビになる度に反省もあったが、自分は最後までやるつもりであったので、あまりクビになったことは気にならなかった。自分ならできるという自負があった。

奏江:3回も首になっていて淡々としていられるのは情熱がないからではないか。

北星:上司に言われたら「はい」と従う。それが礼だと思う。

奏江:バカ上司でも?

北星:そう。バカ上司でも従う。

瑠璃:国が潰れるかもしれない、という場合、なんとかしなければ、なんとかしたいと思う。それでも辞めろという命に従えるか?

奏江:本当に会社の事を思っていれば、自分にはこれこれのことができる、こうしたらよいのではないか、と言うのではないだろうか。

佑弥:国が潰れるかもしれない時に、やめるように言われ、しかし、国を潰さないためにどうしたらよいか自分がわかり、できる事がありながら、何も言わずにいるより、言い方もあるが、言った方が礼があるのではないか。

冥加:会社の事を思っている人なら、辞めさせられる前に会社の為にいろいろやっていると思うが、周りもその情熱・努力を知っていて言うまでもないことになっているのでは。

奏江:そこまででも十分に伝わっていなかったのではないか。会社のことを真剣に考えているなら言わないではおられない。

冥加:真剣に考えているなら、辞めさせられるまでの状況に至っていない。その情熱・努力を認められないなら組織が悪い。真剣にやっていて、まだ最後に一言いうのが礼というのがよくわからない。そういう状況に陥らない為の礼ではないのか。(最後は黙ってすべてを受け入れて礼をもって下がるのではないか。)子文はきちんと前任から後任へ引き継ぎをしている。

麦秋:だから忠でしょ。

凡知:そんなものは当然。忠でもない。

奏江:私心のあるひとがTOPであったら確かに伝わらない。それでもどのようにしたら会社がよくなっていくか、一言意見をのべる。それが自分の改善にもつながるし、相手とのコミュニケーションをはかることによって改善がなされるのだと思う。

瑠璃:後半もある。後半と合わせて、考えるべきではないか。

冥加:本当に忠だったの?という観点は大切。世間一般の本では、孔子様は簡単に仁を認めることはないという解説になっていると思うが、我々は解説以外の考察ができるかもしれない。

凡知:子文は孔子様が生まれる100年前の人。孔子様は直接見ていないし、知らない。伝聞の域を出ていないのではないか。

重只:ではどういう姿が忠なのでしょうか。

佑弥:Aだと言われたらAというのが忠なのか、Bがこういう点で良いのではないかと言うのは忠ではないのか、言われるままでなければ、相手や対象を思って出た他の答えは忠ではないのか?何をもって忠と言い、何に対して忠なのか?

冥加:ここは、子張に対して、対機説法的に忠と言っているのではないか。

麦秋:子張にとってはこれは忠。子張は孔子様から辟と言われている。誠実さがたりない。でも子張は子路、子貢、顔回についで4番目に論語によく出て来ている。常にそれなりに一生懸命考えていると思う。

柴里:(子張に対する対機説法であるからという点の資料追加として)論語の講義_諸橋轍次著241頁に「師や過ぎたり。商や及ばず」(先進第十一15)とあり、過ぎたるは及ばざるがごとし・・・子夏と子張について、孔子様が師(子張の名)が過ぎており中庸を失しているとしている。出過ぎる子張に対して、孔子様は忠や清に言及されている。

(後半)

崔子弑齊君。陳文子有馬十乘。棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之。之一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、淸矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁。

崔子さいしさいきみしい す。陳文子ちんぶんし馬十乗うまじゅうじょう有り。棄てて之をる。他邦たほうに至りては、則ち曰く、なお吾が大夫たいふ崔子さいしごときなりと。之を違る。一邦いっぽういては、則ち又曰く、猶吾が大夫崔子のごときなりと。之を違る。何如。子曰く、せいなり。曰く、仁なりや。曰く、未だ知らず。いずくんぞ仁たるを得ん。

<議論>

冥加:しいするの意味は、主君・親など目上の人を殺すこと。

冥加:本当に清なのか?逃げただけではないのか?

柴里:最初に逆臣を討つ選択肢もあるのでは?

奏江:汚いものに耐えられずそこから逃げているだけで、汚いものを受け入れる力が無いし強くない。限られた弱い清らかさ。戦いに耐えられない。

瑠璃:本当に清らかならば、強くなれるのではないか。

佑弥:自分の事しか考えていない。自分の理想に忠であった。しかし、客観的に考えて、周りも酷く、自分に智慧も力もなく、やられてしまう、そのような状況を判断し、そうせざるを得なかったというのもあるかもしれない。

北星:殿様が殺されるようなクーデターが起き、自身の命も危なかったから逃げるしかなかったのでは。

麦秋:忠だし清だが仁ではない。

正志:売らんかなの立場に対し、買わんかなの返答が来る自信は有る。でも、道に外れたような輩がはびこる様な所からなら断固仕官しない(本当は衣食のこともあり、少しでも早く就職したいのだけれど)、その態度は潔良いと思うのだけれど。

麦秋:自分から攻めてはいけない。

正志:下手に反抗すれば直ぐに追ってを差し向けられるような時代ですから。

凡知:君主が殺されたのに逆賊を討つことなく、全てを捨て去って、自分をさえ潔くすれば足るとする陳文子は、清だけれど・・・本当の清らかさか?

冥加:積極的に世の中を清らかに変えていこうとはしていない。

凡知:ひとえに清らかさを求める出家の禅僧は、確かに清らかだが、本当に清らかか?この世俗で、肉体を持って、濁に対峙し呑み込んでの清ではないのか。

奏江:仁を実行していくにはそこにある種の戦いが起こるのではないか、悪に対して善が挑むような。

重只:悪徳の国に与していたくなかったから、国を出たのではないか。企業で考えたら、あくどい商売をしている会社で働いて稼ぎたくない。だから転職する。そうしたら次の企業もあくどかった。だからまた転職する。

奏江:それで良い方向へ変わって行けるのか。

重只:悪徳の国に協力しない人が増えればいずれ減っていくのではないでしょうか。

麦秋:ここも子張が孔子様にこのような行ないが仁ではないかお伺いした話。

瑠璃:後半も情報が少なすぎる。仁でしょうか?と聞きすぎるのが気になる。子張は過ぎている人物だから。自分で考えなければいけない。斉の君が良い君主であったかどうか分からない。

重只:未だ知らずと言っているので、仁者かどうかはわからないと仰っている。仁者にはまだ至っていないと言う解釈が自然なのではないでしょうか。

冥加:忠や清は仁の構成要素であって、忠や清があったとしても、それで仁というわけではない。

麦秋:孔子様もここで、このような事を行ったら、仁だと言ってくれればいいのに。

瑠璃:天機に属することなのでは。

凡知:断定できない。言葉にできない。心のあり方、心の現れ。

冥加:日本の武人なら主君の仇討ちをすることが忠義であり、清、潔さではないのか。

奏江:命が狙われたら逃げるしかない。それで清らかではないと言われても逃げなければ殺されてしまうような場合はまず逃げて生きのびてそれで清らかさを初めて体現していけるのではないだろうか。自分だけ一人が善で、残りの99人が悪だったら、太刀打ちできない。殺されるのがおちですね。殺されてしまっては清らかさは伝えられない。清らかさを伝えるためには智慧が必要。時には逃げるしかない時もある。そして機会を待って清らかさを伝える。

冥加:命が一番尊いのではない。命を越える尊いものがある。死ぬことで清らかさを貫けたのかもしれない。

佑弥:悪い人をいさめる。同じ所にいたのなら、気がついて悪をなさないように、しむける。時代背景、環境により実践は至難と思う。

北星:この国のこの時代に死ぬことで清らかさを貫くという文化はあったのだろうか?

重只:孔子様は単純に悪に加担しない人生を貫いたので、清らかだねと言われているのではないか。

冥加:同席することも嫌、徳治政治の国を求めていたから清なのか。

北星:家臣が主君を殺して正しい事はあるのか?家臣が殺すのと、関係ない人が殺すのは大きく違うと思う。正義が為されればやはり良いような気もするが。

佑弥:暴君で、民が苦しめられ、家臣が命がけで正そうと申し上げても、聞き入れられず、その家臣が殺され続けているという状況が続いていたら、なんとかしようとするのではないか?殺されるというのが、どういう背景で、どういう理由でというのがある。小善人では考えられない事があると思う。

重只:(立場の上の方には忠を尽くすという事から考えると)内部告発は罪でしょうか?

凡知:それは忠に対して?

重只:はい。

佑弥:何に対して忠か?という事が問われている。欲得の企業で、聞く耳もたない企業で、その為に国民が酷い目にあい続けているなら、そうせざるおえなかったのではないか。自分の命かけて告発していると思う。悪いことをし続けて、従業員もそれに加担し続けていたら、悪因縁を作り続けてしまう。そのまま騙し続けていたらその会社の人達は更に怖いことになったと思う。

北星:主従関係がある中で、従が主を殺すのは、たとえ主が間違っていたとしても忠には反している。

凡知:両方意味がある。上への忠に反することと、国民の忠になっている事と。

麦秋:崔子が斉の君を弑す事件があったのは孔子様が5歳のころ。

佑弥:諌めようとしても、話し合いなんて通じない時代なのか。

麦秋:どのように伝わったのか。

冥加:徳治政治を求めて彷徨うのは清ということか。

奏江:雀子のような人物たった一人が受け入れられなくて逃げていたのか?

北星:殺されるかもしれない状況。切迫していたんだと思う。

凡知:でも忠、清なのかと言われると。

佑弥:公治長第五[二一]「邦、道あるときは即ち知なり、邦、道無きときは即ち愚なり。」とあり、今の議論の言わんとしている所をあらわしていると思う。

凡知:公治長第五[一九]とは対照的にこの[二一]は、衛の大夫である寗武子が、邦が乱れている時に役職を辞することなく、心と力を尽くし君を済い、一身を全うする。これを世間では愚だと言うが、孔子様はその愚たることの難きを讃えられた。こうでなくては、忠と言えないのではないでしょうか。

以上